夜回り先生 水谷 修
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Osamu Mizutani Official BLOG

読書三昧

新型コロナウィルス感染拡大の中での、二度目の自粛要請の中、私は、事務所での監禁生活をおくっています。

毎晩、絶え間なく続く子どもたちからの相談への対応と、昼間のトレーニング、そして読書。日々、その繰り返しです。

 

今日からは、かつて、読売新聞に書いた、本の書評をいくつか毎日のせてみます。きっとみなさんもその本を読みたくなることと思います。

 

「蒼ざめた馬」ロープシン著 岩波現代文庫

 

もう相当前になります。人を殺すことが悪なのか、この問が、大きな社会的な問題になったことがあります。子どもたち、君たちは、どう答えることができますか。子どもたち、君たちのまわりの大人たちは、どう答えると思いますか。まず間違いなく、君たちの多くも、大人たちのほとんども、悪だと答えると思います。でも、本当にそうなんでしょうか。この問には、確実に一つの間違いがあります。殺されるのは、だれかわからない人ではなく、その人なりの人格や人生、家族を持ち、名前を持っただれかです。本当は、その名前で、その人を殺すことは悪なのか、と問われるべきです。

子どもたち、私たちの国、日本には、死刑制度があります。強盗殺人などの重い罪を犯した人たちの一部は、死刑というかたちで、殺されます。人を殺すことが悪ならば、死刑の判決を求める検察官、その判決をくだす、裁判官や裁判員は、悪を為していることになります。また、今も、世界各地でおきている戦争や地域紛争で、敵の兵士を殺している兵士も、悪を為していることになります。

子どもたち、聞きたいことがあります。今も、世界の少なくない国で実際におきていますが、その国を支配する独裁者が、多くの子どもたちや国民を、自分の地位や富を守るために殺しているとします。その独裁者を殺すことは、悪でしょうか。その独裁者が殺されることで、多くの子どもたちや国民が救われます。

私は、中学生のころから、この問に悩み続けてきました。その私に、一つの答えを示唆してくれたのが、この本「蒼ざめた馬」でした。この本は、ロープシン、本名は、ポリス・サヴィンコフという帝政ロシア末期の、実在した一人の革命家、テロリストが書いた本です。君たちは、テロリストとはどのような人たちか知っていますか。まさに今、このテロの恐怖が、世界中を覆っています。破壊や殺人を通して、社会体制を変えたり、権力者を倒そうとすること、これがテロです。この本には、何人かのテロリストが登場します。彼らは、皇帝や貴族たちの圧政に苦しむ、貧しい労働者や農民を救うために、爆弾や拳銃によって彼らを暗殺し、政府や体制を壊そうとします。でも、彼らも血の通った人間です。相手を殺すことがはたして人間として、許されることなのか。苦しみぬきます。殺そうとした貴族の馬車に、子どもが乗っていたため、爆弾を投げることのできなかったテロリストもいます。人を殺すことは許されないと言い続けていたのに、友人にそれをさせないため、爆弾を投げたテロリストもいます。

残念ながら、この本には、だれかを殺すことが悪なのか、その答えはありません。でも、この本を読む一人ひとりが、自己の責任で、その答えを得るための、ヒントはあります。

 

読書三昧 ②

「シーシュポスの神話」アルベール=カミュ 新潮文庫

 

子どもたち、私たちは、暴力的に、この世に生まれさせられます。自分から望んで産まれてくる人はいませんし、親や、環境、時代を選んで生まれでることはできません。そして、必ず来る死に向かって、生まれでたその時から、確実に歩み続けていきます。しかも、私たちが生まれでる前から続いてきた、そして死んだ後も続いていく、太陽がでて一日が始まり、そして沈んで一日が終わる、その単調な繰り返しの中で。

はたして、このような宿命を持つ人間に、本当の幸せというものはあるのでしょうか。また、ただ、日々を繰り返しながら死へと向かう人生を、生きる意味や価値があるのでしょうか。私は、中学生の頃から、この問に苦しんでいました。毎晩のように、暗闇の中で震え、寝ることもできず、もだえていました。そして、自らのこころの平安のために、神に救いを求めました。天国、極楽を信じ、自らのその死まで繰り返す一日一日を清く、そして人のために生き、そして来世に永遠の生、そして幸せを求めました。そんな私に、生きることの意味を、死に向かう中での幸せを、そして死に向かう存在としての宿命を受け入れる勇気を与えてくれたのが、この本です。わずか七ページのこの短編です。

シーシュポスは、神との約束を破り、罪を犯し、そして永遠の罰を負わされます。大きな岩を、山の頂まで押し上げるという罰を。岩は頂きに至れば、転がり落ちます。彼は、また麓からその岩を押し上げる。まさに人の人生そのものです。彼は、ふてくされることもできます。ぐれることもできます。寝ころんで、休み続けることもできます。でも、彼はしません。ただ、永遠に岩を押し上げる。死という許しを神から与えられるその時まで。

子どもたち、私は、この本を読んで、神を憎みました。呪いました。神が全能でありこの世界を創造したのなら、なぜ悪を、そして罪を造ったのか。なぜ人を、優しい完璧な善である存在として造らなかったのか。幼い私は、この本を読んだその時から、こころに決めました。来世があって、そしてそこに神がいたなら、必ずその神を殺そうと。愛する幼い子を戦禍や病に失った親たちの涙と、貧しさや無知から罪を犯し、自らの死を持って償わされた人たちの悲しみを剣として。

