2025.01.14
子どもたちへ No.20
子どもたち、君たちはほら吹きをどう思いますか。嫌いですか。憎みますか。バカにしますか。私は、ほら吹きの子どもたちが大好きです。
もう何年も前になります。暴走族の集会に暴走を止めようと乗り込んだとき、雄也という十五歳の少年と知り合いました。ものすごいほら吹きの少年でした。「俺の親父は、暴力団の組長。お前なんかすぐに海の底だぞ」、「俺はなもうすぐボクシングのプロテストを受ける。お前なんかすぐにノックアウトだ」、次から次とほらの連続でした。でも、暴走族の仲間たちからは愛されていました。いつも仲間思いだったからです。
彼は、目の不自由なお母さんと二人で生きていました。お母さんは市役所で電話の交換手をしていました。暴走をしてどんなに遅くアパートに帰っても、彼は朝、お母さんをバス停まで送っていきます。そして、夕方には迎えに。優しい子でした。いつも私に、「俺さ、将来社長になって、母ちゃんを豪邸に住ましてやるんだ。お手伝いさんつきで。俺、母ちゃんが十九の時、強姦されてできた子なんだ。みんなが生むな、堕ろせっていったのに、母ちゃんみんなと縁切って生んでくれて、一人で育ててくれた。絶対母ちゃんを世界一幸せにするんだ」といっていました。 でも、彼は、私と知り合った半年後に亡くなりました。仲間と暴走中にパトカーに追われ、彼は仲間を助けようとパトカーを自分の単車に引きつけ逃げました。そして、国道に飛び出しトラックに衝突してしまいました。
私は、お母さんとたった二人でお葬式を済ませました。雄也の遺骨をアパートに持って帰り、遺影を祭壇に飾ろうとしたときです。お母さんが私に、遺影を取ってくれるように頼みました。お母さんは、雄也の写真をなでながら、私に聞きました。「先生、雄也の目はどんな目でしたか」私は、こう答えました。「お母さんそっくりの優しい目でした」「先生、雄也の鼻は」、「お母さんと同じで素敵な鼻でした。雄也は、お母さん似でしたよ」最後にお母さんは、雄也の写真の口元を触りながらこういいました。「でも、先生。この子はほら吹きでした。いつも嘘ばっかりついてた。でもね、当たり前です。父親もだれかわからず、こんな私の元に生まれて・・・。嘘でもつかなくては生きていれなかったんです」
私は、答えました。「お母さん、雄也はほらや嘘はつきませんでしたよ。いつも夢を吹いていた。生きていたらきっとすべてを本当にしていましたよ」
子どもたち、いっぱいほらを吹こう。夢を吹こう。そして、吹いたほらと夢を実現させよう。きちんと日々を明日のために生きて。生き抜いて。
追伸
昨日、北九州市から戻りました。雪が舞い、寒さが厳しかったです。でも、多くのこころの温かい人たちとの出会いがありました。幸せでした。
