夜回り先生 水谷 修
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Osamu Mizutani Official BLOG

生きる力

今、日本の多くの子どもたちが、「生きる力」を失っています。うつろな目で夜の町をさまよう子どもたち、暗い部屋で哀しい目でメールを打ち続ける子どもたち、明日を見失い自らを傷つける子どもたち・・・。私の元には、彼らからたくさんの相談が来ます。子どもたち、君たちはどうですか。

そうだ、子どもたち、まず試してみましょう。すぐに外に出て、何か美しいものを自然の中に探してごらんなさい。月でも星でも、花でも木々でもいいんです。そして見つけたら、「○○さん、きれいだよ。ありがとう」と大きな声で叫んでごらんなさい。そして、すぐに家に戻り、お母さんにでもお父さんにでもいいです。何かひどいことをされたことや、哀しかったことを思い出して、「あの時の○○はひどいよ。怒ってる」と大きな声で怒鳴ってごらんなさい。

どうですか、できましたか。これができた子は、安心です。十分に「生きる力」があります。そんなこと、ばからしくてできないという子も大丈夫です。ばからしいと思うこと自体が、きちんとした「生きる力」です。ちょっと哀しいですが。もしも、「どうしよう」と悩んでしまったら、あるいは、そんなことできないとしゃがみ込んでしまったら、それは、「生きる力」をだいぶ失っています。

子どもたち、「生きる力」というのは、自分の中にある哀しみやつらさ、怒りや喜びをその都度、きちんと出すことで、ついていきます。ただし、感情的に暴れたり、叫んだり、取り乱したりではなく、きちんとことばで伝えることが大切です。君たちは、できていますか。哀しみやつらさ、怒りは、自分のこころの中に抱え込んでしまうと、大きなストレスになってしまいます。そして、君たちから「生きる力」を奪っていきます。

子どもたち、君たちの中には、こころの中の想いを正直に出したら、友だちにきっと嫌われる、両親からも嫌がられると考えて、すべてを自分の中に抱え込んでしまう人も多いと思います。君たちのこころは、風船のようなものです。風船に空気をいっぱいためすぎたらどうなりますか。パンクしてしまいます。そして、今日本中で多くの子どもたちが、想いをこころにためこみすぎて、苦しんでいます。

子どもたち、想いを出しましょう。最初は親や先生、友だちに対して直接出さなくてもいいです。空や雲、月や星、花や木々にでいいんです。小さな声ででもいいんです。哀しいときは、哀しみを、うれしいときは喜びを、きちんとことばにし話してみませんか。最後には、君の周りの多くの人に。これが、君たちの明日を生きる力になります。

人は、なぜ生きなくてはならないのか

人は何のために生きるのでしょう。生きなくてはならないのでしょう。私の元には、「先生、自分の命は自分のもの、死んでもいいよね」、「自分の人生は自分のもの、どう生きようと勝手だよね」、こういう内容のメールがたくさん来ます。私は、その一つひとつに、ていねいに答えています。「水谷は哀しいです。でも、ひとつだけ教えておきます。君の命は君のものではありません。君の人生も君のものではありません。君に託された、預けられたものですよ。人のために何かしてごらん。きっとわかるよ」と。

君たちが今生きているということは、人類の誕生から、いや生命がこの地球上に誕生してから、一度も絶えることなく、命の糸が絶えることなくつながれてきたということです。君たちのおじいさん、おばあさん、先祖の誰一人が命を落としても、君たちは、今存在できません。

でも、子どもたち、歴史を思い起こしてください。君たちの命の糸を守るためにどれだけ多くの人たちが、大人だけでなく子どもたちまでもが、命を捨ててまで守ってくれたかを。あの広島や長崎での原子爆弾の惨禍の中で、多くのお母さんたちが、自らの背を炎に焼かれながらも、せめてこの子の命はと、我が子を抱きしめその命を守り亡くなっていきました。苦しかったでしょう。無念だったでしょう。我が子と寄り添い遂げることなく命を落とすこと。

