夜回り先生 水谷 修
公式ブログ

Osamu Mizutani Official BLOG

方言、すてきです

今、私は、講演で日本各地を回っています。そして、各地の方言を実際に耳にしています。方言素敵です。でも、今消えつつあります。哀しいことです。

 

子どもたち、君たちは、方言を知っていますか。また、自分の住む土地の方言を話すことができますか。

子どもたち、私が、最も大好きで、君たち子どもに最も使うことば、それは「いいんだよ」です。たぶん、教員としての私が、生徒に、最も数多く言ったことばです。私は、地方の人たちとあうたびに、この「いいんだよ」をその地方では方言で何というのかを聞き続けています。山形の幼い頃の友人は、「んだ、んだ」かな、それとも「ええど」かな。頭をかしげていました。関西の友人は、それは「かまへん、かまへん」だろうな、二回言うところに意味があると、一人納得していました。福岡の知人は、「よかと」だよと、確信した顔で言い切っていました。私が最も長く住んだ町、横浜では、まず間違いなく、「いいじゃん」でしょう。

でも、こうやって方言を文字で書くと、何か哀しくなります。方言とって一番大事な、イントネーション、つまり抑揚が文字では表現できません。君たちの住む土地では、「いいんだよ」は、何ですか。

 

 子どもたち、私は、方言が大好きです。方言には、その土地の歴史が、そして、その土地に根付き生きてきた人たちの想いが、たっぷりとつまっています。

でも、今、その方言が、次々と消えていこうとしています。哀しいことです。これは、まず間違いなく、私たち作家の作る本、新聞、そして、ラジオ、テレビの、影響だと思います。君たちが、学校で使っている教科書のせいもあると思います。教科書も本も、ほとんどすべて標準語で書かれます。また、ラジオやテレビに出演するほとんどの人が、標準語で語ります。

でも、子どもたち、知っていますか。標準語というのは、実は、日本のことばの中で、最も歴史が浅く、そして常に変わりながら進化していることばです。

 

確かに、日本中の人が、常におなじことばを使い、実に簡単にコミュニケーションを取ることができること、これはすごいことです。しかし、これによって失うものもあることは、私たちは、忘れてはいけないと、私は、考えます。方言の持つ土地の歴史、風土・・・。方言は、その土地、土地の土の香りがします。また、その土地に生きた人たちの、涙や汗がこもっています。

 

 子どもたち、そうだ、君のおじいさん、おばあさん、あるいは両親から、方言を教わりませんか。そして、日々の生活の中で、少しでいいから、使ってみませんか。きっと、からだの中から、暖かさがにじみ出てきます。なんといっても、君の祖先が使ってきた大切なことばですから。そういえば、私の最も好きな方言に、沖縄の方言「なんくるないさ」があります。この意味を、近くの沖縄出身の人に聞いてみませんか。

やっといったん戻りました

長野、静岡、長崎、鹿児島、佐賀、静岡と、連日複数の講演を行い、昨夜夜、いったん戻りました。

今日は、これから、車で富士吉田市に向かい、講演です。明日からは、再度九州に。

 

忙しい日々が続いていますが、各地で待っていてくれる今まで関わったこと子どもたちとの出会いと、彼らの笑顔が喜びです。

 

ブログもきちんと書くことができなくなっています。

落ち着いたら、きちんと報告いたします。

 

さて、富士山に向かって出発です。

講演が続いています

5月11日の千葉県松戸市での講演から始まり、八王子市の創価大学、東京品川区、長野県長野市、神奈川県藤沢市と、連日講演が続いています。

今日は、夜千葉県習志野市での講演です。

 

どの講演会場にもたくさんの人が来てくださります。感謝です。

こころを込めて、子どもたちの哀しみや苦しみを語り続けています。

 

明日は、神奈川県平塚市、明後日は静岡県浜松市、まだまだ講演が続きます。

 

安楽死、自死に関する考察

芸能人の自死が報道されています。

その影響か、私のところにも多くの死を求める子どもたちからの相談が続いています。

 

かつて、ここに書いたものですが、私の見解を再度ここに書き込みます。

 

  • 安楽死について(ベビードゥー事件の事例)どう思うか。

ベビードゥーの事例において、両親は、重度の障がいを持って生まれた子どもの安楽死を病院に要請した。私は、この両親の判断は、間違いだと、いや、それどころが殺人に値する犯罪だと考える。

 

出生した子どもは、その子ども自身が、私たちと同様、生きる権利と、幸せになる権利をすでに持っている。また、その生き方についても、自分自身で決定する権利を持っている。ただ、子どもの場合、その権利主張や生き方の選択は、まだ自分自身ではできないために、それを親が守ることとなっている。その子どもを守るべき親が、障がいがあるという理由で、その命を奪うことは許されることではない。

 

