夜回り先生 水谷 修
公式ブログ

Osamu Mizutani Official BLOG

今年で70歳になります

私は、今年の五月で70歳になります。

 

私は、中学一年生から識字学級で教えはじめ、高校時代も私塾をやっていましたから、55年教員生活をしてきました。

また、33歳から、夜間定時制高校に勤務し、37年間「夜回り」を繰り返してきました。

22年前からは、水谷青少年問題研究所を作り、悩み苦しむ子どもたちに寄り添ってきました。

この間、全国各地で、5500本の講演を行ってきました。のべ、350万人の人たち、子どもたちに、薬物や命、生や死、人生について語り続けてきました。

また、69冊の本やコミックを作り、子どもたちや大人たちに、多くのことを伝えてきました。今年、私の生きてきた年数と同じになる70冊目の本を出版します。

 

私は、この活動を命が消える日まで続けたいと考えています。

 

特に、私がこの70年生きた中で学び経験した多くのことを、講演を通じて、一人でも多くの子どもたちに伝えたいと考えています。

 

そのために、今回クラウドファンディングを行うこととなりました。

 

もうすぐ始まります。

 

私の人生の集大成だと考えています。

 

 

私にとっての講演

私は、今まで5400回近くの講演を、全国で行ってきました。そのうち半数は、少年院や少年の保護施設、中学校や高等学校での講演です。

 

私にとって、最も大切なのは、子どもたちに直接語ることのできる講演でした。薬物の危険性、いじめの問題、SNSに潜む問題、命の大切さ、亡くした子どもたちの哀しみ、多くのことを伝えてきました。多くの子どもたちが、涙を流し聞いてくれました。

 

私にとって、「夜回り」や「命の相談」は、すでに問題を抱えた子どもたちをどう昼の世界に戻し、生きる力を回復させるかという、対処療法でした。

 

しかし、講演は、私の話を通して、子どもたちが、夜の世界に迷い込まないようにしたり、薬物の魔の手に捕まらないようにする、またいじめを防ぎ、自死へと進まないようにする予防のためのものでした。

 

しかし、学校等の機関には、予算がありません。用意できても、一万円から三万円程度です。現在まで、できる限り、指定の予算や無料での講演を続けてきました。それも、資金的に限界に来ています。

 

この三年間、数回沖縄に行き、30校の中学、高校を無料で回りましたが、かかった費用は、80万円以上のお金がかかりました。

 

私は、何としても、私の「いのちの授業」を、できる限り多くの子どもたちに伝えたいと考えています。

 

そして、このたび、「夜回り先生の講演会を全国のこどもたちに」というクラウドファンディングを行うこととなりました。

 

月末には、私のホームページで活動が始まります。

 

クラウドファンディングは、3月5日(木)より4月30日(木)まで行います。

今回のクラウドファンディングは、All or Nothig。つまり、予定の1000万円が集まらない場合は、不成立で、すべてのお金(手数料は引かれます)を返金することとなります。

 

70歳になる私の最後の挑戦、夢です。

 

ぜひご協力、拡散をお願いいたします。

嬉しい写真が届きました

今日、一枚の嬉しい写真とメールが届きました。

 

大阪万博会場で、家族五人で撮った、笑顔一杯の写真でした。

 

メールは、

「先生憶えていますか。高校二年の時に、わるい男にひっかかり、覚醒剤漬けにされ、売春させられていました。

 

私の町を、先生が夜回りしたとき、先生に捕まり、先生に事情を話したら、すぐに、母さんに電話して「私が預かります」

 

そのまま、先生のホテルに。そして、次の日には、飛行機で先生の家に。嫌だという暇もなかった。

 

その後、肥前病院に入院して、それからまた先生の家に。

 

先生の家では、悪いことをしました。先生や奥さんの財布からお金を盗み、デパートで色々なものを買いました。きっと先生は、気づいていたと思います。でも、何も言わなかった。

 

先生の家から、地元に戻り、定時制高校を卒業し、飲食店で働きました。そこで知り合った人と結婚し、今は、関西で幸せに暮らしています。子どもも、三人います。幸せです。

 

先生、必ず、先生たちから盗ったお金返しに行きます」

 

こんな幸せがなければ、戦えません。

一番の幸せ

先日、初めて勤めた夜間高校で教えた生徒と再会しました。

 

彼は、高校時代は横浜でも有名な暴走族の一員。学校でも、問題が多く、職員会議で何度も退学処分について議題になった生徒でした。そのたびに、守りましたが。

 

私は、彼が大好きでした。彼は、権力や強いものには、かみつき喧嘩を売りますが、いつも仲間思いで、特に繊細なこどもたちに対して思いやりをもっていました。

 

彼は、今は、自動車販売会社を経営しています。

 

また、講演に行くたびに、全国どこでも、かつて関わった子どもたちが来てくれます。子どもたちといっても、もういいお母さんやおじさんになっていますが。

 

かつて、「死にたい」と毎晩のように私にメールしてきた少女が、今や三人の子どものお母さん。彼女が言いました。「先生、生きてて良かった」

 

私にとっての一番の幸せは、関わった子どもたちの幸せな姿を見ることです。

 

 

私は、だれ一人救っていません

私は、36年間夜の世界を這い回り、また、この二十年間は、家では、メールや電話での子どもたちからの救いを求める声に応え続けてきました。

 

一人の子も死なさないはずの戦い、でも、すでに405名の尊い命を失っています。

 

何度も、夜の世界から昼の世界に戻ろうと考えたことはあります。一つの命をしなうたびに、「夜回り」を止めよう、相談を受けることを止めようと思いました。それでも、続けてきたのは、私の元に届くたくさんの「ありがとう」のことばのおかげです。

 

かつて関わった子どもたちからの、「今は、幸せです」、「生きてて良かった」、「先生ありがとう」。これらのことばが私を支えてくれました。

 

よく、私にこういう人がいます。「先生は、たくさんのこどもたちを救ってきた」と。そのたびに、私は、こう答えています。「私は、だれ一人救っていません。ただ、一人ひとりに、その時々、全力で寄り添ってきただけだ」と。

 

人は、人を救うことなどできません。人は、自分で自分を救わなくてはなりません。私は、その手伝いをしてきただけです。また、それを、死ぬまで繰り返していくだけです。