夜回り先生 水谷 修
公式ブログ

Osamu Mizutani Official BLOG

明日は、楽しみです

明日は、テレビ関係、報道関係の仲間たちが、私のところに来てくれます。

 

今日は、明日用の食材を何とか手に入れました。田舎から届いた春の知らせ、山菜も用意しました。

 

若い仲間たちは、私のからだを気遣って早く来てくれるようなので、久しぶりに庭でのバーベキューでもてなしたいと考えています。

 

現在、日本の報道やテレビでの情報発信には、たくさんの問題と課題があります心ある人たちが、本当のことをきちんと話すことができない中、多くの愚かな人たちが、多くの人を欺き、その場限りの反応を求めて、過激な発言を繰り返しています。そして、それに多くの人たちが踊らされています。困ったことです。

 

私の言論や報道の世界での今後の在り方を考えてみます。

 

いまだ動けず

腰痛が、いまだ回復することなく、痛みとの戦いを続けています。

立つこともままならず、寝返りを打てば激痛。厳しい状態です。

 

医師からは、安静にして回復を待つよう指示されていますが、それにしても、原因となった福岡県小倉での講演会会場で階段を踏み外したときから、すでに一月が過ぎようとしています。このような状況の中で無理をしたことが、悪化の原因でしょう。

 

いずれにしても年を取ったものです。90歳をすぎた母の杖を借りて、家の中をなんとか移動しています。あまり人には見られたくない姿です。

 

今月は、明日Zoomでの対談が1本あるだけで、長い移動はありません。何とか、一日も早い回復のために静養します。

子どもたちへ

今、多くの子どもたちが、寂しさに苦しんでいます。私の元には、数え切れないほど、「寂しい、助けて」というメールが届きます。何か、日本中の子どもたちが、寂しさは、哀しいこと、つらいことだと、決め込み、そして、そこから逃れようと、ネットやメールの仮想現実の中に、落ちていっています。

 

また、一時の寂しさからの救いを求めて、夜の町で、ただ欲望から近づいてくる男たちに、身をまかす子どもたちすらいます。哀しいことです。

 

子どもたち、寂しさは、罪ですが。悪ですか。私は、そうは思いません。

 

 私は、寂しい子どもでした。三歳で、ただ一人の家族母と別れ、山形の寒村に預けられました。その村でも、標準語を話すからといじめに。村の広場の大きな木にかけてあったブランコは、よそ者は乗るなと、触ることすら認めてもらえませんでした。でも、夜、みんなが寝静まってから、一人でそのブランコに乗り、母のもとに飛んでいければと、大きくこいでいました。でも、当然母のもとにいけるわけはありません。べそをかきながら、家に戻りました。

 

でも、私は、その寂しさにつぶされることはありませんでした。遠くの母とつながりたい一心で、字を覚え、四歳からは、拙いひらがなで母に手紙を出していました。でも、嘘ばかり書いていました。「かあさん、ともだち、いっぱいいるよ。たのしいよ。しんぱいしないで」幼い私からの精一杯の母への想いでした。

 

小学校時代は、ゴムの長靴も買えずわら靴、運動会にはお弁当も持って行けないほど貧しい生活でした。私が、クラスのみんなと平等に勝負できるのは、勉強だけでした。だから、死にものぐるいで勉強しました。勉強だけは、一番になって母を喜ばせようと。私は、寂しさに負けませんでした。寂しいから、努力した。寂しいから、もっと寂しい母のために、生きぬきました。

 

 子どもたち、寂しさは、決して罪でも悪でもありません。人は、寂しいのはあたりまえです。一人生まれ出て、そして一人死んでいくのが、人の宿命ですから。むしろ、寂しさは、人の生きるための力です。寂しいから、人とかかわる。寂しいから、だれかの笑顔のために何かをする。よく、私に聞く人がいます。「先生は、なぜ夜回りをするのですか」と。私は、いつも胸をはって答えます。「寂しいから」と。

 

子どもたち、寂しさを力に。

 

追伸

 

いまだ腰痛は治ることなく、私を苦しめています。

来週からは、また仕事が始まります。

何とか今週中には回復を。

何とか戻りました

静岡、石川、広島、福岡と、連日周り、昨日やっと戻りました。

 

しかし、腰痛は激化し、今は、家の中でやっとの事で動ける状態です。

 

明日は、病院に行き、少し静養します。

年を感じます。

地獄のロードに

今日から、静岡、福岡、石川、広島、福岡と、八日間全国を回ります。

腰は最悪、すでに立っているだけで痛く、立ち上がるときは、激痛です。

でも、待っている人たちがたくさんいます。

ともかく、一つひとつの講演を、こころを込めて行ってきます。

 

さて、今日は、静岡県沼津市。行ってきます。