夜回り先生 水谷 修
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Osamu Mizutani Official BLOG

「破壊」ではなく、「反省」を

私は、数年前、ある有名な人と会いました。七十代後半、日本の戦後の歴史の中で、いつも中心的に動いておられた方です。

 

彼は、今の日本を、そして日本人を、特に日本の若者たちを、嘆いておられました。長期的な明日への展望を持たず、ただ人気取りに走る政治家、他人のことや貧しい人のことを考えず、ただ今が幸せなら、楽しければと、ただその日を生きる国民、ちょっとしたことで明日を捨てふてくされ、あるいは心を閉ざし引きこもる、夢と輝きを失った子どもたち。ただ、ひたすら怒りのことばが続きました。

 

私は、返す言葉もなく、こんな社会を作ってしまった一人として頭を下げ聞いていました。

最後に、彼から、「こんな国は、一度壊せばいい。すべてを壊して、そしてそこから地に足をつけ、一人ひとりの人が、這いあげればいい」という一言が出ました。

 

私は、その一言には、頭を上げ、そしてことばを返しました。「それだけは、勘弁してください。確かに、政治家も経済人も、国民も子どもたちも、腐っているかもしれません。だらしないと思われることも、よくわかります。でも、この国を混乱させたときに、一番つらい思いをし、そして苦しみ、その被害者となるのは、こんな国にしてしまった、私たち大人ではなく、何の罪もない子どもたちです。壊すのではなく、ゆっくりと時間がかかっても、少しずつ、この国や国民、子どもたちを変えていくこと、私は、その道を選びたいです」

 

みなさん、「破壊」はたやすいことです。目の前の荒れ地を、ブルドーザーを使って、踏みつぶし、平らに整地することは簡単です。でも、そこに何が残るのでしょう。

目の前の荒れ地の雑草をていねいに、とても手はかかりますが、日々、そして年月をかけて、雑草を抜き、でも、美しい花は残して整地していけば、いつかは、そこはすてきな花畑になるでしょう。

 

確かに、今の政治や経済は混乱し、そして私利私欲におぼれているように見えます。でも、政治家の中にも経済人の中にも、そのことにこころを痛め、明日のために動いている人はいます。

確かに、大人たちも子どもたちも、自分のことしか考えず今が良ければと、ただ自己中心に動いているように見えます。でも、その人たちのこころの中にも、これではいけない、なんとかしなくてはならないという想いはたくさんあります。「破壊」は、悪いものもなくしますが、同時にいいものをもつぶしてしまいます。

 

今私たちの国に求められているのは、「破壊」ではなく「反省」です。私たちの社会の間違えているところは、謙虚に反省し、すみやかに痛みを伴っても変える。私たちのこころの中の、醜い部分は、それぞれの人がそれを捨てる。まずは、今、あなたが。

二つの生き方

みなさん、人の生き方には二通りの生き方があることを知っていますか。

 

一つは、信じて生きる生き方、もう一つは、疑って生きる生き方です。みなさんは、どんな生き方をしていますか。

 

私のもとには、たくさんの疑って生きる生き方をしている子どもたちからの相談のメールが届きます。「先生、中学の時、仲良くしていた友だちにいじめられてから、人を信じることができなくなった。高校では、いつも一人、ぽつんと寂しく過ごしていた。高校を卒業してから、今のスーバーに就職したけど、何か、みんなが私のことを嫌っているような気がして怖くて・・・。仕事を辞めたい」

私は、いつもこう答えます。「君は、なぜ一度の裏切りで人を信じることを止めてしまうのですか。世の中にはどれだけ多くの人がいますか。そのすべての人が、君を裏切り、そして君を傷つける人ですか。私は、そうは思いません。まずは人のために何かしてごらん。多くの人と触れあってごらん。必ず、君を認めてくれて、君の明日を拓く手伝いをしてくれる人と出会えます。まず、今日君は、私を信じてこころを拓いてくれました。明日からは、回りのもっと多くの人にこころを拓いてごらん」

 

子どもたちは弱い。当たり前です。人生経験が少ないから。でも、いちどのいじめや嫌な経験で、人を信じることを止めて、そしてこころを閉ざして生きることは、哀しいことです。そこに救いはありません。

