夜回り先生 水谷 修
公式ブログ

Osamu Mizutani Official BLOG

子どもたちへ No.19

 子どもたち、今回は怖いことを書きます。書かせてください。君たちに聞きたい。君たちは、人を殺したことがありますか。まず、ないでしょう。

 

 水谷は、すでに399人の命を奪っています。殺しています。99人は、薬物の乱用者・・・。今まで私の元に、一万人を越える薬物の魔の手に捕まった子どもたちが救いを求めてきました。ある子は警察に、ある子は我が家に、ある子は病院に・・・。399人の命を私は奪いました。300人は、こころの病で・・・。

 

 神でもない私が、大切な子どもたちの人生を変え、死にまで至らせています。許されることではありません。薬物で亡くした99人の子どもたちのうち、48人は、今の私なら、現在の環境なら救うことができました。でも、間に合わなかった。

 

 わたしが、このことを書いているのには理由があります。私の元には、「先生大切な人を救えなかった。殺してしまった。死にたい」というメールがたくさん来ます。連絡をとり、事情を聞くと、ほとんど全てが、ネットやメールで知り合い、相談にのってきた友人の自殺に苦しみ、救えなかった自分を責めているケースです。私や私のスタッフは、毎晩のようにネット上のメンタル系サイトや自殺系のサイトを監視しています。そして、頭を抱えています。

 

 「過去のいじめで苦しい。死にたい」という書き込みに、「どんな風に虐められたの。ひどいね。つらいね」というように、相手のつらさをわかろうとし、そして聞いてしまう書き込みがほとんどです。聞いてしまうこと自体が、相手にとっては、自分の苦しみを再確認することになってしまうのに。そして、最後は「私がついてます。頑張ろうね。死なないで」と答えてしまう。人は誰かに一生ついていることはできないのに。

 

 また、このようなサイトに入ること自体が、その人が苦しみやつらさを抱えているからですから、相談にのっている内にさらに自分が、つらく、苦しくなってしまう。哀しみが哀しみを生み出し、苦しみがどんどん増していき、最後には、どちらかが耐えきれなくなります。

 

 子どもたち、お願いです。人を救おうとしないでください。特にメールやネットで。絶対に救うことはできません。むしろ相手を追い込んでしまいます。人は誰でも、自分自身で自分を救わなくてはならないのです。

 

 私は、死や過去の苦しみを語るメールや電話には、こう答えています。「人のために何かしよう。帰ってくるありがとうの一言が君の明日を作ります」、「美しいものいっぱい探そう。見よう。触れよう。君のこころに明日作ります」

哲学者、水谷からのメッセージ

人は、なぜ悩み苦しむのか

 かつて、フランスの哲学者パスカルは、「人は考える葦である」と語りました。これは、名言です。人類が、この地球上でこのように栄えたのは、まさにこの「考える」能力を身につけたからです。

かつて、すべての動物が、日々その日の糧を狩猟、採集し、自然の驚異の中で、ただひたすらその日を生きていました。今も、ほとんどの動物は、そうして生きています。唯一人類は、この「考える」ことによって、食料を自ら農耕によって生産することを手に入れ、さらに道具を使用することで、その生産効率を上げ、その結果、生活の中に「ゆとり」を手に入れ、その「ゆとり」が、さらに「考える」能力を高め、学問や科学を人類にもたらしました。

 

また、生きとし生けるものの中で、唯一人間が作り出した農耕は、富を生み出しました。農耕で作られる穀物は備蓄できます。その備蓄をたくさん持っている人や集団に、それを持たない人や集団は、飲み込まれ、支配されていくこととなりました。こうして、持てる者と持たざる者、つまり貧富の差を生み出しました。富を手にして、富のないものを支配する。これが、古代国家を作りました。

かつて、古代においては、持たざる者は、奴隷として、自由を奪われ、まさに動物のように、ただその日を生きぬくために、働きました。これは、現在も続いています。かつてと比べれば、はるかに自由ですが、それでも、日々生きていくために、自分の時間を、労働というかたちで持てる者に売り、そこから得た収入で生きています。

さて、それでは、この人をしてこの地球の支配者とした「考える」能力は、人にとって幸せなものだったのでしょうか。多くの人は、何をつまらないことを言うのか。幸せに決まっていると答えるでしょう。でも、本当にそうでしょうか。そうだとしたら、この世界に生存する、人以外のすべての生きとし生けるものは不幸ということになります。

