夜回り先生 水谷 修
公式ブログ

Osamu Mizutani Official BLOG

明日は福岡です

明日は、朝一で福岡に飛びます。

午後から、雑誌の対談取材と撮影です。

 

このところ、いじめの相談が増えています。しかも、いじめというより犯罪というべき内容の相談です。

いじめられた生徒本人とその親と連携しながら、解決に当たっています。中には、学校や教育委員会が動かないケースもあり、警察と直接相談することも増えています。本来ならば、私のところに来る前に、学校と家庭、教育委員会と警察や法務省の人権機関が力をあわせて解決すべきなのですが。まったくその連携は、現在の日本では、できていません。

 

私の住む葉山も寒さの厳しい日が続いています。今週末には、青森に行かなくてはなりません。今年はじめて、マフラーと手袋をタンスからだしました。

信じて生きる

人の生き方には二通りの生き方があることを知っていますか。

 

一つは、信じて生きる生き方、もう一つは、疑って生きる生き方です。君たちは、どんな生き方をしていますか。

 

私のもとには、たくさんの疑って生きる生き方をしている子どもたちからの相談のメールが届きます。「先生、中学の時、仲良くしていた友だちにいじめられてから、人を信じることができなくなった。高校では、いつも一人、ぽつんと寂しく過ごしていた。高校を卒業してから、今のスーバーに就職したけど、何か、みんなが私のことを嫌っているような気がして怖くて・・・。仕事を辞めたい」

 

私は、いつもこう答えます。「君は、なぜ一度の裏切りで人を信じることを止めてしまうのですか。世の中にはどれだけ多くの人がいますか。そのすべての人が、君を裏切り、そして君を傷つける人ですか。私は、そうは思いません。まずは人のために何かしてごらん。多くの人と触れあってごらん。必ず、君を認めてくれて、君の明日を拓く手伝いをしてくれる人と出会えます。まず、今日君は、私を信じてこころを拓いてくれました。明日からは、回りのもっと多くの人にこころを拓いてごらん」

 

子どもたち、君たちは弱い。当たり前です。人生経験が少ないから。でも、いちどのいじめや嫌な経験で、人を信じることを止めて、そしてこころを閉ざして生きることは、哀しいことです。そこに救いはありません。

 

私は、君たちよりずっと長く生きてきました。たくさんの人たちと触れあってきました。確かに、数え切れないほど、裏切られましたし、そして嫌な思いもしました。でも、決して人を信じることを止めませんでした。ですから、たくさんの友人や生徒を手に入れることができました。子どもたち、考えてごらん。

もし、私が、君たち子どもたちをいつも信じることなく疑う教員だったら。どれだけ多くの子どもたちのこころを傷つけたでしょう。今、私が幸せなのは、人を信じ続けてきたからです。

 

また子どもたち。私は、人は、当然君も、汚れのない真っ白なこころで生まれてきたと信じています。生まれたときに、人のものを盗ろうとか、人を傷つけようとか、いじめようとか、考えながら生まれてくる赤ちゃんはいません。でも、そんな真っ白なこころで生まれてきた人が、人を傷つけたり犯罪を犯すのは、その人がそのように環境や人との出会いで、こころを汚されたからと考えています。

 

子どもたち、そんな人のこころを、もう一度真っ白にする、それも夜回り先生の仕事です。子どもたち、人を信じよう。

講演が続々と中止になっています

岐阜県での講演、岡山県での講演と、講演会が、新型コロナウィルス感染拡大の影響で続々と中止となっています。仕方ないことですが、寂しいです。

 

明日は、東京での講演、会場の入場者数を減らした上で、ネットでの配信も同時に行い、実施となりました。

 

実は、このところ、私の元へのいのちの相談が、異常に減っています。子どもたちがみんな元気だからならいいのですが。これも、新型コロナウィルス感染拡大によるリモートワークなどで、家族が近くにいるからかもしれません。少し、様子を見ていきたいと考えています。

 

その一方で、十代の子どもたち本人やその家族からの、大麻の使用についての相談が急速に増えています。大麻の乱用が、十代の若者たちに拡がっていることを、実感しています。

 

今度の国会には、大麻取締法の改正が提案されるはずです。現在までは、大麻そのものの所持がなければ、使用しても逮捕することはできませんでしたか、改正されれば、大麻そのものがなくても、尿検査などで反応が出れば、使用のみで逮捕できることとなります。この改正案については、反対する人たちもたくさんいますが、暴力団の資金源として、若者たちの間に大量の大麻が流れている現在、私は、この改正は必要だと考えています。

羽鳥さん、あなたは間違っています

今日、テレビ朝日の朝の番組で、羽鳥慎一氏が、栃木県内のJR電車で、喫煙を注意した高校生に対して、注意された男性が暴行を加えけがをさせ逮捕された事件について、コメントを出していました。

その内容は、「高校生の行動は、正義感から来る勇気ある行動だと思うけれど、そのような人間は話の通じる相手ではないから、危険であり、話が通じないのだから、相手にしないほうがいい」という内容でした。言い方を変えれば、正義感で注意するより、傍観者でいればいい。見て見ぬふりをすればいい。このような内容でした。

これは、許すことのできない発言です。

確かに、一人ひとりの人間には、私たちの国では、行動の自由が保障されています。他者の財産や身体、命に被害を与えない限り、その人が、この高校生のように正義感から不正をただそうとしてもいいし、それは、危ないからと知らぬふりをしてもいいのです。羽鳥氏がその場にいて、何の注意もせず、傍観していたとしても、それは、法的に何の問題もないでしょう。それは、自身の道徳心、倫理観の問題なのですから。

一部のネットでは、同じ車輌にいた多くの人が、その暴力を止めることもせず傍観していたことについて、その乗客たちを責めています。責める人たちの気持ちはわかりますが、法的には、何ら問題のあることではないでしょう。ただし、その人たちの人間としての尊厳については、問題があります。それは、その人たちが、すでに感じていることと思います。

この高校生の行動は、本来、人間が持つべき道徳心や倫理観を、私たちに教えてくれています。私は、賞賛すべきもので、彼に対して羽鳥氏のように語ることは、許されるべきものではないと考えます。

羽鳥氏のように感じ、語る人がいるから、虐待や学校でのいじめはなくならないのでは無いでしょうか。自分が巻き込まれないように、いじめを見ても知らんぷりをする。近くの家庭の虐待に気づいても、関わりたくないからと気づかないふりをする。このような傍観者としての生き方を認めていいのでしょうか。

いのちは大切なものです。しかし、いのちより大切なものもあるのではないでしょうか。それは、人間としての尊厳です。

日本にも関係の深いコルベ神父は、収容されたアウシュビッツ収容所で、妻子のいる収容者の代わりに「私は、神父で、妻も子もいませんから」と、自らすすんで餓死刑で処刑されました。彼の死を、だれが愚かだと言うことができるのでしょう。ここに、人間にとって最も大切な尊厳があります。

羽鳥氏は、私もテレビ朝日で話したこともあり、心優しい素晴らしい人だということは知っています。速やかに、この発言の真意をきちんと語り、謝罪してくれることを望みます。

京都は雪でした

一昨日は、京都で講演会でした。

新型コロナウィルス感染拡大による規制強化の前に、何とか実施できました。

多くの方々に、こころを込めて講演してきました。

 

京都は、その日の夜から雪が降り続き、翌朝には、一面の銀世界でした。久しぶりに雪の京都を見ました。

 

実は、15年間教壇に立った花園大学を、この三月で定年退職することとなりました。毎週通っていた京都、これからは少し遠い場所となりそうです。

 

明日からは、また岡山に戻り講演です。