夜回り先生 水谷 修
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Osamu Mizutani Official BLOG

「夜回り先生」

私が、「夜回り先生」を出版したのは、2004年2月10日でした。この本は、日本のみならず世界で、200万人以上の人たちに読んでもらうことができました。

いまだに、この本によって救われました、生きる勇気をもらうことができましたという声が私の元に届きます。

 

実は、この本は、最初の版元サンクチュアリ出版から、その後小学館に版権が移り、つい先日まで、小学館文庫の一冊として販売されていました。私が、文庫本にしたのは、できるだけ多くの子どもたちに安い価格で読んでほしかったからです。

 

この紙の本の出版が終わってしまいました。すでに古本でない限り、デジタルでしか読むことができなくなってしまいました。

 

私は、今もなお紙の本の大切さを信じています。本は、芸術です。我々作家、そして編集者、デザイナー、写真家が力を合わせ作り出した芸術です。当然、紙の本として読んでもらうべきものです。

 

実は、「夜回り先生」を、再度紙の本として出版することとしました。しかも、私が直接書き上げた原本を、再度若い仲間たちと編集し直してです。まったく新しい本となるでしょう。来年初めまでには、出版します。楽しみにしていてください。新たな「夜回り先生 原本」を。

こころで観る

子どもたち、君たちはきちんと何かを見たことがありますか。きれいな花でもいい、青空でも、遠くの山々でも、お母さんやお父さんの顔でもいいです。きちんと見たことがありますか。

 

君たちのほとんどの人は、「水谷先生、いつもちゃんと見てるよ」と答えると思います。それでは、試してみましょう。目を閉じてください。そして、君が見たきれいな花や、どこまでも澄んだ青空、白い雪を乗せた山をきちんと思いだしてください。どうですか、きちんとその美しいすがたが、まぶたに浮かび上がってきますか。お母さんやお父さんの顔はどうですか。

 

たぶん君たちのほとんどの人は、「先生、何も見えてこないよ。こんなの無理だよ」と言うでしょう。でも、本当にそうでしょうか。私は、私を大切に育ててくれた祖父母の顔を、目さえ閉じれば、いつでも見ることができます。若いころ登った八ヶ岳の山々も、今年の美しかった桜も、いつでもまぶたに思い浮かべることができます。なぜかわかりますか。それは、いつも必死で想いを込め、ものを見ているからです。

 

 子どもたち、私たちの目は、すばらしいものです。うつくしいものをそのままのすがたで、写真のように私たちのあたまのなかに保存してくれます。ビデオのように動画でも保存してくれます。また、すてきなことを、こころに保存してくれます。

 

君たちは、目をそのように使っていますか。使っていないとしたら、何てもったいない生き方をしているんでしょう。子どもたち、お願いです。うつくしいものを見たら、きちんとそれを君たちのあたまの中に刻み込もう。方法は簡単です。目をつぶってもそのすがたがまぶたに浮かぶまで、きちんと見るのです。すてきなことがあったら、それをきちんと君たちのこころの中に刻み込もう。方法は簡単です。そのすてきなことを何度も何度も思い浮かべればいいのです。私は、哀しいとき、つらいとき、いつも目を閉じます。そして、かつて見たうつくしいものや、かつて触れたすばらしいことを思いだします。

 

 子どもたち、もう一つ君たちにして欲しいことがあります。目を閉じて、こころできちんとものを観て欲しいのです。私は、いつもそうしています。夜の街を我が物顔にさまよう若者たちを見れば、きっと君たちは、その瞬間に、『嫌な連中』と目を背けるでしょう。でも、私は、彼らを見たら目を閉じます。そして、彼らがなぜそんなふうに生きているのかを考えます。親から捨てられたのか。学校で勉強について行けなくなり自暴自棄になっているのかと。そして、もう一度彼らを見つめます。そして、彼らの目の中に哀しみを見ます。子どもたち、目を閉じてこころできちんとものを観よう。

新潟に行ってきました

27日(火)は、新潟県新潟市立巻西中学校と巻東中学校での講演でした。

 

久しぶりの中学生たちへの講演、こころを込めて亡くした子どもたちの想いを伝えてきました。生徒たちも、熱心に聞いてくれました。感謝です。

 

今回は、久しぶりに自分で運転し、往復800キロを走り抜いてきました。私の車は、すでに手に入れてから12年、15万キロを走った愛車ですが、楽しかったです。

私は、車が大好きです。何しろ運転しているときは、一人になれます。私が、唯一孤独になれるときかもしれません。

 

しばらく講演の予定は入っていません。今年二冊目の本を書き上げます。

薬物乱用は、犯罪か病気か

有名な俳優が、大麻の所持と使用で逮捕されてから、数多くの相談が来ています。その多くは、未成年の乱用者の親からの相談です。

 

薬物乱用は、犯罪か病気か。当たり前のことですが、薬物乱用は、日本の法律で禁止されている薬物を使用すれば、当然犯罪ですし、また乱用を続ければ、依存症という病気です。

 