君たちの命は、人類の歴史の中で、君たちの命の糸を守るために無念の死を遂げた数え切れないほど多くの人たちから、託された、預けられた命なのです。「この命の糸を絶やさないで。次の命に必ずつないで」と。

今から14年前、京都の二十一歳の女性からメールが来ました。彼女は小中学校時代のいじめから、六年間引きこもりをしていました。「死にたいです。こんなにつらいのになぜ生きなくてはならないのですか」私は、彼女に「人のために何かしてごらん。わかるよ」と返事を出しました。

彼女は、お隣に住むおばあちゃんのゴミ捨ての手伝いをはじめました。そして、知り合いの老人ホームで働き始めました。

しばらくして、とびっきりの嬉しいメールが届きました。「先生、生きててよかった。今日私の担当のおばあちゃんがうんちをおもらしした。私が、一人でシャワーできれいにしてあげていたら、おばあちゃん、わたしのこと拝みながら、ありがと、ありがと・・・。私も泣いちゃった。先生、私わかった・人は何のために生きるのか、生きなくてはならないのか。だれかを幸せにするためになんだよね」

私は、彼女にこう返事を返しました。「その通り。君は、もう水谷の学校は卒業だよ」

昨日、彼女から、久しぶりに私のからだを心配するメールが届きました。写真付きで。そこには、すてきな彼と、二人のかわいい子どもたちが一緒に写っていました。

私の大好きなことば「でもね」

私がとっても好きでよく使うことばがあります。それは、「でもね」です。私は、元先生、実は今でもこころの中では君たちの先生だと思っていますから、どうしても、君たち子どもたちから様々な相談を受けた後に、「でもね」ということばが出てしまいます。君たちは、使ったことがありますか。もし、使っていないとしたら、それは問題です。なぜなら、この「でもね」ということばは、私たち人間がきちんと生きていく上で、本当は最も大切なことばだからです。

子どもたち、今君の前にお財布が落ちていたとします。周りに誰もいません。中を見たら三万円入っていました。きっと君たちのこころの中に、「このお金があったら、好きなものが買える。だれも見ていないし、自分のものにしよう」という思いが浮かんでくると思います。きっと私でもそう思います。しかし、それと同時に、「でもね、これを私が盗ってしまったら、きっとこの持ち主は哀しむ。人を信じることを止め憎む気持ちを持ってしまう。きちんと警察に届けなくては・・・」という思いも浮かんでくると思います。これが、人間の良心です。

人間のこころの中には、感情と理性があります。人間は、動物ですから、目の前においしいものがあったらすぐに飛びつきたいし、楽しいことがあったらすぐにしてみたくなります。しかし、人間は、長い歴史の中で、理性を磨いてきた動物です。目の前の食べ物をすべて食べてしまったら、周りの誰かが空腹で苦しむのではないか。今自分の楽しみのために何かをしたら、周りの誰かに迷惑をかけてしまうのではないか。こう反省するこころ、つまり理性を持っています。

私は、この「でもね」ということばは、私たちの中にある、理性言い換えれば良心が、私たちに告げていることばだと考えています。この「でもね」を使うことによって、冷静にものを見、ものを考えることができると考えています。

子どもたち、君たちは、短い時間しか生きていません。数少ない出会いや経験しかしていません。だから、どうしても、表面でしかものを考えることができません。遅くいえに帰った君を、お母さんが叱ると、「きっと私は、お母さんに嫌われてる。いないほうがいいんだ」こうすぐ考えてしまいます。私の元には、こういう相談がたくさん来ます。でもね、そんな時お母さんの目をきちんと見てごらん。きっとそこには、君のことを心配し続けた哀しい目が君を見つめています。

子どもたち、「でもね」をいっぱい言おう。その数だけ、君たちは大人に近づいていきます。

十五年前の日記

今日は、昔の日記を読んでいました。ちょうど十五年前の今日の日記です。

 

今は真夜中です。一人の十六歳の少女が、私の事務所の片隅で、幸せそうな顔をしてぐっすり寝ています。あどけない少女の顔で。私は、時々その顔を見ながら、ただひたすら、全国の子どもたちからの相談メールに返事を送っています。

