夜回り先生 水谷 修
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Osamu Mizutani Official BLOG

講演は最高です

先週は、横浜市立中尾小学校で、小学六年生たちにいのちの大切さを話してきました。

子どもたちは、真剣に聞いてくれました。

やはり直接の講演は最高です。

 

今週は、横浜市の中学校での講演となります。

どんな生徒たちとの出会いがあるのか楽しみです。

 

今やリモートが何か先進のコミュニケーションのように語られています。

でも、やはり、本当のコミュニケーションは、直接の出会いと、直接の触れあい、語り合いの中にしかないと私は感じています。

 

リモートワークやリモート授業がもたらす弊害を怖れています。

本当の幸せとは

今、多くの人たちが明日を夢みることができなくなっています。

 

先日、夜回りをしているとき、一人の客引きをしている若者から、声をかけられました。「夜回り先生だろ。俺が高校生の時、先生の講演、学校で聞いた。感動した。未だに、夜回りやってるんだね」私は、彼と、話をしました。

彼は、ギャバクラと呼ばれる風俗店の客引きで、お客を一人取るたびに手当をもらう仕事をしているそうです。私は、彼に言いました。「昼の世界に戻ろう。いつまで今の仕事をしても明日はないだろう」彼は、私に言いました。

「先生、うちの親父は、中卒。鉄工所で、朝から晩までまじめに働いてた。それも、少しの給料で。でも、不況で、会社が潰れ、退職金もなし。今は、毎日酒浸り。先生、まじめに生きたってそんなもんだよ。俺は、今、日に3万円は稼ぐ。おやじよりたっぷりと。今が良ければそれでいいんだ」哀しくなりました。

 

私は、夜の町で、彼のように考える若者たちとたくさん出会ってきました。どうせ、まじめに働いたって、良いことなんかない。だったら、今が楽しければそれでいいと考える若者たちと。

 

でも、彼らがこう考える原因は、私たち大人にあると考えています。今、大人たちが、疲れています。そして明日を見失っています。

みなさんは、どうですか。夜、子どもたちに、疲れた姿を見せていませんか。子どもたちの前で、つらさや厳しさを愚痴ってはいませんか。

 

これも、無理はあのません。バブル経済が崩壊して以来、私たちの国、日本は、ずっと不況。経済的にも社会的にも、閉塞状況が続いています。しかも、この新型コロナウィルスの感染拡大の中でのさまざまな自粛要請の中で、政府の政策で、確かに物価も金利も上がりませんが、給料は上がらず、それどころか下がり続けています。また、多くの中小企業が倒産しました。

 

多くの大人たちが、笑顔を失い、いらいらする気持ちはわかります。しかし、そんな大人たちを、日々目にする子どもたちは、どう育っていくのでしょう。私が、夜の町で出会った、あの若者のように、明日を捨て、今をただ刹那的に生きる人となってしまうのではないでしょうか。

 

みなさんに、お聞きしたいことがあります。幸せとは、みなさんにとって何ですか。朝元気に目覚めること、幸せではないですか。家族と毎日夕食を一緒に食べることができること、すごく幸せではないですか。今生きていて、多分間違いなく明日も生きていると確信できること、すごい幸せではないですか。

 

実は、幸せは、いつも私たちの周りに数え切れないほどあるものです。ただ、私たちが、それに気付けば良いのです。みなさん、お願いです。今日は、自分の周りにある幸せを、一つずつ、数えていって見てください。きっとみなさんの顔に笑顔が、みなさんのこころに希望が浮かんできます。そして、その希望に溢れる笑顔を、子どもたちに見せてください。今手にしているたくさんの幸せを語りながら。それが、子どもたちのこころに、明日への希望と夢の種となります。

春が来たようです

庭の桜(佐藤錦)の花が、今日一斉に咲き始めました。春が来たようです。

この一年、講演会はほとんどすべてが中止、大学の授業は、すべてリモート授業、外出もままならない中で、過ごしました。

ただひたすら、数限りなく続く子どもたちからの相談に答え、空いている時間は、読書と執筆。そして、庭いじりと料理。人生の中で、最もゆとりある日々を過ごしました。

 

普段なら、日本中を回り、一年のほとんどをホテル住まいしている私が、ずっと家で過ごしました。家族にとっては、なかなかしんどかったようです。

 

この状況は、まだまだ続きそうです。

 

でも、このなかで、多くのことを深く考えることができました。今年は、それを、大学の授業や執筆、そして講演で発表していこうと考えています。

 

この新型コロナウィルスの感染拡大は、多分、私たちの生活のみならず、文明や進歩の在り方に、急激な影響と変革をもたらします。私は、それが、良いこととは思えません。むしろ、人類にとって危機的な状況を生み出すだろうと危惧しています。それを、様々な場で、発言していきます。

