夜回り先生 水谷 修
公式ブログ

Osamu Mizutani Official BLOG

教員の不祥事について

このところ語ることもおぞましい教員の不祥事、いや犯罪が報道されています。哀しいことです。

 

確かに、私が現職だったときも、生徒の着替えを盗撮していた教員がいましたし、捕まえたこともあります。生徒と不適切な関係になった若手の教員を処分したこともあります。痴漢で捕まった教員もいますし、生徒へのひどい体罰で処分された教員もいます。賭け事のためのサラ金からの借金で処分された教員もいます。修学旅行費を使い込み処分された教員もいます。

 

教員もみなさんと同じ人間です。一定数の悪いことをする人はいます。

 

でも、このところ報道されるケースは酷すぎます。教員として以前に人間として許せない行いをしています。きびしく罰せられるべきです。

 

ただ、みなさんに伝えたい。酷い教員、悪い教員はいますが、ほとんどの教員は、子どもたちのために、日々真面目に生きています。ぜひそのことを忘れないでください。教育から、信頼ということばが失われたら、そこに教育は成り立たなくなってしまいます。

 

その教育への信頼を守るためにも、関係者は、該当校の管理職はもちろん教育委員会の幹部、教育長は、きちんと責任を取ってほしいと願います。それが、上に立つ人のあるべき責任です。いつも、それをきちんと行わないから、さらに教育に対する信頼が損なわれていきます。

 

明日から、広島、福岡と講演です

明日は、東広島市での講演です。明後日は、福岡県で、三つの講演をします。

忙しい日々が続きます。

 

また、週明け16日には、私の新刊「新編 夜回り先生」が、書店の店頭に並びます。一人でも多くの子供たち、大人たちに読んでほしい一冊です。

 

本を一冊書き上げることは、すでに67冊の本を出している私にとっても、大変な作業です。今度のこの本は、三年の月日をかけて書き上げた渾身の一冊です。多くの人に④でもらえることを願っています。

大学入学金及び受験料の問題

   現在、多くの私立大学が、試験直後に入学金の納入日を指定し、複数の私立大学や公立大学を受験する受験生が、入学金の二重払いを強いられ、また、それを避けるために、本来なら複数の大学を受験したいにもかかわらず、それが、問題で、受験を諦めている。

 この問題については、「学納金返還訴訟」が行われたが、2006年の最高裁判決で、入学金は、大学に入学するための対価であるという理由で、退けられた。

 実は、この問題は、隣国韓国でも、長く大きな問題とされ、2017年には、すべての私立大学が、2022年までに段階的に廃止しすることが、決定され、すでに解決している。

 また、アメリカでは、そもそも入学金そのものが存在せず、入学が決まれば、まず、「Deposit」として、300ドルから500ドルを支払い、それは、入学後の授業料に充当される。

 ヨーロッパでは、多くの国が、国立大学の場合、大学の授業等が、無料である。イタリア、スペイン、スイスなど有料の国もあるが、その金額は、日本と比べてきわめて安価だ。当然、入学金そのものが存在しない。

 立ち返って考えれば、入学しない生徒から、入学金を徴収すること自体が問題である。しかも、私は、花園大学、上智大学で、教えていたが、ほとんどすべての私立大学は、徴収した入学金を、通常の大学運営のための資金として転用している。これについては、ぜひ、文部科学省を動かし、全国すべての私立大学の入学金が、それぞれの大学でどのように使われているのかを調査していただきたい。入学してこない生徒から徴収した入学金を、大学運営に使用することは、本来の入学金の目的に反した行為である。私は、日本の多くの私立大学は、教育機関というより、ある意味での営利団体だと考えている。その見方からいえば、日本の商法に違反する違法行為である。

 また、入学金が、一律20万円から30万円程度で横並びに設定されていることも問題である。その設定根拠についても、すべての大学に、その根拠の提示を求めるべきである。

 

提案

 

