夜回り先生 水谷 修
公式ブログ

Osamu Mizutani Official BLOG

今日は、母と一日病院でした

私の母は、93歳、一緒に暮らしています。検診で、心臓の再検が必要だとのことで、今日は、母を連れ、大きな病院に行ってきました。

 

私は、この二十年以上、ほとんど家にいることはなく、全国を駆け回ってきました。久しぶりに一日一緒に過ごしました。母の、心臓については、年齢によるものでしょうがないとの医師の判断でした。

 

しかし、久しぶりに一緒にいた母は、だいぶ物忘れを多く、からだも小さくなり年老いた姿でした。

 

そんな母の一言に震えました。母は、私がガンであることは知っています。「私より、先に死なないで」このことばに、震えました。

 

でも、そればかりは、どうしようもないことなのですが。哀しいです。

やはり、年は年です

土曜、日曜と、埼玉県各地で、五本の講演をしてきました。数多くの方々が、それぞれの会場に集まってくれました。

 

こころを込めて講演してきました。講演後には、昔、大宮駅で夜回りをしていたときに関わった少女も来てくれました。今やお母さんになっていました。幸せそうな姿に安心しました。

 

また、ある女性からはねご主人が若い頃に私の本を読んで、生き方が変わったという話を聞きました。今や五人のお子さんを、必死に働き育てているそうです。

 

ただ、昨日遅く戻ったのですが、やはり病上がりの私には、きつい日程だったようです。今日は、一日身動きできませんでした。年は年です。年には勝てません。

 

もうすぐ、私の「夜回り先生」シリーズの最後の一冊が出版されます。楽しみにしていてください。

少しずつ体調を戻しています

昨日は、午前中に関わっているこどもたちを預かっていただいている薬物関係の施設に行きました。私の友人の施設です。

 

心配していた二人の少女の明るい笑顔を見て、少し安心しました。回復までは、まだ長い道のりですが。

 

午後からは、教育関係の会議で東京の中心にいました。なかなか、管理用や政治家、専門家と称する人たちは、現場のこどもたちの困難な状況をきちんと把握していないようです。できるかぎり丁寧に話してきました。

 

今日は、一日休養しました。少しずつ体調も回復してきています。

 

明日は、神奈川での講演。週末は、埼玉県を回ります。

 

 

体調不良です

連休中は、ただ忙しく、だいぶからだを痛めつけてしまったようです。

 

それに、8日は、私の誕生日、ついに60代最後の年を迎えてしまいました。

 

この二日、せきが止まらず、からだも疲れ切っています。

 

そのような中でも、仕事は続きます。少しずつからだを休ませながら、何とか仕事をやり遂げていきます。

 

明日は、久しぶりに東京の施設訪問です。神戸から預かった少女と初めての対面です。彼女も楽しみにしているようです。朝一で、いってきます。きっと施設のこどもたちが、私に力をくれるでしょう。楽しみです。

子どもたちへ—No.30

 子どもたち、私は今宗教に引かれています。それは、なぜだと思いますか。

 

 私は、人類の歴史の中で、最も人を救ってきたのは、宗教だと考えているからです。人の悩みや苦しみ、生きることの辛さや、死の恐怖に対して、常に人に寄り添い、支えてきたのは、間違いなく宗教です。

 

 日本の歴史を振り返れば、江戸時代から明治のはじめまで、日本に孤児院はほとんど存在しません。その理由は簡単です。ある土地で親を亡くした孤児が出れば、お寺がその子どもを預かり育てたからです。またお寺は、地域の学校であり、住民の生死をきちんと記録する役所でもありました。また、数十年前まで、日本には精神科やカウンセラーはほとんど存在しませんでした。その理由も簡単です。人々は、苦しいとき悩んだときは、自分の地域のお寺に行き、僧侶に相談していたからです。

 

 子どもたち、ここで一つ勘違いしないで欲しいことがあります。私が、宗教といっているのは、ある特定の宗教や宗派を指しているのではありません。人が敬い畏れ尊ぶ信仰対象の全般を指しています。

 

 子どもたち、特に今を苦しむ子どもたちにお願いがあります。つらいとき、苦しいとき、ぜひ、身近な宗教施設に行ってみませんか。特に、死を意識している子どもたち、必ず行ってくれませんか。その宗教施設は、ある人には、キリスト教の教会でしょうし、ある人には、自分の地域の氏神である神社でしょうし、ある人には、自分の地域の寺院かもしれません。またある人には、自分の信仰する宗教の施設かもしれません。どこでもいいのです。そして、そこでしばらく時を過ごしてみませんか。私たち人類の長い歴史の中で、多くの先人たちが、自らの苦しみやつらさを、さまざまな宗教の力を借りて、乗り越えてきました。宗教が持つ、伝統的な力に一時でいいですから、身をゆだねてみませんか。

 

 ただ、付け加えておきます。私は、何らかの宗教を信仰して欲しいと言っているのではありません。多くの宗教の持つ伝統的な「何か」にそれぞれの宗教施設で触れて欲しいと言っているのです。

 

 子どもたち、君たちに聞きたいことがあります。寺院や神社、教会の敷地でつばを吐いたりできますか。したことがありますか。多分ないはずです。私たちのこころの中には、宗教的なものを畏れ敬うこころが、歴史の中できちんと培われてきています。

 

 子どもたち、私たち人間は非常に弱い存在です。一人で生きることはできませんし、いつも何かこころのよりどころを求め、必要としています。寺院や神社などの宗教施設には、必ず君たちのこころに響く何かがあります。