夜回り先生 水谷 修
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Osamu Mizutani Official BLOG

読書三昧 11

「塩狩峠」 三浦綾子 新潮文庫

 

子どもたち、私は、少年時代から数限りない本を読んできました。君たちは、どうですか。私にとって、読書は、人生そのものでした。触れあった多くの本から、人としての生き方、人生の過ごし方を学び続けてきました。そんな私が、最も涙を流し、感動し、それからの人生に影響を受けた本、それが、この本です。

 

子どもたち、私は、今から二十年前に、「夜眠れない子どもたち」の存在に気づきました。暗い部屋で明日を見失い、そして自らを否定し、傷つけ、死へと向かう子どもたちが、私たちの国日本に、たくさん存在することに気づきました。

 

そして、今から十七年前に「夜回り先生」という本を出版し、私個人のメールアドレスをあらゆるメディアで公開しました。苦しんでいる子どもたちの明日を拓くための何かができないかと。それ以来、メール相談の数は、百万件を超え、関わってきた子どもたちの数も、すでに五十万人を超えました。

私は、この十七年間、「死にたい。死にたい。助けて」、「リスカットが止められない。助けて」、「虐められてる」、「虐待されてる」と無限に続く相談メールに、返事を書き続けてきました。その返事は、ただ一つ、「人のために何かしてごらん。明日はきます」でした。私が、こう返事し続けたのは、私が、青春時代に、この本と触れあったからです。

 

私のもとには、子どもたちからの「人は、なぜ生きなくてはならないの」というメールが、たくさん届きます。君たちは、どう答えますか。答えることができますか。私は、いつもこう答えます。「だれかを幸せにするために」と。私は、これを、この本から学びました。

 

子どもたち、人はいったん生を受ければ、ただひたすら死に向かって歩みはじめます。死を逃れることは、だれにもできません。私たちの宿命です。確かに、どうせ何をしても自分は死ぬんだとぐれる人もいます。まずは今が楽しければ、幸せならと、死を見ないように、考えないようにして、日々を生きる人もいます。

 

しかし、この本の主人公は、この宿命をすべて自然に受け入れ、あらがうことなく、ただ自然に優しく生きていきます。いつも、だれかのために、だれかを幸せにするために、自分の人生を生きていきます。そして、最後には、自分のいのちを捧げてまで、だれかのために、生きぬきます。

 

この本は、まさに私の人生を変えた一冊です。私は、彼の生き方を理想として、今まで生きてきました。これからも、いのちをかけてもそう生きていきます。子どもたち、読んでみてください。そして、たくさんの尊い涙を流してください。きっと、それからの人生が変わります。

読書三昧 10

「大和古寺風物誌」 亀井勝一郎 新潮文庫

 

子どもたち、本当に美しい日本語を、読んだことがありますか。聞いたことがありますか。日本語は、世界の多くの言語と比べて、非常に美しい言語です。たとえば、「万葉集」君たちには、「百人一首」の中の短歌と言えばいいのでしょうか、あの一句一句の柔らかい、そして奥行きのある深いことば、そして、こころに浸みる想い、どうですか。たとえば、清少納言の「枕草子」、たぶん君たちは、学校で勉強したことがあるはずです。声を出して読んでいるだけで、彼女の見ている風景が浮かび上がってくる、簡潔ではあるけれども、そこから情景が湧き上がってくるすばらしい文章、どうですか。

 

子どもたち、そんな日本語をこよなく愛する私が、明治維新以降の日本の文章の中で、もっとも美しいと感じた文章が、この「大和古寺風物誌」です。本当は、この本は、すぐれた旅行記として、また、奈良の寺や仏像の、すぐれた美学的解説書として、紹介すべきものでしょう。

子どもたち、この本を片手に奈良のお寺を回り、諸仏の尊顔に触れれば、修学旅行でガイドブックを片手に、そし、ガイドさんからの説明を聞きながら、奈良を回るのとは、深さと次元の違う、奈良の旅をすることができるでしょう。そして、それまできっと見過ごしていた、奈良の仏像に共通する微笑(アルカイック・スマイル)に、畏れと仏の苦悩を見ることができるでしょう。そして、観光客で賑わい、平和を象徴するような寺の陰に、死者の怨念を感じることができるでしょう。私は、数えきれないほど、奈良を訪ねてきました。そして、奈良の寺を回り、諸仏と対峙してきました。いつも、この本とともに。そのたびに、亀井勝一郎の視線の鋭さに圧倒され、打ち負かされてきました。

 

私は、中学二年の時にこの本を手にしてから、ずっとこの本を座右に置き続けてきました。それは、この本の日本語の美しさに心酔したからです。

子どもたち、私は、今は作家として生きています。多くの本を書き続けてきました。どの本を書くときにも、一つひとつの文を、どれだけ美しい日本語で書くか、身を削ってきました。そんな私が、いつも私の日本語の先生としたのが、この本です。紙面にただ踊る漢字とひらがな、でも、それを読むことの中で、読者が活き活きとした違う世界を、自発的、創造的に描き、そして、共感する。まさに、この本には、それがあります。しかも、限りなく美しいことばのつらなりで。

子どもたち、私は、いつもこの本と勝負してきました。これ以上のすばらしい日本語を書きたいと。残念ながら、未だに負け続けています。

四月からの仕事

来年度は、前期は、京都の花園大学で、後期は、母校の上智大学で教えることが決まりました。花園大学での授業は、13年目を迎えます。何とか、実際に教室で教えることができることを祈りながら、授業の準備に入りました。