  • 一番の解決方法は、入学金を廃止することである。国から大学運営のための助成金を受け取っているのだから。また、国は、廃止したならば、そこにかかる費用を助成すべきである。教育は、消費や浪費ではなく、こどもたちへの投資、ひいてはこの国の明日への投資なのだから。
  • 入学金の納付期限を、すべての大学の合格発表が終わる、3月中旬以降に、しかも同日に設定すれば、生徒たちは、入学する大学の入学金のみを支払うこととなり、この問題は解決する。
  • 大学が、合格発表以降、入学予定者に対する事務作業等で一定の費用がかかるのでそれでは、大学運営に支障が出るというのならば、その実際の費用を各大学が明確に算定し、その費用のみを、入学手続き後、アメリカのように徴収するシステムにすれば解決する。きちんと入学した生徒からは、入学後に、入学金との額を徴収すれば良い。
  • また、すべての大学に、入学金の金額設定の根拠を提示させ、それぞれの大学が、実際に入学までの諸費用として必要な金額で、入学金の金額設定を求めるべきである。
  • また、最悪の場合の一案ではあるが、宿やツアー旅行のキャンセル料のように、二月中の入学辞退ならば、全額返金、三月中旬までならば、5割返金のように、通常の商法上の規定に準拠させる方法もある。(私自身は、これは最悪の解決方法だと考えているが)

次に、大学受験料について、提言したい。現在、ほとんどの私立大学は、一律3万円程度の受験料を徴収している。(ただ、同じ大学で、いくつかの学部を受験する生徒の受験料の軽減をしている大学も存在する)しかも、「大学入学共通テスト」を受験に利用する大学も、同じ受験料を徴収している。これでは、4万5千円程度の支払いが必要になる。これも、多くの生徒たちやその家庭にとって大きな負担となっている。

アメリカの大学では、ほとんどすべの大学の受験料は、数十ドル、一万円以下である。

まずは、その受験料が、どうしてその金額に設定されているかの根拠を、各大学に説明させてほしい。私は、花園大学で教えていたが、厳密に受験にかかる費用を受験生で割った場合、一万円以下の金額で収まる。本来受験料は、受験に実際にかかる費用だけを徴収すべきもので、もしも、その受験料の一部が、大学の通常の運営費用に流用されていれば、それは大きな問題である。入学できない生徒たちか集めたお金を、他用することになるのだから。

また、この問題は、大学のみに当てはまらない。高校受験においても、公立高校の受験料は、だいたい2200円程度、国立高校の場合は、9800円、それに対して、私立高校では、平均22000円となっている。私は、長く公立高校で教えていたが、いつもなぜ私立高校が、そんな高額の受験料を徴収するのか疑問だった。これについても、各私立高校に、その金額設定の根拠を、明示させるべきである。

 

提案

 

・大学の受験料については、その大学が、受験業務に必要かつ使用した金額を標準として、各大学がそれぞれ設定すべきである。大きな大学で、地方受験を行う場合は、受験料を同一にせず、大学設置地域での受験料と地方受験受験料を、実態に合わせて異なるようにすべきである。これは、地方の生徒たちにとって、交通費や宿泊費の軽減となる良い制度であるが、都市圏で受験する生徒から徴収したお金を、地方受験に使うことも大きな問題である。

 

 また、「大学入学共通テスト」は、このような問題を解決するために、嫌なことばだが「足切り」のために作られて試験だと私は考えている。もし、公立、国立だけではなく、すべての私立大学が、受験生に対するある程度の「足切り」のためのテストとして使うものならば、その存在価値はあるが、現在のように、中途半端な形で運営されることは、百害あって一利なし、単なる文部科学省の天下り機関(言い過ぎかもしれないが)である独立行政法人大学入試センターの収益のために実施しているとしか考えられない。廃止して、すべての大学が、独自の入試を実施すべきである。ぜひ、この法人について、その収支を調べていただきたい。