読書三昧 13

「ぐれる!」 新潮文庫

 

中島義道、すごい人である。多分、ほとんどの人が、そうは思っていても、それを言ってしまったらどうなるかが、恐ろしくて、口にできないことを、何のためらいもなく語り、それどころか、一冊の本にまとめ、出版してしまう。困った人である。

 

中島義道の「ぐれる!」(新潮新書)を読んで、青春時代以来、久しぶりに元気をもらった。そう、高校時代に、「般若心経」を読んで感じた、あの何ともいえないすっきりとした感覚がよみがえった。

 

彼は、いう。人はどうせ死ぬ存在だし、この世界もいずれ滅びる。そして、人は、不平等に生まれついているし、社会も不平等なものである。また、人は、偶然に左右される。言い換えれば、この世は、理不尽なもの、それをまじめに生きてもしょうがない。その理不尽さに気づかない人は、分相応にだまされて生きれば良い。でも、その理不尽さに気づいてしまった人は、居直ってぐれよう。

 

彼の語ることは真実である。遙か昔、仏陀も同じ事を語った。人生というものは、苦でしかない。人は、生まれ、老い、病み、死んでいく。また、人生には、何の必然性もない。空しいものだと。

 

でも、彼と仏陀は、最後の答えが、根本的に異なる。仏陀は、決してぐれろとは言わない。そんな悲しい宿命を持った人だからこそ、限られた人生を、欲望を捨てて、慈悲の心を持って生きろと説く。

 

実は、私も青春時代、この世界の不条理に気づき、ぐれたことがある。この世のすべてに失望し、今をどう楽しむかだけに生きたことがある。でも、続けることはできなかった。なぜなら、私の周りには、たくさんの優しさや愛があったから。

 

今度一度、中島義道と会いたい。そして、聞きたい。本当に彼がぐれ続けているのか。もし、彼が、イエスと答えたなら、彼は、日本で最も悲しい人である。

読書三昧 12

「飛ぶ教室」 エーリヒ・ケストナー

水谷 修

 

子どもたち、私は、中学校の時、今もそうかもしれませんが、とても生意気でした。でも、正義を愛し、人間が大好きな、寂しい少年でした。

 

そんな私にとって大事件が、中学一年の冬に起きました。あれは、一月でした。授業中に教科書に落書きをしていた一人の女生徒の頭を、先生がものさしでたたきました。私は、机から立ち上がり、先生に抗議しました。「先生、先生のいましたことは、体罰です。生徒に対して体罰をふるうことは、認められていません。今すぐに、彼女に謝ってください」

彼は、私を廊下に出しました。そして十メートルぐらい離れたところにこぶしを前に突き出して立ち、私にこう言いました。「水谷、このこぶしに頭をぶつけてこい。これは、体罰ではないぞ。おまえが自分でぶつかるのだから」私は、全力で何度も何度も先生のこぶしにあたまをたたきつけました。先生は、「もういい」と一言。そして、去っていきました。

 

私は、この日から、中学に通うことを止めました。朝は、学校に行く振りをして、そのまま図書館に。一日、図書館で読書と勉強をしていました。また、人と話すことも止めました。大切な家族とですら、必要最低限のことを筆談で答えるだけでした。そんな生活を、一年近く続けました。私をいじめた先生が許せなかった。それ以上に、私が先生にいじめられている姿を、止めることもせずにただ見ていた仲間たちが、許せなかったからです。

 

そんな私が、図書館で偶然手にした本が、この「飛ぶ教室」でした。この本は、私にたくさんのことを教えてくれました。そして、私が今も座右の銘としているこのことばを手に入れました。

 

「かしこさをともなわない勇気は乱暴でしかないし、勇気をともなわないかしこさは屁のようなものなんだよ。世界の歴史には、かしこくない人びとが勇気をもち、賢い人びとが臆病だった時代がいくらでもあった。これは正しいことではなかった。勇気ある人びとがかしこく、かしこい人びとが勇気をもつようになってはじめて、人類は進歩したなと実感されるのだろう」

 

子どもたち、人生は、逃げていてははじまらないこと。この世界には、多くの悪が存在するけれど、それ以上に多くの愛や優しさ、友情を作ることができること。ただし、逃げることなく、戦うことによって。それを教えてくれたのが、この本です。

 

私は、この本を読んだ次の日から、ことばを取り戻し、中学に戻りました。そして、今まで、かしこさと勇気を求め続けてきました。また、かしこさと勇気をもって、生き抜いてきました。今、私は、多くの愛や優しさ、友情を手に入れました。

 

子どもたち、逃げないで。少しは休んでもいい。でも、逃げないで戦おう。