夜回り先生 水谷 修
公式ブログ

Osamu Mizutani Official BLOG

子どもたちへ No.14

 子どもたち、人は何のために生きるのでしょう。生きなくてはならないのでしょう。

 

   私の元には、「先生、自分の命は自分のもの、死んでもいいよね」、「自分の人生は自分のもの、どう生きようと勝手だよね」、こういう内容のメールがたくさん来ます。私は、その一つひとつに、ていねいに答えています。「水谷は哀しいです。でも、ひとつだけ教えておきます。君の命は君のものではありません。君の人生も君のものではありません。君に託された、預けられたものですよ。人のために何かしてごらん。きっとわかるよ」と。

 

 子どもたち、君たちが今生きているということは、人類の誕生から、いや生命がこの地球上に誕生してから、一度も絶えることなく、命の糸が絶えることなくつながれてきたということです。君たちのおじいさん、おばあさん、先祖の誰一人が命を落としても、君たちは、今存在できません。

 

   子どもたち、歴史を思い起こしてください。君たちの命の糸を守るためにどれだけ多くの人たちが、大人だけでなく子どもたちまでもが、命を捨ててまで守ってくれたかを。あの広島や長崎での原子爆弾の惨禍の中で、多くのお母さんたちが、自らの背を炎に焼かれながらも、せめてこの子の命はと、我が子を抱きしめその命を守り亡くなっていきました。苦しかったでしょう。無念だったでしょう。我が子と寄り添い遂げることなく命を落とすこと。

 

   子どもたち、君たちの命は、人類の歴史の中で、君たちの命の糸を守るために無念の死を遂げた数え切れないほど多くの人たちから、託された、預けられた命なのです。「この命の糸を絶やさないで。次の命に必ずつないで」と。

 

 京都の三十歳の女性からメールが来ました。彼女は小中学校時代のいじめから、六年間引きこもりをしていました。

 

 「死にたいです。こんなにつらいのになぜ生きなくてはならないのですか」私は、彼女に「人のために何かしてごらん。わかるよ」と返事を出しました。彼女は、お隣に住むおばあちゃんのゴミ捨ての手伝いをはじめました。

 

 そして、知り合いの老人ホームで働き始めました。しばらくして、とびっきりの嬉しいメールが届きました。「先生、生きててよかった。今日私の担当のおばあちゃんがうんちをおもらしした。私が、一人でシャワーできれいにしてあげていたら、おばあちゃん、わたしのこと拝みながら、ありがと、ありがと・・・。私も泣いちゃった。先生、私わかった・人は何のために生きるのか、生きなくてはならないのか。だれかを幸せにするためになんだよね」私は、彼女にこう返事を返しました。「その通り。君は、もう水谷の学校は卒業だよ」

 

 今日届いた彼女からのメールには、すてきな彼が一緒に写っていました。

子どもたちへ No.13

子どもたち、もうすぐ冬ですね。水谷は、冬が大好きです。夏は苦手です。夏は暑苦しく、何か人とあまり関わりたくない季節です。人の多い場所にいると、それだけで疲れてしまいます。そして、熱気であまり深くものを考えたくなくなってしまいます。

 

また、夏は、何か町全体が、お祭りや花火大会で活気づいていて、夜回りをしていても、孤独を感じ寂しくなってしまいます。その一方で、君たち子どもたちは、こころが浮き立っていて、服装も何か危なげで、心配でたまりません。講演会場で、夜の町で、汗がだらだら、冬なら二日は同じ下着をそして三日は同じシャツを着ることができるのに、毎日替えなくてはなりません。移動の時の荷物も重くなりつらい季節です。

冬はいいです。心地よい冷たい風の中で頭が冴えわたります。感情的にではなく、冷静にものを考えることができます。何より、夜回りをしていても、子どもたちの数が圧倒的に街角から減ります。地下街のある町では、その地下に子どもたちが集まりますから、簡単に子どもたちと出会うことができます。

子どもたち、君たちは冬が好きですか。たぶん多くの子どもたちは、嫌いだというでしょう。寒くて自由に飛び回ることができないから。冬は、何かからだが縮こまり、寂しくなるから。

 

でもね、だから冬は最高なのですよ。からだが縮こまり動きが小さくなります。そんな時ごく身近な周りを眺めてごらんなさい。もしかしたら、君たちの側で、重い荷物に苦しむお年寄りが見えるかもしれません。そしたら、手伝ってあげてくれませんか。きっと返ってくる「ありがとう」のことばが、君たちのこころをぽかぽかにしてくれます。水谷はいつもそうやってこころを暖めています。

 

こころの中の寂しさや哀しみのこころを溶かしてくれます。また、遠くの空や山々を見てごらんなさい。空気がつめたく澄んでいますから、くっきりとその色や姿を現しています。

子どもたち、確かに冬は、何か寂しくもの哀しい季節です。様々なはでな彩りが自然の中から消え、また美しく楽しげな鳥の声も去ります。子どもたち、水谷はだから冬が好きなのです。

 

夜寂しげにたたずむ子どもたちの側に行き、話し相手になる、それだけでその子どもたちのこころに、私のこころにたくさんの暖かさが生まれます。家族のためにあったかいシチューや鍋料理を、料理の本を見ながら作り、家族みんなでわいわい食事する。これだけで、家族の中に暖かい優しさが生まれます。

 

