夜回り先生 水谷 修
公式ブログ

Osamu Mizutani Official BLOG

今日は、朝まで事務所待機です

今日、8月31日は、一年の中で最も「死にたい」の相談が多い日です。

9月1日からの、新学期の始まりの前日で、1学期に、いじめや不登校などに苦しんだ生徒たちが、明日から学校が始まるというプレッシャーで、死を意識する日です。

 

昨日夜から、事務所に待機し、相談に対応していますが、今年は、例年と比べ、圧倒的に相談件数が少なく、重い事例もほとんどありません。二学期の再開時期が、8月の四週にずれた地域が多かったこともあるでしょう。

 

また、生徒たちの自死の報道もほとんどありません。このまま、過ぎてくれることを祈っています。

 

来週には、私の新刊「もうすぐ死に逝く私から、今を生きる君たちへ—夜回り先生、いのちの講演」が、全国の書店に並びます。私の61冊目の本です。「夜回り先生」シリーズの最後の本となります。すべての悩み苦しむ人たちへの、私のメッセージを書き込みました。ぜひ読んでみてください。

 

 

 

 

 

明日から長野県です

明日は、朝一で車で長野県に移動します。

久しぶりに北アルプスの山々を見てこようと考えています。

青春時代に、毎月のように登っていた山々を、明日は下から眺めてきます。

 

夕方からは、高校時代の友人と会います。久しぶりに、温泉でゆっくりしながら一杯やろうと思っています。

久しぶりの休日です。

 

来週からは、いのちの対応です。最も生徒たちの自死の多い時期です。

すでに相談システムはきちんと構築していますが、私自身も、そのシステムの中で、子どもたちのいのちを守ります。

ことばと文字

私は、すでに六十冊の本を書いてきました。数え切れないほどの文字を紙に刻み込んできました。

また、五千回以上の講演会や数え切れないほどの数の授業で、たくさんのことばを発してきました。

 

そんな私が、今、みなさんを見ていて、気になることがあります。それは、みなさんが、だれかとじかに向かい合って、お互いを見つめながら話すことばと、相手の顔が見えない、手紙やメールなどの文字の違いをきちんと理解していないのではないかということです。また、ことばや文字の恐ろしさをきちんとわかっていないのではないかということです。君自身はどうですか。

 

 ことばは、独り言の場合を除けば、まずはだれかと向かい合って、そのだれかに対して、同じ時、同じ空間の中で発するものです。話し相手が目の前にいるわけですから、よほど感情的になっていない限り、当然その人の表情や体の動きを気にしながら、気を使いながら発します。相手も同じです。そうして互いに思っていることや感じていることを伝え合います。また、相手と確認し合いながら話し合うわけですから、その時発する一つひとつのことばに責任を負います。目の前で苦しんでいる人に「苦しめ」、「ざまあみろ」と言うことのできる人は、まずいないでしょう。ほとんどの人が、「どうしたの」、「だいじょうぷ」と優しく声をかけるでしょう。ことばには、優しさの入る余地があります。

 

 文字は、ことばとはまったく違います。目の前にいない相手に対して、その顔や表情を見ることもできず、一方的に発するものです。だからこそ少し前までは、私たちは文字を大切にしました。手紙にしても、メールにしても、よく知っている人に対してしか、出しませんでした。しかも、文字はずっと残るものですから、何度も見直し、相手を傷つけたり、相手に嫌な思いをさせないように気を使って書きました。

 

今、みなさんはどうですか。多くの若者たちが、メル友を持ち、会ったこともない相手に、自分のことや自分の想いを無造作に書き捨てています。インターネットの掲示板やブログでも、自分の一瞬の感情を無責任に書き込み、それに対してのもっと無責任な書き込みに一喜一憂しています。また、その匿名性を利用して、「死ね」、「殺す」、あるいは「死にます」、「さようなら」こんな人を傷つける、時によっては人の命を奪う文字を安易に書き捨てる人もいます。哀しいことです。

 

みなさん、お願いです。ことばと文字を大切に使おう。特に、文字を。メールやネット、つまり文字で、みなさんのこころや想いを伝えるのは、まだみなさんでは無理です。

四度目のワクチン接種

今日、四度目の新型コロナウィルス感染予防のためのワクチン接種をしてきました。今のところ、副作用もなく、三度目の時のような肩の痛みや倦怠感なく、無事に過ごしています。

 

私は、身体の中に異物を入れることは好みません。普段からまず薬をどんなときでも服用することはありませんし、今しきりに宣伝しているサプリメントなど死んでも使いません。

 

身体の中に、不自然な異物を入れることは、当然様々な副作用や危険を伴います。人は、自然に生きていればいいのです。

 

それでも、私が、ワクチンを打つことには理由があります。新型コロナウィルスに感染して死ぬことは、自己責任。それはいいのですが、このウィルスは、もし感染すれば、人に移してしまいます。そして、他の人を死の危険に追い込んでしまいます。私は、それを避けたいためにワクチンを接種しています。

 

ところで、「旧統一教会」にかんしての報道が毎日のように報道で取り上げられています。何か、違和感を感じます。どんな宗教を信じようが、それは個人の自由。これは、憲法で保障されています。その信じた宗教に、全財産を命も捧げようが、それも個人の自由なのではないでしょうか。

 

私の元には、たくさんのこのような団体を信じて、苦しむ人たちやその家族からの相談が来ます。でも、私からできることは限られています。そんな相談を受けるたびに想うことがあります。

 

本来宗教は、人を幸せにするためにあるものであって、そこに金銭のやりとりや他の宗教の否定などあるはずもない。それなのに、多くの宗教は、信じる人たちから、お金を受け取る。そして、他の宗教を否定する。この矛盾が理解できません。

 

私のこの相談所は、一切無料です。お金は、確かに生きていく上で必要なものですが、その時苦しんでいる人からもらうものではありません。お金は、労働で得るものです。

 

今回の件、宗教界全体の問題として考えるべきでしょう。信仰に、なぜお金が必要なのでしょう。多分答えることができる宗教団体は、限られるでしょう。いや、ないかもしけません。

からだの点検

この一週間、ぼろぼろになった身体の点検をしています。

左目がぼやけてしか見えない症状は、角膜の一部の炎症とわかりました。

胃がんと大腸ガンについては、現在のところ再発は抑えられていました。

もう少し、生きることになりそうです。

 

皮膚の関節部分の炎症については、年齢によるものでしょうがないということになりました。

 

からだは全体は、長年にわたる過重労働でいたるところにガタが来ているそうです。

 

明日は、四度目のワクチン接種です。副作用については覚悟しています。私自身が感染し、他の人に感染を広げる危険に比べれば、たいしたことはありません。

 

今月は、講演は、今回の検査のために入れていません。その間に、少し養生します。

 

九月に発売する新刊の予約が始まりました。

こころを込めて命の大切さを語った本です。是非読んでください。九月九日に全国の書店に並ぶはずです。