 

私は、子どもたちよりずっと長く生きてきました。たくさんの人たちと触れあってきました。

確かに、数え切れないほど、裏切られましたし、そして嫌な思いもしました。でも、決して人を信じることを止めませんでした。ですから、たくさんの友人や生徒を手に入れることができました。

 

考えてごらん。もし、私が、君たち子どもたちをいつも信じることなく疑う教員だったら。どれだけ多くの子どもたちのこころを傷つけたでしょう。今、私が幸せなのは、人を信じ続けてきたからです。

 

また、みなさん。私は、人は、当然あなたも、汚れのない真っ白なこころで生まれてきたと信じています。生まれたときに、人のものを盗ろうとか、人を傷つけようとか、いじめようとか、考えながら生まれてくる赤ちゃんはいません。でも、そんな真っ白なこころで生まれてきた人が、人を傷つけたり犯罪を犯すのは、その人がそのように環境や人との出会いで、こころを汚されたからと考えています。

 

そんな人のこころを、もう一度真っ白にする、それも夜回り先生の仕事です。人を信じよう。

商店街は、こころを売る

みなさんやみなさんの家族は、食料を買い物するとき、どこに行きますか。

多分ほとんどの人が、車で郊外のスーパーに、と答えるでしょう。

 

今、日本人の多くが、スーパーマーケットで買い物をします。確かに、スーパーは、便利です。野菜、魚、肉、調味料からお菓子、飲み物、大きいスーパーなら、衣類や調理器具まで、すべての商品が一カ所で手に入ります。価格も安いですし、品質管理もきちんと行われており、安心、安全です。かごをカートに載せて、店内を一回りすれば、あっという間に、必要なものすべてが手に入ります。今や、日本中で、スーパーのない町を探すことは、難しいでしょう。

 

でも、その一方で、かつてはどの町にも、その中心にあった商店街が、どんどん潰れて行っています。私は、講演で全国を回りますが、どの町でも、シャッターを閉じ、人影もまばらになった商店街を目にします。確かに、商店街で買い物をすることは大変です。魚屋、八百屋、肉屋、乾物屋、一つひとつの店を回りながら、欲しいものを買わなくてはなりません。手間もかかるし、体力も使います。でも、私は、商店街が大好きです。

 

私が住む町には、まだ元気のいい商店街が残っています。私は、休みの日は、できる限り商店街で買い物をしています。

商店街での私の買い物は、まずは魚屋からです。私の住む町は、相模湾に面していて、おいしいさかながたくさん取れます。私が店先に立てば、すぐに元気な声が飛んできます。「先生、今日は休みかい。いいすずきがあがってるよ。刺身でもムニエルでも何でもおいしい。少し持っていきな。それに、このめとういかも。ゆでて、酢味噌で食べてみな」次には、八百屋に。八百屋のおばあちゃんが、私に話しかけてきます。「この三浦の春キャベツは最高だよ。朝取りだ。持っていきな。いいかい、春キャベツは甘い。千切りにすると苦みが出るから、むしって食べてみな」金物屋の前を通れば、奥にいたご主人から呼び止められます。「先生、こないだ買ってもらった包丁、まだちゃんと切れてるかい。包丁は、ちゃんと研いで、切れるようにしとかないとだめだよ。切れない包丁じゃ、刺身も野菜もまずくなる。いつでも研いでやるから持ってきな」

わずか百メートルの商店街を一周するのに、一時間以上はかかります。でも、帰りには、その季節の旬のおいしい食材がたくさん手に入ります。料理の知識とともに。

 

みなさん、スーパーは、ものを売ります。良い商店街は、こころを売っています。商店街の人たちは、一人ひとりがその商売の専門家として、いつもお客さんのことを考えながら、商品を仕入れ、売っています。

 

みなさん、こころを買いに商店街に行ってみよう。

 

 

新型コロナウィルスワクチン

昨日、90歳の母が、無事に新型コロナウィルスワクチンの一回目の接種を受けることができました。

5月4日の第一回目の申し込みは、開始時間から、妻とネットに張り付きましたが、とることができず、5月10日の第二回目の申し込みで、何とか予約することができました。

 

