2025.05.04
子どもたちへ—No.30
子どもたち、私は今宗教に引かれています。それは、なぜだと思いますか。
私は、人類の歴史の中で、最も人を救ってきたのは、宗教だと考えているからです。人の悩みや苦しみ、生きることの辛さや、死の恐怖に対して、常に人に寄り添い、支えてきたのは、間違いなく宗教です。
日本の歴史を振り返れば、江戸時代から明治のはじめまで、日本に孤児院はほとんど存在しません。その理由は簡単です。ある土地で親を亡くした孤児が出れば、お寺がその子どもを預かり育てたからです。またお寺は、地域の学校であり、住民の生死をきちんと記録する役所でもありました。また、数十年前まで、日本には精神科やカウンセラーはほとんど存在しませんでした。その理由も簡単です。人々は、苦しいとき悩んだときは、自分の地域のお寺に行き、僧侶に相談していたからです。
子どもたち、ここで一つ勘違いしないで欲しいことがあります。私が、宗教といっているのは、ある特定の宗教や宗派を指しているのではありません。人が敬い畏れ尊ぶ信仰対象の全般を指しています。
子どもたち、特に今を苦しむ子どもたちにお願いがあります。つらいとき、苦しいとき、ぜひ、身近な宗教施設に行ってみませんか。特に、死を意識している子どもたち、必ず行ってくれませんか。その宗教施設は、ある人には、キリスト教の教会でしょうし、ある人には、自分の地域の氏神である神社でしょうし、ある人には、自分の地域の寺院かもしれません。またある人には、自分の信仰する宗教の施設かもしれません。どこでもいいのです。そして、そこでしばらく時を過ごしてみませんか。私たち人類の長い歴史の中で、多くの先人たちが、自らの苦しみやつらさを、さまざまな宗教の力を借りて、乗り越えてきました。宗教が持つ、伝統的な力に一時でいいですから、身をゆだねてみませんか。
ただ、付け加えておきます。私は、何らかの宗教を信仰して欲しいと言っているのではありません。多くの宗教の持つ伝統的な「何か」にそれぞれの宗教施設で触れて欲しいと言っているのです。
子どもたち、君たちに聞きたいことがあります。寺院や神社、教会の敷地でつばを吐いたりできますか。したことがありますか。多分ないはずです。私たちのこころの中には、宗教的なものを畏れ敬うこころが、歴史の中できちんと培われてきています。
子どもたち、私たち人間は非常に弱い存在です。一人で生きることはできませんし、いつも何かこころのよりどころを求め、必要としています。寺院や神社などの宗教施設には、必ず君たちのこころに響く何かがあります。