これを認めてしまえば、たとえば、2016年に神奈川県で起きた「相模原障がい者施設殺傷事件」において、事件後加害者が、報道機関に語った、「重度の障害者を生かすために莫大な費用がかかっている。重度の障がい者は安楽死すべきだ。事件を起こしたのは不幸を減らすため。殺害した自分は救世主だ。犯行は、日本のためだ」というあまりにひどい論も一考しなくてはならなくなる。

 

しかし、現在の日本では、これと同様のことが日々行われている。出生前検診である。この検診で、障がい者が生まれる可能性が高いと診断を受けた多くのケースで、妊娠中絶が行われているという事実がある。私は、これも許すことができない。出生前とはいえ、お腹に宿った尊い命を、障がいを持って生まれる可能性が高いという理由で中絶する。ここに、私は、かつてのドイツにおいてヒットラーの指揮下にナチスが行った優性主義政策と同様の影をみる。障がいも一つの個性として、ともに共生できる社会をめざす現在において、これは、犯罪といってもいいだろう。

 

ただ、その一方で、障がいを持つ子どもを育てることは、たくさんのお金が必要で、また多くの労苦を伴うことも事実である。それを解決するためにも、子どもは、親のものではなく、国の宝、国をあげてどんな子どもであれ、守り育てていくという政策が必要である。特に、障がいを持つ子どもを育てる家庭に対しては、諸費用の補助、人的補助などを、さらにきちんと法整備し、各地方自治体と協力して、守っていくことが求められている。

 

  • 積極的な安楽死を認めるべきかどうか、合法化すべきか否か。

日本では、現行の法律のもとで、消極的安楽死、つまり積極的治療を停止することにより、結果的に患者を死に至らせることは認められているが、積極的安楽死、つまり、致死性の薬物の服用や投与により、患者を死に至らせることは、原則として認められていない。

 

しかし、オランダでは、消極的安楽死はもとより、積極的安楽死を法的に認めている。ただし、以下の四つの条件が付けられている。

  • 患者は不治の病である。
  • 耐えがたい苦痛がある。
  • 患者は死にたいと希望している。
  • 実施するのは医師で、他の医師と相談した。

私は、これを認めることができない。確かに、耐えがたい痛みの中で死を訴える患者や親族を見るに見かねて、その死を幇助する。その行為を、違法として犯罪として裁くことには、違和感はおぼえる。しかし、当然現在の医療水準から見れば、何らかの緩和医療は可能であるはずだし、精神的な苦悩についても、ターミナルケアなどの精神的援助や投薬により、対処可能なはずである。

 

私にとって、安楽死を認めると言うことは、自分での積極的安楽死とも言うべき自死を認めることと同じである。自分の命は自分のものだから、自分で生死を判断できる。だから、自殺してもいい、ということになってしまう。現に、日本では、たくさんの人たち、特に若者たちが、いとも簡単に自ら命を絶っている。その後、嘆き苦しむ人たちが、たくさんいるにもかかわらず。

 

はたして、その人の命は、その人だけのものなのだろうか。私は、そうは思わない。その人を生んだ親、愛する人、大切な友人、すべての人のものだと考える。その人の死は、残された多くの人たちを悲しませ、苦しめる。この理由だけでも、私にとって、許されることではない。

 

もし、どうしても、日本で安楽死を認めると言うことになるのならば、オランダでの四つの条件にあと一つ条件を付け足すべきである。

その条件とは、

  • 患者と関わりを持つ家族や友人すべての人の同意があること。

誰が考えても、この五つ目の条件を満たすことは不可能である。そうである以上、私は、安楽死は、認めるべきではないと堅く考えている。

 

死は、私たちに決定権のある選択権のある行為となってはならない。生まれてきた以上人は必ず死ぬ。でも、それは、受け入れるものであって、求めたり決定したりするものではない。私は、そう考える。

 

忘れないでください。死を求め語る人たち、子どもたち。

命は、あなただけのものではありません。

 

生きてください。今求めなくても、いずれ死は訪れます。その日まで、生きぬいてください。

 

今日は、私の誕生日です

今日は、私の66回目の誕生日です。

思えば、長く生きてきたものです。

先日、山形での講演の時、私が、30代始めに教えた教え子と食事をしました。

そのとき、彼が言ってくれたことば、「先生は、変わらないね」

これが、私にとっては、最も嬉しいことばでした。

思えば、10代の頃から、同じ道をずっと歩き続けてきました。同じ事を繰り返しながら、自分を磨き、また同じ道を歩む。

 

今日から、まもなく訪れるだろう死の日まで、私か、変わらず、同じ道を歩き続けていきます。

 

さて、これから、久しぶりに来月90歳を迎える母や家族と食事に出かけます。ささやかな、お祝いです。

 

そして、明日からは、また歩き続けます。