 

また、中学や高校からの講演依頼が続いています。少しずつ、講演もできるようになりました。嬉しいことです。

 

執筆は、昨日、「たかがニュース、されどニュース—報道から見える現代日本」の加筆が終わりました。4月には、書店に並ぶこととなります。面白い本です。楽しみにしていてください。

 

相談は、少し落ち着いてきていますが、入試に関係する深刻な相談が多く、命に関わるものもあり、必死に対応しています。

 

いずれにしても、かつての通常の世界に戻るまでは、まだまだ長い期間が必要です。それまで、与えられた仕事を丁寧にしながら耐えていきます。一日も早く、「夜回り」をしたいです。

読書三昧 ⑨

「橋のない川」1 住井すゑ著

 

子どもたち、私は、小学校六年生の時に、この本「橋のない川」を母からもらいました。そのころの私は、有頂天でした。勉強もできました。スポーツもまずは問題なく。クラスでも人気者、いつも、友人たちに囲まれていました。そんな私は、いつも不思議に思っていました。私が、いくら百点をとっても、うれしい顔をしない母、その日のことを自慢げに話しても、喜ぶどころか、哀しい顔すらみせる母を。そんな私に母がくれた本が、この本でした。私は、この本を読んで、震えました。泣きながら、そして時に怒り狂いながら、何度もこの本を読みました。そして、生き方が変わりました。

 

子どもたち、世界には、多くの「差別」があります。「差別」とは、「本人の努力によってどうすることもできないことで、不当な扱いをすること」をいいます。男女差別、人種差別、職業差別、部落差別など、たくさんの差別が、今も残っています。私たちの国、日本でも、憲法第十四条で、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と決められていますが、現実には、たくさんの差別が、ありますし、それによって、多くの人たちが、不利益を被るだけではなく、生活を脅かされたり、あるいは、明日を奪われたりしています。この本は、それらの差別の中で、部落差別について、書いたものです。

 

子どもたち、君たちは、自分を人とくらべたことはありませんか。自分は、あいつより、頭がいい。自分は、あいつより顔がいい、自分は、あいつより金持ちだ。自分は、あいつより幸せだ。そして、その人を見下し、それどころか、つきあうこともやめてしまう。きっとあると思います。子どもたち、これが「橋のない川」、越えることのできない川、まさに「差別」の始まりなのです。私の母は、これを教えてくれるために、私にこの本をくれました。あいつとわたし、むこうとこっちの間に、「橋のない川」を作ってはいけないと。

 

子どもたち、私たち人間のこころの中には、生まれながらに、他人よりよくありたいという欲望が住んでいます。まさにこれが、「差別」を生み出していきます。私たちの社会から、この許すことのできない「差別」をなくすためには、まずは、君たち一人ひとりが、この欲望と、日々戦い、そして抑えて行かなくてはならないのです。私は、この本を読んでから、ずっとそう生きてきています。だれとの間にも、どんな人たちとの間にも、絶対に「橋のない川」は、作らないと。

 

読書三昧 ⑧

「シッダルタ」 ヘルマン・ヘッセ著

 

子どもたち、仏教といえば何を思い出しますか。「お釈迦様」、「仏さま」、「南無阿弥陀仏」、「南無妙法蓮華経」など、いろいろなことを思い出すと思います。でも、「お釈迦様」は、釈迦牟尼、シャカ族の尊い人という意味ですし、「仏さま」は、仏陀、悟りを開いた人という意味です。「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」は、仏教が誕生して、相当たってから作られた祈りのことばにすぎません。仏教とは、どんな思想、信仰なのでしょう。

 

仏教は、紀元前5世紀頃、インドのシャカ族の王子、ゴータマ・シッダルタが、それまでインドで広く信仰されていたバラモン教の教えやウバニッシャド哲学の学問を元にして、開いた世界観、人生観、そして人のあるべき生き方です。我が国日本には、中国や朝鮮半島から、六世紀に伝わりました。そして、今に至るまで、私たち日本人に多くの影響を与えた宗教です。日本には、学校の数よりはるかに多くのお寺があります。また、お葬式も、お坊さんを呼んで、仏教のお経を上げていただいてすることが多いです。でも、子どもたち、君たちの多くは、この仏教がどのようなものか、知らないと思います。悲しいことです。

 

子どもたち、シッダルタは、私たちの人生を見切ります。ただ一言、「一切皆苦」ということばで。「生」、「老」、「病」、「死」、これを、彼は、「四苦」と呼びます。人は、必ず、生まれ出て、そして老いていき、病になり、そして死ぬ。これは、だれも避けることのできない運命です。ここに救いはありません。でも、逃げることもできません。それでは、私たち人間は、どう生きればいいのか。どうやれば、救われるのか。彼は、ただあたまだけで考える人ではありません。この究極の問を、みずから日々生きていくことの中で、生き方を求め変えていくことの中で、求め続けます。答えは・・・。

 

子どもたち、君たちが仏教について持つイメージや考えは、シッダルタの死後多くの人たちによって、シッダルタの思想が、仏教という宗教として、また数多くの宗派として、作られたものに対するものです。子どもたち、私は、仏教という宗教の根本にある、シッダルタの悩み、苦しみ、そして思索、生き方、その中から作り上げた、彼の世界観、人生観、何より、人としてのあるべき生き方を、君たちに知って欲しいと考えています。そのためには、このヘッセの「シッダルタ」は最良の本です。ここには、人として生きている仏さまがいます。君たちの仲間としての先輩としての仏さまがいます。