夜回り先生 水谷 修
公式ブログ

Osamu Mizutani Official BLOG

忙しい日々です

この二週間、取材、講演と忙しい日々を過ごしております。

 

車での移動がほとんどで、本来は、車好きの私にとって楽な移動のはずなのですが、年のせいかなかなか疲れてしまいます。

 

先日は、東京都立の高校での講演でした。たくさんの生徒に関わった子供たちの哀しみを伝えることを通して、いのちの大切さを語ってきました。

 

来週からは、山梨県を始まりとして、徳島県、大阪府と講演会が続きます。また、どんな出会いがあるのか楽しみです。

 

子どもたちへ—No.26

子どもたち、このところ少し気になっていることがあります。それは、町でも電車やバスの中でも、下を向いている子どもたちが多いことです。携帯をいじったり、ゲームをしたり、あるいはただ足下を眺めている子どもたちが多いことです。

 

 私は、昼に街に出ると、また電車やバスの中でも、いつも顔を上げて周りを眺めています。美しい花を探したり、周りの看板をながめ、お土産にするその町の特産品を探したり、周りの人たちの様子を特に子どもたちの様子を眺めながら、もし心配そうな影があったら話しかけたりしています。

 

  夜の街に出ると、当然夜回りのときですが、町を行き来する人たちの様子を、注意深く眺めます。そして、薬物の売人がいれば、それを眺め続けます。当然彼らは去ります。からだを売っている女性たちがいれば、名刺を渡して昼の世界に戻るよう話します。たむろしている子どもたちがいれば、私もしゃがみ込み話し合い、彼らを帰します。

 

 私にとって、家や事務所から一歩外に出るということは、いろいろなものを見つめ、発見することです。目でいろいろなものに出会い、そして学び、そして関係を持つことです.

 

 私の人生の中で、見ることを通して、数えきれないほど多くの出会いを作ってきましたし、多くのことを学んできました。私にとって、生きるということは見ること。より深く生きるということは、より多くのものを見ることでした。

 

 子どもたち、君たちはどうですか。毎日どれだけたくさんのものをきちんと見つめていますか。美しい空、美しい花、さまざまな人の顔、おいしそうな料理・・・。君たちの回りには、いつもいろいろなものが君たちとの出会いを待っています。しかもその出会いは、何の気をつかうこともなく、ただ何かを眺めることで、見つめることですぐに始まるのです。そして、たくさんのことを君たちに教えてくれます。それだけではなく、君たちのこころに、安らぎや優しさの種を蒔いてくれます。

 

 子どもたち、生きるということは、常に何かを意識する、すなわち見るということです。もし君たちが、外を回りを見ることを止めてしまうと、どういう事になるでしょう。それでも生きている以上、何かを見ようとします。そして、自分の過去や今を見てしまいます。特に哀しみや苦しみを。それが、君たちのこころを引き裂き、さらなる哀しみに落とし込みます。

 

 子どもたち、自分を見ること、意識すること止めよう。外に出て、いっぱい美しいものや優しいものを探そう。それが、君たちのこころを拓いていきます。

子どもたちへ No.25

 私は、昨日久しぶりに夕方から夜まで、テレビを見ました。ニュースから始まり、お笑い番組と三時間もテレビを見続けました。そして、テレビが恐ろしくなりました。

 

 ニュースの中では、大きな交通事故によって小さな子どもが亡くなったことを報道していました。この子どもが亡くなった現場や血のついた車、道路の血のりまで、画面に映し出されました。

 

  また、うくらいなでの戦争で多くの人たち、子供たちが亡くなったことも報道されていました。ここでも爆破され無惨な姿となった建物や、子どもを亡くし泣き叫ぶ親の姿がただ淡々と映し出されました。

 

 私は、そんなニュースを、コーヒーを片手に眺めている自分に恐ろしさを感じました。

 

 お笑い番組では、何組かの芸人がそれぞれのネタを披露していました。パンツ一つでただ動き叫ぶ芸人、相方をただ馬鹿にし、ひっぱたき笑いをとる芸人、自分の顔を見にくくゆがませ、その顔で笑いをとる芸人・・・。

 

 そんな芸を見て、笑っている自分に腹が立ちました。そして、哀しくなりました。

 