でも、子どもたち、今の私は、少し成長しました。子どもたち、シーシュポスは、不幸なのでしょうか。私は、そうは思いません。彼が見る朝日、夕日、足もとに咲く名もない花、それが、きっと彼に刹那の、でも限りない、生きていることの喜びを与えてくれています。また、宿命を受け入れながらも、ぐれることなく、ふてくされることなく、日々を生き続けることは、彼の神に対する最後の戦いであり、それは、人としての宿命に対する挑戦です。私は、今、彼のように日々生きています。覚悟を決めて。

山形の叔母

私の母は、現在89歳。私と一緒に暮らしています。

その母の妹、つまり私の叔母は、85歳、山形で一人で暮らしています。

私は、3歳で父を失い山形に預けられたとき、母親代わりで育ててくれた人です。

 

昨日、その叔母に電話をしました。寒波と大雪の中で困っているようならば、こちらに春まで来てもらうつもりでした。

 

叔母は、私に、神奈川県には、新型コロナウィルスが恐ろしくて、行けない。こっちでは、近所の人たちが、雪下ろしや家の周りの雪かきをやってくれるし、買い物も、お隣さんたちがかわりに行ってくれる。毎日のお茶のみ友達もたくさんいるし、大丈夫だと、私に言いました。

 

叔母の夫、叔父は、今から26年前に、59歳で亡くなりました。叔母は、それがずっと山形の田舎で一人暮らしをしています。その叔母の強さと、近所同士の助け合いという古き良き慣習にこころが動きました。

 

こんな状況が落ち着いたら、すぐに山形に向かいます。

青空の星

今日朝、縄跳びトレーニングをしながら空をずっと眺めていました。

そして、青空の中に二つ、輝く星を見つけました。

 

今日は、昔書いた文章をそのままのせます。今を苦しむ子どもたちへのメッセージです。多くの子どもたちのこころに届くことを願っています。

 

子どもたち、青空に星を見たことありますか。私は、何度もあります。君たちが、夜の空に見る満天の星の輝きは、実は、昼間も私たちの頭上でその輝きを私たちに向けてずっと発し続けています。でも、太陽の光が強すぎて、その強さに勝てず、そっと青空の中に沈み込んでいるだけなんです。気づいていましたか。同じように、子どもたち、君たちを、いつも無数の優しさや、思いやりが、君たちを包んでいます。でも、君たちは、目の前に現れる、嫌なことや哀しいことに気を取られ、そして、苦しみ悩み、君たちに向けられた優しさや思いやりから目をそらしてしまっています。そのことに気づいていますか。

子どもたち、私たち人間はとっても不完全な存在です。たとえば、ものを見るとき、視野にあるすべてを同時にきちんと見ることはできません。何か一つのものに視線を向けると、その周辺はぼけて見えなくなってしまいます。試してごらんなさい。だから、私たちは、常に視線を右に左に、また上下に動かし、回り全体をきちんと見ています。これは、ものを考えることにも同じようにいえます。あることを考え、悩みはじめると、他のことが考えられなくなります。その悩みや苦しみに、こころや頭のすべてを捕らえられてしまいます。そしてさらに自分を追い込んでしまいます。多くの大人は、それまでの人生の経験から、それをきちんと切り替えることができます。何かを見ても、まずはそれを見つめ、でも疑い、そして回りを見回し、そして確認する。そして、過去の経験と照らし合わせ、自分なりに納得する。

子どもたち、君たちには、さまざまな経験が少なすぎます。だからこそ、だれかが体調が悪く君の話を聞かないと、自分はきっと嫌われたと哀しみにつぶれ、先生が、忙しさの中で、君にきちんと対応しないと、自分は駄目な子だと自分を責めます。本当は、子どもたち、君たちに罪はありません。大人たちが、回りが、君たちが、ものすごく繊細で弱い存在であることをきちんとわかり、君たちを大切にしなくてはならないんです。でも、残念ながら、親や先生、大人たちには、今その余裕がありません。大人たちも、今苦しんでいます。

子どもたち、つらいときは逃げていいんです。家で親たちがいらいらしていたら、そっと部屋にこもっていいんです。学校で嫌なことがあったら、行かなくてもいいんです。でも、こころは閉ざさないでください。泣いていい、叫んでいい、そのつらさをきちんと回りに伝えてください。できるだけたくさんの大人に。必ず救いは来ます。

 

仕事始め

今日から仕事が始まりました。

ただし、この新型コロナウィルス感染拡大第三波の最中です。

「zoom」による収録でした。

 

今週中には、政府は、関東一都四県に規制をかけるようです。私の住む神奈川県も,当然その中に入っています。

 

そのような中、この数日考えていたことがあります。

それは、このような状況だからこそ、できること、しなければならないことを新たに見つけると言うことです。

 

今も、暗い夜苦しんでいる若者たちはたくさん存在します。私の元に助けを求める人たち、子どもたちもたくさん存在します。その人たちのために、今この状況でもできることを探しています。

 

昨年は、はじめて「ユーチューブ」で、私の思いを20回にわたって語ってみました。今年は、また違うかたちで、いろいろ発信しようと考えています。楽しみにしていてください。