夜回り先生 水谷 修
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Osamu Mizutani Official BLOG

少しずつ体調を戻しています

昨日は、午前中に関わっているこどもたちを預かっていただいている薬物関係の施設に行きました。私の友人の施設です。

 

心配していた二人の少女の明るい笑顔を見て、少し安心しました。回復までは、まだ長い道のりですが。

 

午後からは、教育関係の会議で東京の中心にいました。なかなか、管理用や政治家、専門家と称する人たちは、現場のこどもたちの困難な状況をきちんと把握していないようです。できるかぎり丁寧に話してきました。

 

今日は、一日休養しました。少しずつ体調も回復してきています。

 

明日は、神奈川での講演。週末は、埼玉県を回ります。

 

 

体調不良です

連休中は、ただ忙しく、だいぶからだを痛めつけてしまったようです。

 

それに、8日は、私の誕生日、ついに60代最後の年を迎えてしまいました。

 

この二日、せきが止まらず、からだも疲れ切っています。

 

そのような中でも、仕事は続きます。少しずつからだを休ませながら、何とか仕事をやり遂げていきます。

 

明日は、久しぶりに東京の施設訪問です。神戸から預かった少女と初めての対面です。彼女も楽しみにしているようです。朝一で、いってきます。きっと施設のこどもたちが、私に力をくれるでしょう。楽しみです。

子どもたちへ—No.30

 子どもたち、私は今宗教に引かれています。それは、なぜだと思いますか。

 

 私は、人類の歴史の中で、最も人を救ってきたのは、宗教だと考えているからです。人の悩みや苦しみ、生きることの辛さや、死の恐怖に対して、常に人に寄り添い、支えてきたのは、間違いなく宗教です。

 

 日本の歴史を振り返れば、江戸時代から明治のはじめまで、日本に孤児院はほとんど存在しません。その理由は簡単です。ある土地で親を亡くした孤児が出れば、お寺がその子どもを預かり育てたからです。またお寺は、地域の学校であり、住民の生死をきちんと記録する役所でもありました。また、数十年前まで、日本には精神科やカウンセラーはほとんど存在しませんでした。その理由も簡単です。人々は、苦しいとき悩んだときは、自分の地域のお寺に行き、僧侶に相談していたからです。

 

 子どもたち、ここで一つ勘違いしないで欲しいことがあります。私が、宗教といっているのは、ある特定の宗教や宗派を指しているのではありません。人が敬い畏れ尊ぶ信仰対象の全般を指しています。

 

 子どもたち、特に今を苦しむ子どもたちにお願いがあります。つらいとき、苦しいとき、ぜひ、身近な宗教施設に行ってみませんか。特に、死を意識している子どもたち、必ず行ってくれませんか。その宗教施設は、ある人には、キリスト教の教会でしょうし、ある人には、自分の地域の氏神である神社でしょうし、ある人には、自分の地域の寺院かもしれません。またある人には、自分の信仰する宗教の施設かもしれません。どこでもいいのです。そして、そこでしばらく時を過ごしてみませんか。私たち人類の長い歴史の中で、多くの先人たちが、自らの苦しみやつらさを、さまざまな宗教の力を借りて、乗り越えてきました。宗教が持つ、伝統的な力に一時でいいですから、身をゆだねてみませんか。

 

 ただ、付け加えておきます。私は、何らかの宗教を信仰して欲しいと言っているのではありません。多くの宗教の持つ伝統的な「何か」にそれぞれの宗教施設で触れて欲しいと言っているのです。

 

 子どもたち、君たちに聞きたいことがあります。寺院や神社、教会の敷地でつばを吐いたりできますか。したことがありますか。多分ないはずです。私たちのこころの中には、宗教的なものを畏れ敬うこころが、歴史の中できちんと培われてきています。

 

 子どもたち、私たち人間は非常に弱い存在です。一人で生きることはできませんし、いつも何かこころのよりどころを求め、必要としています。寺院や神社などの宗教施設には、必ず君たちのこころに響く何かがあります。

走り回っています

この二週間で、十本の講演。なかなか忙しい日々です。

昨日、やっと一連の講演を終えたのですが、関わっているこどもたちが、非常に不安定で、その対応に追われています。春という季節のせいでしょう。どうしても、季節の変わり目は、たくさんの問題が起きます。

 

来週は、沖縄に向かいます。リゾートに静養にと言いたいところですが、講演会と関わっているフードバンクや施設の視察です。米の価格の高騰で、日本中のフードバンクと施設が悲鳴をあげています。第1次の支援は、すでに行いました。その成果の確認と、今後の支援の検討のためです。

 

そろそろからだが、休めといっています。でも、待っているこどもたちがいます。

子どもたちへ—No.29

 私が、数ヶ月前から関わっている一人の18歳の少女がいます。中学校の時、いじめにあい、中学校二年生の時から、学校に通うことができなくなりました。そして、引きこもりに。彼女の生きている証は、深夜のインターネットでの見知らぬ仲間たちとの会話だけでした。

 

 そして、彼女は17歳の時に、リストカットを覚えました。彼女は、ネットで知り合ったリストカットの少女を助けようとしました。「あなたが切るのなら、私も切る」、彼女は、自分の腕をかみそりで切りました。そして、リストカットが止められなくなりました。そして母親に見つかり、泣かれました。彼女は、リストカットを止めようとしましたが、自分の力ではどうにもならず、私に相談してきました。

 

 その彼女から、昨夜遅く電話がありました。「先生、死にたい。リストカットしたい。いい、リストカットして」私は、何も答えませんでした。「先生、切るよ。いい」彼女は何度も繰り返しました。

 

 私は、「先生が止めてもきっと君は切るよね。先生に止める力はありません。ただ、一つだけお願いがあります。まず、冷蔵庫に行ってごらん。そして、冷蔵庫の中にきっとチューブに入ったわさびやからしがあるから、それを全部お皿の上に出して、持っておいで」彼女は私の言ったとおり、わさびを持ってきました。そして、「先生、言ったとおりにしたから切るよ」こう言って、手首を切りました。

 

 私は、すぐさま「もう一つお願い。わさびをたっぷりその傷に塗ってごらん。いいね」と言いました。「うん」という彼女の返事のあと、「ぎゃー」という悲鳴と、「先生私を殺す気なの」という叫びが、電話から聞こえてきました。私は、彼女に言いました。「リストカットしたいのは、死にたいと思うのは、君のこころの叫び。今の痛みは、君のからだの叫び。どちらも大切な君なんだよ。すぐに救急車を」

 

 子どもたち、なぜ自ら死ぬことを自殺というのか知っていますか。それは、自らのからだを、自らのこころで殺しているからです。子どもたち、君たちは、こころだけで生きているのではありません。からだとともに生きています。今、夜眠らないで、からだにつらい負担をかけたり、大切な君自身であるからだを、自ら滅ぼしてしまう子どもたちが増えてきています。哀しいです。

 

 子どもたち、君たちのからだはいつも君たちのために戦っています。細菌がはいれば、熱を出し、それを滅ぼそうとする。悪いところがあれば、痛みで君たちに伝える。君たちのからだは、いつも君たちを生かそうとしています。子どもたち、君たちは、自分のからだを大切にしていますか。