子どもたち、お願いです。この冬に数多くの暖かさを作ろう。配ろう。

子どもたちへ No.12

子どもたち、私がとっても好きでよく使うことばがあります。それは、「でもね」です。私は、元先生、実は今でもこころの中では君たちの先生だと思っていますから、どうしても、君たち子どもたちから様々な相談を受けた後に、「でもね」ということばが出てしまいます。君たちは、使ったことがありますか。もし、使っていないとしたら、それは問題です。なぜなら、この「でもね」ということばは、私たち人間がきちんと生きていく上で、本当は最も大切なことばだからです。

 

 子どもたち、今君の前にお財布が落ちていたとします。周りに誰もいません。中を見たら三万円入っていました。きっと君たちのこころの中に、「このお金があったら、好きなものが買える。だれも見ていないし、自分のものにしよう」という思いが浮かんでくると思います。きっと私でもそう思います。しかし、それと同時に、「でもね、これを私が盗ってしまったら、きっとこの持ち主は哀しむ。人を信じることを止め憎む気持ちを持ってしまう。きちんと警察に届けなくては・・・」という思いも浮かんでくると思います。これが、人間の良心です。

 

 人間のこころの中には、感情と理性があります。人間は、動物ですから、目の前においしいものがあったらすぐに飛びつきたいし、楽しいことがあったらすぐにしてみたくなります。しかし、人間は、長い歴史の中で、理性を磨いてきた動物です。目の前の食べ物をすべて食べてしまったら、周りの誰かが空腹で苦しむのではないか。今自分の楽しみのために何かをしたら、周りの誰かに迷惑をかけてしまうのではないか。こう反省するこころ、つまり理性を持っています。私は、この「でもね」ということばは、私たちの中にある、理性言い換えれば良心が、私たちに告げていることばだと考えています。この「でもね」を使うことによって、冷静にものを見、ものを考えることができると考えています。

 

 子どもたち、君たちは、短い時間しか生きていません。数少ない出会いや経験しかしていません。だから、どうしても、表面でしかものを考えることができません。遅くいえに帰った君を、お母さんが叱ると、「きっと私は、お母さんに嫌われてる。いないほうがいいんだ」こうすぐ考えてしまいます。私の元には、こういう相談がたくさん来ます。でもね、そんな時お母さんの目をきちんと見てごらん。きっとそこには、君のことを心配し続けた哀しい目が君を見つめています。子どもたち、「でもね」をいっぱい言おう。その数だけ、君たちは大人に近づいていきます。

子どもたちへ No.11

 子どもたち、夜電話をしたり、メールをしたりしていませんか。子どもたち、気付いていますか。夜、話をしたり、メールで語り合うことの危険性を。夜は、人間は夜行性の動物ではありません。夜は、人間にとって本来寝る時間であって、ものを考えたり、行動する時ではありません。

 

 子どもたち、夜は恐ろしい時です。人をその暗さが不安にさせ、そして感情的にします。昼間の哀しみを思い出せば、何十倍もの辛さになっておそってきます。昼間の怒りも、何十倍になって跳ね返ってきます。寂しさも、つらさも・・・。

 

 子どもたち、その夜にメールを打ったり、誰かと携帯電話で話したりすれば、落ち着いて話すことはできません。考えてごらんなさい。なぜ、本当は眠るはずの夜の時間にメールや電話をするのですか。きっとそれは寂しいから、つらいから。こころが感情的になっているから。そして、救いや癒しを求めて連絡しているはずです。でも、相手も同じではないでしょうか。眠くて話なんかしたくない。あるいは、その人自身が寂しくて哀しくてつぶれそうになっている。そんな時に、きちんと想いを伝え話し合うことができますか。結局は、お互いの感情が同期しあって、哀しみやつらさが何倍にもなってしまったり、感情がぶつかり合ってお互いを傷つけあってしまうことになります。

 

 そうだ、子どもたち、お母さんやお父さんに聞いてみてくれませんか。若い頃に夜ラブレターを書いたことがありますかと。そして、夜書いたラブレターを朝読んだらどんな風に思いましたかと。きっとこう答えてくれます。あんまり感情的で激しくて恥ずかしくなったよと。

 

 子どもたち、私だってそうなんですよ。私は、作家、ものを書く人間です。でも、夜にはできるだけ書くことを止めています。夜に亡くした子どものことを書けば、書いた一言ひとことの中に、抱えきれない哀しみや怒りが書き込まれていきます。つらくて読めないものしか書けなくなります。

 

 子どもたち、お願いです。夜、携帯電話でだれかと話したり、メールをすることを止めてくれませんか。夜は、携帯電話をお母さんに預け、そして哀しいときつらいときは、何かこころに残る本を読んでみませんか。あるいは、歴史に残る美しい映画を見てみませんか。きっとその本や映画の感動が、昼に読んだり見たりするときより、何倍にもなってこころを洗ってくれます。そして、やさしい落ち着いた眠りをもたらせてくれます。

 

 子どもたち、お願いです。夜は、人と人とが触れ合ってはいけない時間です。眠ろう。

明日は新潟に

明日は、新潟市の中学校での講演です。私ひとりで、自分で車で行きます。

 

朝、五時に出発。群馬の谷川岳や新潟の湯沢の紅葉を流留ながら、雲でしていきます。

 

久しぶりの車での長距離ドライブ。何かわくわくします。昔青春時代に、日本中、ヨーロッパ中を車で回っていた頃を思い出します。

 

私は、若い頃から車が大好きでした。20代の頃は、レースもしていました。あれからたくさんの車に乗りました。明日は、私が、人生最後の友として選んだ愛車でロングドライブしてきます。

 

また、中学校での講演会。楽しみです。こころを込めて話してきます。