私の住む神奈川県葉山町では、町内をシャトルバスが、定期運行して、会場に高齢者を連れて行ってくれます。母が高齢のため、私も一緒に行きましたが、接種会場では、ほとんど待つこともなく、スムーズに摂取を受けることができました。昨日の摂取から一日母の様子を見ていますが、多少の関節痛を訴える程度で、元気です。

第一回目の摂取と同時に、第二回目の予約もできました。

 

しかし、ワクチン接種については、国の施策は、あまりにもひどく失敗したと言うべきでしょう。ワクチンの数だけでも、全国民が接種できる数を手に入れていれば、インフルエンザのワクチンのように、近くの医院等で、スムーズに摂取を受けることができたでしょう。

また、日本ほどの国で、ワクチンの自国開発でいまだにできていません。友人の医療関係者は、日本の薬に対する法規制の厳しさと、開発への資金援助が不十分だからだと、熱弁していました。

ワクチン接種についても、医師、看護師のみならず、歯科医師、獣医と、超法規的に摂取できる人員を増やせば、もっと早く進めることができるし、コロナ患者の治療に当たる医師や看護師の人たちの労働を軽減できるはずです。しかし、その動きは、ほとんど見えません。既得権益を守ろうとする医師会の圧力があるといううわさも飛んでいます。困ったことです。

 

いずれにしても、平穏なときは、どんな指導者でも、国を守ることはできます。しかし、緊急時になれば、その時こそ、指導者の力量と想いが見えてきます。現在のところ、菅首相は、この国を担う能力はないようです。

自然を聞こう

みなさんは、歌が好きですか。

 

いろいろな歌があります。でも、歌には、四つの種類があることに気づいていますか。

まずは、一人称の歌、「私は、俺は・・・」自分の思いを語っている歌。私は、いつも一人称の歌を聞くとこう思います。「勝手にそう語ればいい。好きにしろ。でも、人に押しつけるな」と。いつも、一人称の自分を語る歌には、その人の傲慢さを感じます。

次に、二人称の歌。「君は、あなたは・・・」だれかに対して、歌を通じて何かを伝えようとする歌。私は、二人称の歌を聞くとこう思います。「歌う前に叫べばいい。遊ぶなよ。かっこつけるな。弱い奴だな」と。

三人称の歌もあります。特に三人称でも、「みんな」を歌う歌には、嫌悪を感じます。「君の勝手な思いで、人に何かを求めるなよ。君の傲慢さで人を動かさないでくれ」と。

でも、最後に、自然を歌う歌があります。目の前に、歌われた美しい景色や花が広がってきます。そして、こころを癒やしてくれる。たくさん学校で歌ってきたと思います。そんな歌を聞くといつもほっとします。

みなさんは、どんな歌が好きですか。

 

今回は、私は、厳しいことを書いています。それには、理由があります。

私のもとには、数多くのメールや、自分の思いを詩集にした本が、届きます。そのほとんどが、自分の思いやだれかへの思いを書き綴ったものです。

過去に捕らわれ、今に苦しみ、それを、だれかに向かって吐き出したものです。私は、いつもそれらを読んで哀しくなります。

ちょっと外に出て、周りを見渡せば、桜や数多くの花が、私たちのこころを暖かくしようと、必死に咲き誇っているのに、見ていない。外に出れば、ウグイスや多くの鳥たちが、私たちを励まそうと、必死に美しい歌を歌ってくれているのに、聞いていない。

ただ、暗い部屋で、こころを閉ざし、その苦しみをだれかに押しつける。

みなさんは、どうですか、そんなメールをだれかに送ったことがありませんか。相手を苦しめることも考えず、ただ自分のその時の感情のままに。

 

お願いがあります。今は、春、自然がその美しさを一年の中で最も誇る季節です。しばらくの間、歌を聞くことを止めませんか。家でも、移動するときでも。

そして、花や鳥の美しさに寄りそってみませんか。

しばらくの間、メールやネットに自分の思いや人への気持ちを書くこと止めよう。そのかわり、あなたがその日出会った、美しい花や鳥の声のことを、できるだけていねいに書こう。そして、多くの人に知らせよう。それが、あなたのこころを癒やし、回りの人を幸せにしてくれます。