こう考えてみましょう。野に咲く花が、温室で最高の環境で育てられている花を羨むことがありますか。野良猫が、家猫を羨むことがありますか。人以外のすべての生きとし生けるものは、その与えられた環境や境遇をすべて受け入れ、その中で必死に生きぬいています。しかし、人は、「考える」能力を持ってしまったが故に、人を羨み、嫉み、自分を否定し、悩み苦しんでいます。この「考える」能力こそが、人に不幸をもたらした元凶といえるのではないでしょうか。

あけまして、おめでとう

2025年を迎えました。

 

あけましておめでとうございます。

 

私は、昨年末にこじらせた風邪が治らず、なかなかつらい新年を迎えました。

 

そのような中でも、厳しい相談が続き、鼻水をすすりながら、その一つひとつに、できる限りの対応をしています。

 

今年の相談で、特に厳しさを感じるのは、貧しさに苦しむ20代から30代の人たちの多さです。こればかりは、政治の問題で、私には、公的支援と繋ぐことしかできません。

 

今年は、世界情勢を見ても、日本の政治状況を見ても、相当困難な年になりそうです。何とか、若い人たちの命と生活を守りたい。そう考えています。

厳しい一年でした

この国が、壊れていっています。

 

善、正義、良識、倫理、美徳、慈悲、勤勉、努力、真面目、そんなことばが、消えていっています。

 

悲しい事実です。

 

今日も、全国各地から、私の元に「死にたい」の相談が続いています。一つひとつ必死に対応しています。でも、その相談のほとんどは、「生きたい」、「かまって欲しい」です。

 

こころを閉ざし、自分から何もすることはなく、ただ過去に捕らわれ、、今を苦しむ。悲しい生き方です。

 

今年最後に、悩み苦しむ人たちに、私から伝えることがあります。

 

人は、人を救うことなどできません。

人は、人から救ってもらうことなどしてはいけません。

人は、自分を自分で救うのです。

 

そろそろ私の去るときが近づいているようです。

 

時が私を必要として「夜回り先生」を作った。

時が、もう私が去ることを求めているようです。

 

時の流れのままに。

ただ、今を人のために生きていきます。

 

 

子どもたちへ No.18

 私の元には、こころに苦しみや悩みを抱える多くの子どもたちから、相談のメールが届きます。多い日には、百本を越えるメールが届きます。

 

 その相談メールのほとんどが、深夜の午前零時以降に集中します。この子どもたちに共通しているのは、暗い夜眠ることができず、一人暗い部屋で苦しみ悩んでいることです。

 

 私たち人間は、もともと夜行性の動物ではありません。本来、昼の明るい太陽の下で、語り合い、働き、愛し合い、ものを考えるようにできている動物です。私たち人間にとって、夜は、からだや頭を休め、眠るための大切な時間です。また暗い夜は、私たちに人間にとって、非常に恐怖を感じ感情的になってしまう時間でもあります。

 

 私が、この「夜眠れない子どもたち」、夜悩み苦しむ子どもたちに書く返事に、共通していることがあります。それは、「昼の太陽の下で、からだを動かすこと。人のために何かすること」です。

 

 子どもたち、なぜ、こころの苦しみや悩みを抱えている人は、夜眠れないのでしょう。それは、こころやあたまが疲れているのに、からだが疲れていないからではないでしょうか。それならば、昼明るい太陽の下で、目一杯体を動かし、そうしてからだを疲れさせれば、夜はぐっすりと、嫌なことを考えることもなく、悩むこともなく眠ることができるのではないでしょうか。

 

 しかも、からだを誰かのために動かせば、例えば、お年寄りの手助けをしたり、家の周りや学校の周辺のゴミひろいをしたりすけば、きっといや必ず、誰かから「ありがとう」という感謝のことばが帰ってきて、そのことばが、悩んでいる子どもたちの、明日を生きる力になるのではないでしょうか。「自分は、必要とされている人間なんだ」と。

 

 これを読んでいる子どもたちの中には、今多くの苦しみや悩みを抱えている子どもたちも多くいると思います。子どもたち、太陽の下をいつ走り回りましたか。太陽の下でいつたくさんの汗を流しましたか。

 

 子どもたち、からだとこころは、実は深い深い関係があります。今の時代、君たち子どもたちだけでなく、多くの大人たちも、これを忘れています。そして、狭い部屋に閉じこもり一日中あたまやこころ使い、疲れ切っています。からだを疲れさせてみませんか。夜、ご飯を食べお風呂に入ったら、もう眠くてたまらない。そのぐらいからだを疲れさせてみませんか。きっとそれが、君たちのこころやあたまのもやもやを吹き飛ばしてくれます。

 

 水谷から、子どもたちへの宿題です。お願いです。明日は、太陽の下を走り回ってください。汗で服がびしょびしょになるまで。