 子どもたち、テレビは恐ろしいです。人の死や人の哀しみ、人の愚かさを、画面上でこれでもかというぐらい、私たちに向けて突きつけてきます。それを、私たちは画面に向かいただ見続ける。

 

 本来、その死の当事者や関係者であったら哀しみで耐えられないような映像やコメントを、何もこころを動かされることなく、ただ「こんな事があったんだ」と眺め、自分の大切な人や家族だったら、「そんな馬鹿なことはするなよ」と止めるだろう愚かなことを画面上でこれでもかというぐらい繰り広げる人たちを見て、笑い転げる。何かおかしくありませんか。これでいいのでしょうか。

 

 子どもたち、テレビに対して私たちは、常に第三者です。参加することはできませんから、いつもただ淡々と見続ける。でも、これが君たちのこころや生き方を変えてしまう可能性もあります。目の前でいじめを見ても、まるでテレビの画面上で見ているように、そのまま見過ごしたり、事件が目の前であっても、やはり自分とは関係ないと見逃したり・・・。君たちには、そんな経験はありませんか。

 

 子どもたち、生きるということは参加することです。第三者として傍観することではありません。他の人の哀しみには、共に泣き哀しみそして慰め、他の人の怒りには、時に共に怒り、時にそれを鎮め、自分の回りで日々刻々と起こることに、自ら直接加わること、それが生きるということです。子どもたち、テレビの恐ろしさ忘れないでください

明日は、富山です

今週は、東京での仕事が重なり、東京往復を続けていました。五月に出版する新しい本のスタッフと構成も決定しました。

 

明日は、富山での講演です。雪と寒さとの戦いになりそうです。

でも、私の講演を待っている人たちがたくさんいます。温かくして、いってきます。

 

来週も、川崎市での講演、長野県伊那市での講演と、講演会が続きます。

子どもたちへ No.24

 子どもたち、私の元には、たくさんの教員を目指す若者たちから質問が来ます。

その多くは、どうしたら良い教員になれますかという問です。

 

 私は、必ずこう答えます。良い教員になりたかったら、子どもたちから学ぶことです。子どもたちの求めている教員となることが、良い教員になることです。

 

 またもう一つ、「ごめんね」を言えない教員になったら、教職を去ることです。どんな素晴らしい教員でも、たくさんの間違いは犯します。その時々にきちんと謝ることのできない教員は、子どもたちを傷つける教員です。そんな教員には成らないでくださいと。

 

 子どもたち、私は、「夜回り先生」に成る前は、、横浜市のなかなか有名な受験校で社会科の教員をしていました。その頃は、それなりに受験教育に取り組み、それなりに有名な教員でした。でも、一人の定時制高校に勤める友人との喧嘩で、私は、定時制高校に異動しました。

 

 彼は、私にこう言いました。「水谷、お前はいいさ。優秀な生徒相手に、それはいい授業ができるだろう。でも、俺は・・・。何のために高校に来ているのかわからない、学ぼうともしない生徒相手に何ができる」私は、叱りました。「それは、私たち、大人がそうしてしまったんだ。どんな子が、生まれたときに、親を泣かせよう悪さをしよう、誰かを虐めてやろう、人のものを取ってやれ、人を傷つけてやれ、人を殺してやれ、からだを売ってやれ、薬物を使ってやれと考えて生まれてくる?そんな子はいないだろう。どんな子も、一生懸命立とう、目を開けようとしながら、お父さん、お母さん、大人たち、幸せになりたい。幸せにしてねって、真っ白なこころで目を輝かせて生まれてくるんじゃないかい。だれが、そんな子どもたちを腐らせたんだい。私たち大人だろう。そんな子どもたちを生き返らすのが、私たち教員の仕事じゃないかい」彼は、言いました。「やってもいないお前に、言われたくないね」この一言で、私の人生は変わりました。私は、定時制高校に、次の春異動しました。

 

 定時制高校の子どもたちは、私の最高の先生であり、生徒でした。私にとって教員として、一番大切だったことは、子どもたちを笑顔にすることでした。また、直接関わる子どもたちが、必要とする求める教員となることでした。成功ばかりしていたわけではありません。生徒を傷つけてしまったこともたくさんあります。そのたびに、子どもたちに「ごめんね」を言い続けてきました。「ごめんね」の数だけ、こころがきれいになり、多くの仲間を手に入れました。

 

 「ごめんね」、私の最も好きなことばの一つです。