夜回り先生 水谷 修
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Osamu Mizutani Official BLOG

忙しい日々が続きます

明日は、朝一で福岡県福岡市に移動。厚生労働省薬物乱用防止九州大会での講演です。ハイブリッド方式で、福岡県内の大学生にも講演します。

それが終わった後は、新幹線で京都に移動します。

 

明後日は、大阪の高校での講演。その後は、FM京都で、12月に放送する番組3本の収録です。

 

花園大学を退官してから、久しぶりの京都です。明後日の夜には、京都の仲間たちと情報交換をしてきます。

 

このところ、中学生の、特に中学三年生の自死が急増しています。多分そのほとんどは、高校受験がらみだと考えています。私の存在に気づいて相談してくれればいいのですが。また、私の新しい本を読んでくれればいいのですか。

 

昨晩も、一人の少女の自殺未遂の連絡で、私の事務所は、徹夜でその保護に動きました。相談してくれれば、誰かが気づけば救うことのできる命なのですが。

人は、なぜ悩み苦しむのか

かつて、フランスの哲学者パスカルは、「人は考える葦である」と語りました。これは、名言です。人類が、この地球上でこのように栄えたのは、まさにこの「考える」能力を身につけたからです。

かつて、すべての動物が、日々その日の糧を狩猟、採集し、自然の驚異の中で、ただひたすらその日を生きていました。今も、ほとんどの動物は、そうして生きています。唯一人類は、この「考える」ことによって、食料を自ら農耕によって生産することを手に入れ、さらに道具を使用することで、その生産効率を上げ、その結果、生活の中に「ゆとり」を手に入れ、その「ゆとり」が、さらに「考える」能力を高め、学問や科学を人類にもたらしました。

また、生きとし生けるものの中で、唯一人間が作り出した農耕は、富を生み出しました。農耕で作られる穀物は備蓄できます。その備蓄をたくさん持っている人や集団に、それを持たない人や集団は、飲み込まれ、支配されていくこととなりました。こうして、持てる者と持たざる者、つまり貧富の差を生み出しました。富を手にして、富のないものを支配する。これが、古代国家を作りました。

かつて、古代においては、持たざる者は、奴隷として、自由を奪われ、まさに動物のように、ただその日を生きぬくために、働きました。これは、現在も続いています。かつてと比べれば、はるかに自由ですが、それでも、日々生きていくために、自分の時間を、労働というかたちで持てる者に売り、そこから得た収入で生きています。

さて、それでは、この人をしてこの地球の支配者とした「考える」能力は、人にとって幸せなものだったのでしょうか。多くの人は、何をつまらないことを言うのか。幸せに決まっていると答えるでしょう。でも、本当にそうでしょうか。そうだとしたら、この世界に生存する、人以外のすべての生きとし生けるものは不幸ということになります。

こう考えてみましょう。野に咲く花が、温室で最高の環境で育てられている花を羨むことがありますか。野良猫が、家猫を羨むことがありますか。人以外のすべての生きとし生けるものは、その与えられた環境や境遇をすべて受け入れ、その中で必死に生きぬいています。しかし、人は、「考える」能力を持ってしまったが故に、人を羨み、嫉み、自分を否定し、悩み苦しんでいます。この「考える」能力こそが、人に不幸をもたらした元凶といえるのではないでしょうか。

これから宮城県に

今日は、これから宮城県大崎市に向かいます。新幹線の駅では、古川駅になります。

 

明日は、このちかくの色麻町で、午前には中学校で生徒たちへの講演。午後からは、町民講演会です。どんな子どもたちが待っていてくれるのか楽しみです。

 

このところ虐待の相談が続いています。それも、20代後半から40代までの過去に親からの虐待を受けた人たちからです。虐待は、いじめもそうですが、それを受けているときにきちんと対処し解決していかないと、それを受けた子どもたちのこころに深い傷を残し、その後の人生に暗い影を落とし続けます。また、時がたってからでは、それを償わせることも、難しいです。

 

ただ、過去を捨てて、親も捨てて、今から明日のために生き直しましょうとしか言えない私自身がつらいです。しかし、それしかないのです。過去を変えることはできませんが、明日を過去で汚さず作ることはできるのですから。

私の母

私の母は、今年で九十歳になりました。

横浜市で小学校の教員を勤めながら、女手一つで私を育ててくれました。三歳から十一歳までは、山形の祖父母のところに預けられましたし、実は、実際に私を育ててくれたのは、この祖父母です。

 

母は、自由人です。いつも自分の好きなように生きています。多分それが長生きの秘訣でしょう。年金暮らしの母にとって、趣味は、買い物。そして、人と会うこと。コロナ下で人と会うことが危険なときでも、自由に出かけていました。昨日も、鎌倉で友人と会い、食事をしてきたようです。

 

今日は、母の五度目の新型コロナウィルスワクチンの接種日です。午後から、病院に連れて行くのですが、午前中から何度も出かける用意をして部屋から出てきます。少し、ぼけも始まっています。

 

いつまで一緒に生きていけるのか、もしかして、私の方が先に逝ってしまったら母はどうなるのか。いつも私の方が心配しています。

 

今週は、週末に、再度宮城県での講演です。中学校での講演と町民講演会の二本立てです。

島根、岩手、長野と回ってきました

島根では、中学生たち740名へのZoom講演。岩手県盛岡市では、薬物乱用防止講演、長野県須坂市では、PTAのみなさんへの教育講演でした。

 

移動距離が長く、昨日戻ったのですが、くたくたです。

 

でも、どの会場でも、多くの人たちが熱心に聞いてくれました。感謝です。

長野市では、久しぶりに繁華街の「夜回り」をしました。心配していたほど、子どもたちはいず、薬物の売人も危険な若者たちも影をひそめていました。

 

その一方で、いじめやリストカット、自死の相談は、途切れることなく続いています。ほとんどのケースは、学校関係者や児童相談所などの関係機関との連携で、なんとか解決することができています。

 

また、このところ、市販薬の乱用についての中高生からの相談が増えています。いのちに関わる危険な行為です。関係機関に通報し、その解決を図っていきます。