 

付記

 

これは、先日立憲民主党の「文教部会」の議員の方々に、参考資料として提出したレポートです。

新しい本を出版します

6月16日に新しい本「新編 夜回り先生」を出版します。

その出版までの経過を書いた、この本の「終わりに」の文章をここにのせます。

こころをこめて書き上げた本です。

多くの人たちの、子供たちのこころに届くことを祈っています。

 

 私は、すでに六十八歳、もうすぐもう一つ年を取ります。私が、夜の町を歩き始めたのは、三十四歳の時ですから、人生の半分以上を夜の町で子供たちとともに生きてきたことになります。長い道のりでした。数多くの夜の世界な沈む子供たちを昼の世界へと連れ戻してきました。

 また、今から二十五年前に、暗い夜の部屋で明日を見失い、生きることに苦しさを感じ、自らを傷つけ、市販薬や処方薬を過剰摂取し、死へと向かう子供たちの存在に気づきました。夜の町を彷徨う子供たちには、毎日「夜回り」を続けていけば、いつか出会える可能性があります。しかし、暗い部屋で、悩み苦しむ子供たちとは、それでは出会うことができません。

 そんな子供たちに向けて、「夜回り先生という一人の大人が、君たちの存在に気づいたよ。一人で悩み苦しむのではなく、一緒に明日に向かって生きてみないかい」、そんな必死の想いで書き、2004年2月10日に出版した本が、ベストセラーとなった「夜回り先生」でした。日本だけではなく、韓国、台湾、フランス、インドネシアで、多くの子供たち、また大人たちに読まれました。日本では、最も本を読まない子供たちが、最も多く読んだ本の一冊といわれています。

また、この本の出版と同時に、「水谷青少年問題研究所」を設立し、そのメールアドレスと電話番号を多くのメディアで公開しました。以来、電話は数えきれず、メールは記録が残ります。総数は、すでに百三十万、関わった子供たちの数は、五十三万人になろうとしています。ほとんどの子供たちが、この「夜回り先生」という本で、私の存在を知り、相談してきた子供たちでした。

一つの命も失わないはずの戦いでした。でも、だめでした。すでに四百近くの尊い命を失いました。どの命も、失ってはいけない命、一つの命を失うたびに、私は、自分を責めました。後悔の連続、何度この戦いを止めようと思ったかわかりません。

それでも、戦い続けてきたのは、関わった子供たちのほとんどが、明日を見いだし、笑顔を取り戻してくれたからです。彼らからの「ありがとう」の一言が、私の戦いの原動力でした。

その「夜回り先生」の本が、三年前、紙の本としての出版が終わってしまいました。すでに、ネットでした読むことができない状況になっています。そのような中、ある少年院に勤める若い法務教官から、連絡がありました。私の本「夜回り先生」は、全国の鑑別所や少年院、少年刑務所に常備され、ほとんどすべての入所した少年たちが読んでいること。この本を読むことで、多くの少年たちが涙を流し、それまでの人生を顧みて、新しい人生を生き直そうとする一助となってきたことを知りました。また、少年施設では、ネットは使用できず、本も数多くの子供たちが読むことで傷んでしまっていることを知りました。彼は、何とかして、「夜回り先生」の本の再出版をして欲しいと私に頼みました。

私は、施設の子供たち、また、今も暗い夜の町を彷徨う子供たち、夜の暗い部屋で、明日を見失い、自らを傷つけ、死へと向かう子供たちのために、この本を、再出版することを決意しました。版権を最後の出版社から戻してもらい、また新しい版元を探し、そしてこうして再出版することとなりました。