昨夜の八時頃です。私の事務所の隣に住む女性が、私の事務所に訪ねてきてくれました。「水谷先生、先生の事務所の前に夕方からずっと一人の少女が立っています。先生のところに来た子ではないですか」私は、すぐに外に出て、その少女を事務所に招き入れました。なかなかの厚化粧、はでな子でした。「おなかすいてるかい」、少女は、ちいさくうなずきました。私は、夕食の用意をし、少女に勧めました。少女は、「おいしいかい」という私のことばに大きくうなずきながら、たくさん食べてくれました。そして、そのあと話しを聞きました。

少女は、関西の児童自立支援施設から脱走して、私の元に訪ねてきました。少女は、障がいを持つ弟とお母さん、義理の父親の四人家族の中で育ちました。お母さんは、いつも弟にかかりっきり、その寂しさと貧しさの中で、小学校のころから万引きを繰り返しました。何度も警察に捕まり、そして中学二年生のときから、この施設に収容されました。親からは、「いらない子、もう帰ってこなくていい」と、帰る家を失いました。そして、寂しさの中で、さらに脱走、万引きを繰り返し、施設での生活を続けることになりました。でも、夏休み、他の施設の子どもたちは、みんな一時帰宅で家に帰っていきます。取り残された寂しさの中で、また脱走。夜の町で偶然出会った女性が、かつて私が関わったことのある人で、私の元に行くようにと、事務所の住所を伝え、新幹線に乗せてくれました。私は、すぐに施設に連絡を取りました。今回の脱走は、単なる夜回り先生の元への彼女の修学旅行、警察や関係機関にそう伝え、処分しないよう依頼しました。でも、明日には、羽田から飛行機で関西に帰さなければなりません。哀しいです。

私は、少女に伝えました。「自分がしたことはきちんと施設で償おう。水谷は、明日から動くよ。明日作ろうね。そうだ、明日から月に一回、30個の夢を手紙に書いて送ること」彼女は、大きくうなずいてくれました。

子どもたち、水谷は哀しいです。今側で、幸せそうに眠っている少女の顔を見るたびに哀しいです。日本中に、この少女のように、愛や優しさに恵まれない子どもたちが、いっぱいいます。でも、生きている限り、私はその子どもたちのために動きます。

 

実は、今日この子からメールが届きました。彼女は、児童自立支援施設を18歳で出た後、中国地方の私の知り合いの旅館に仲居さんとして就職しました。そして、そこにおいしい野菜を卸していた一人の青年と結婚しました。

今は、彼と、かわいい二人の子どもたちと四人で、自然農法でおいしい野菜を作っています。

このような状況の中で、私を心配してメールをくれました。その最後のことばに、胸を打たれました。

「先生、生きててよかった。幸せです。落ち着いたら、先生を招待します。とびっきりの幸せな家族を先生に見て欲しいから。先生、死なないで。先生の助けを待っている子どもたちたくさんいます」

一通のメール

今日、嬉しいメールが届きました。

それを、のせます。

 

 

先生お誕生日おめでとうございます!

先生のことを知ったのは高校3年生の時でした。
中学生の頃から死にたくて消えたくてしかたなくて、OD繰り返していました。

そんなわたしに高校の先生が、水谷先生のことを教えてくれました。

先生にメール出すたび、人のために何かしてごらん。そればっかり返ってきました。

でもわたしは先生の言う通り、人のために生まれて初めて行動する様になりました。
今まで、わたしの行動や考えは私が主語でした。私が死にたいから薬飲むって考えてたのを、私が死のうとしたら親は、どう思うか。

そう考える様になると自然と死ぬことをやめました。

今は看護師をしています。

コロナで大変な時期ですが、だからこそ多くの人からいつも以上にありがとうを言われます。

大変ですが、幸せです。

選んでよかった、生きていて良かった、そう思えます。

でも、私が今生きているのは先生のおかげです。
だからそんな先生の誕生日は私にとっても大切な1日です。
先生ありがとう。