問題なのは、薬物乱用について、一に犯罪、二に病気と考えるか、一に病気、二に犯罪と考えるかです。

 

薬物依存症の治療や回復に当たる専門家の多くは、また回復に当たるダルクなどの自助グループにとっては、一に病気、二に犯罪と捉えたいと考えています。もし、一に犯罪としてしまえば、乱用を止めたくて治療を求めてきた患者を警察に通報することとなり、治療を求める乱用者が減り、その結果乱用がさらに酷くなり、また拡大すると考えるからです。これには、一理あると思います。

その一方で、薬物の取り締まりに当たる警察や麻薬取締官にとっては、一に犯罪、二に病気です。乱用者は、日本の法率に反した行為をしているわけですが、まずは、その罪を償い、それとともに依存症の治療に当たるべきだという考え方です。当然、これにも一理あります。

 

それでは、友人や家族の薬物乱用に気づいた場合、どうしたらいいのでしょうか。まずは、警察や麻薬取締官に通報すべきなのか、それとも、専門の医療機関やダルクなどの回復支援の次女グループへの相談なのか。

 

私の場合を書いていきます。

私は、家族や友人から乱用者の相談を受けた場合、まずは、単なる乱用者なのか、それとも売人なのかを確認します。乱用者が、すでに売人になっている場合は、すぐに警察や麻薬取締官に通報することを勧めます。他の人の命や人生に多大な影響を与える薬物を他人に広めている場合は、その罪を償わせることと、その背景、暴力団にまで至る密売ルートを摘発することにより、乱用の拡大を抑えようとします。それと同時に、専門家や自助グループに結びつけ、罪を償った後の依存症の治療へと結びつけます。

 

また、乱用者本人が、止めたいと望んでいる場合は、ダルクなどの自助グループを紹介し、また状況によっては、専門医療機関を紹介し、依存症の治療、回復へと結びつけます。ただ、その後も乱用を繰り返す場合は、関係司法機関への通報をします。なぜなら、一番大切なのは、乱用者の命だからです。

 

どうぞ、私に家族や友人の薬物乱用で相談してくる人たちは、これを参考にしてください。ただし、医療機関でも、信用できるスキルを持った医療機関は少なく、自助グループの中にも、民間の回復のための営利的グループの中にも、問題を感じるものが少なくありません。どうぞ、私に相談してください。私の方から、紹介することができます。信頼できる機関や、病院、自助グループを。

 

子どもたちへ

 私は、この春、たくさんの花をただひたすら眺めました。見つめました。

 

子どもたち、君たちは、一本の木に咲くたくさんの花を、一つずつていねいに見つめたことがありますか。ぜひ、やってみてください。私は、この春、梅、こぶしからはじめ、桜、桃、山吹、つつじ、さつきと、たくさんの花を、眺めてきました。

 

そして、その一つひとつの花を時間をかけ、見つめました。同じ桜の花でも、一つひとつ大きさも色も微妙に違います。大きく花びらを広げ、その存在を周りに誇らしく示している花もあれば、日陰側の幹から、人の目から隠れるように咲いている花もあります。でも、どの花も美しい。

 

子どもたち、今日公園に行って、どんな花でもいいです。同じ種類のたくさんの花を見比べてください。そして、その中で、美しい花と醜い花を区別してみてください。できると思いますか。私は、できないと思います。それは、どんな花もそれぞれが美しいからです。

 

 子どもたち、私のもとには、たくさんの子どもたちから、自分の容姿に関する相談があります。「みんなからデブといわれてます。つらい、死にたい」、「自分の顔が、気に入らない。だれとも会いたくない」

 

また、町を歩いても、テレビの中にも、親や先祖から引き継いだ自分の大切な顔を、厚い化粧で塗り立てて、まったく違う顔にしているたくさんの若者たちに会います。整形手術で、自分の顔やからだを変えている人もいると聞きます。哀しくなります。

 

百の花には百のそれぞれ異なった美しさがあるのに、人間にはないのでしょうか。私は、そうは思いません。私は、講演で全国を回っていますし、大学の教壇にも立っていますから、たくさんの人たち、子どもたちに会います。どの人にも、その人にしかない美しさがあります。

 

ただ、こころにたくさんの哀しみを抱えていて、目から生きる力が失われ、自分の持つ美しさを潜めている人、こころに憎しみやうらみを抱え、斜めからしかものを見ることができず、自分の持つ美しさを汚している人もたくさんいます。でも、そんな人たちも、心の中の哀しみや汚れを取り去れば、みんな美しい。私は、いつもそう感じています。

 

 子どもたち、花はなぜ美しいのか知っていますか。それは、その短いいのちを精一杯生きているからです。雨に叩かれ、寒さに震えさせられても、ただひたすらそのいのちを次に繋ぐために生き抜いているからです。子どもたち、必死で競技に取り組むスポーツ選手、みんな美しくないですか。一心不乱に働く人たち、美しくないですか。子どもたち、お願いです。本当の美しさとは何か。きちんと考えてみてください。