再出版に当たって、私には、悩んでいたことがあります。原本のままで再出版するのか、再度書き下ろすのか、あるいは、原本の一部を残しながら加筆、再編集するのかです。そして、関係者との幾度とない話し合いの上、三つ目の道を選びました。ここまでに三年近い月日を費やしてしまいました。そして、この本「新編 夜回り先生」が完成しました。原本に書いたエピソードを中心にして、私の子供時代、青春時代のことを加筆しました。これには理由があります。私の元には、多くの子供たちから、「先生は、どんな子供時代や青春時代を過ごしたの」と聞かれてきました。そんな子供たちに、実は、私も君たちと同じ、悩み苦しみ生きてきたのだということを知ってほしかったからです。

この本は、私にとって、今まで何冊も書き続けてきた「夜回り先生」シリーズ、最後の一冊となります。私は、この本で、関わった子供たちについて書くことを止めます。

私は、ガンです。2007年に最初の手術をしてからすでに七回の手術を繰り返してきました。昨年の検査では、今のところ次の転移は発見されていません。また、老いました。そろそろ、死の足音が聞こえてきています。

これからも、命のある限り「夜回り」と子供たちからの相談に答えていくことは続けていきます。私は、戦後日本の教育界で最も子供を殺した教員です。その償いは、絶対にできません。失った命は、二度と戻らないのですから。でも、最後の日まで、夜の世界で、夜の世界の子供たちを昼の世界に戻すために生きていきます。

これが、「夜回り先生」水谷修に唯一許された生き方です。

この本が、多くの子供たちの心に届きますように。

 

 

子どもたちへ—No.31

 子どもたち、自分とは何でしょう。君たちの中には、毎日この問で苦しんでいる人も多いと思います。

 

 まずは、自分の姿を考えてみましょう。暗闇で君たちは自分の姿を見ることができますか。できません。昼の光の中ですら、鏡や水面の力を借りなくては、自分の姿を見ることはできません。しかも、もし君たちが自分を映した鏡にゆがみがあったら、どうなるでしょう。君たちは、今までの人生できちんとした鏡で自分自身の姿を何度となく見ています。ですから、鏡がゆがんでいるとすぐにわかり、きっと苦笑いするでしょう。でも、もし生まれたときからゆがんだ鏡で自分を見続けていたらどうなるでしょう。その姿が本当の自分の姿だと思いこんでしまいませんか。

 

 子どもたち、今度は君たちの性格やこころについて考えてみましょう。もしも、君たちが生まれてから今までずっと、「駄目な奴だ、どうしようもない奴だ」と言われ続けたらどうなるでしょう。きっと、本当に自分は存在する価値もない人間なんだと、こころを閉ざし、しゃがみ込んでしまったり、もう自分なんてどうなってもいいとふてくされてしまうでしょう。

 

 子どもたち、君たちは、自分というのは、自分で作るものだと思っていませんか。実は違います。自分は、その時代や周りの環境、接する人たちや経験によって作られていくものです。まさに今の君たち自身がそうやって作られたものです。君たちは、この世に真っ白なこころで生まれてきます。それが、生きていく日々と経験の中で、染められていき、そして、今君たちが、自分自身と考えているものになっています。

 

 今日、この日まで幸せな日々を過ごし、優しい両親や先生に恵まれた子どもたちも多いでしょう。でも、環境や親に恵まれず、いい先生たちとの出会いも、いい友人との出会いもなく、こころを汚されてしまった子どもたちも、数多くいるでしょう。自分を、駄目な人間だと追いつめ、明日を求めることを止めてしまった子どもたちも、たくさんいるでしょう。

 

 その子どもたちにお願いがあります。過去のそして今の自分を捨ててみませんか。そして、明日から、もう一度すべての先入観や自分自身の思いこみを捨てて、新しい環境に出てみませんか。新しい人たちとの出会いを作りませんか。洋服の趣味も変え、言葉遣いも変え、行く場所も、行く時間も、つきあう人もすべて変えてみませんか。そして、明日を、自分を、一から作り直しませんか。苦しんでいる子どもたちへ、今までの自分を捨てることで、苦しみから逃れることができます。明日が自然にやってきます。新しい明日が。