夜回り先生 水谷 修
公式ブログ

Osamu Mizutani Official BLOG

極寒の八ヶ岳に

今週、私の青春時代からの山の友人の訃報が届き、八ヶ岳に行ってきました。私が青春時代からずっと友人として、山を語り合い、登り会った仲間です。

 

到着したのは朝でしたが、すでに−5度、それからぐんぐん気温は下がり、ついには夜半に−20度に。極寒の中、友人を追悼してきました。

 

帰りは、雪との戦い、さすがに15㎝の積雪は、私の車と腕にも厳しいものでした。何とか、時間をかけ降りてきました。

 

このところ、訃報が続いています。年が年ですから、やむを得ないのですが、やはり哀しく寂しいものです。

 

これから一週間は、東京での仕事です。

ラジオに出ました

関西ラジオの番組に出ました。

 

ユーチューブで聞けます。

聞いてみてください。

 

私の若い頃の話と、今の子供たちへの想いが詰まっています。

 

関西ラジオ、水谷修で調べてみてください。

 

子どもたちへ No.23

 私は、いつも、町を歩いたり電車に乗っているときに、子どもたちのことを見つめています。そして、このごろ気になっていることがあります。

 

 それは、何か気力を失い、ぼおっとしている子どもたちが多くなっていることです。目は、何を見るでもなくうつろで、耳も何か美しい音を探そうというふうにそばだたず、肩からは力が抜け、何か疲れ果てて空ろな子どもたちの姿ばかりが目に入ります。哀しいことです。

 

 子どもたち、君はどうですか。昨日一日を思い出してください。いくつ美しいものを見つけましたか。いくつ美しい音を聞きましたか。からだを動かし何かを人のためにしましたか。

 

 子どもたち、お願いがあります。今すぐに自分の回りを見回してください。そして、何か興味を引くもの美しいものを十個探してみて、目の前に置いてみてください。それが済んだら、もう一つお願いです。耳を澄ましてください。そして、自分の回りのいろいろな音を、注意深く聞き分けてください。人の声、車の音、音楽、足音・・・。いくつの音を見つけましたか。さて、それでは最後にもう一つお願いです。君の周りにあるものを、一つまた一つと触ってみてください。暖かいもの、冷たいもの、固いもの、柔らかいもの・・・。

 

 子どもたち、人は、日々、一つの人生を生きています。目覚め、それは生、そして、一日を生き抜き、そして夜眠る。これは、ある意味での死です。これを繰り返しながら、人生を作っていきます。必ず誰にでも訪れる死に向かって。

 

 子どもたち、人が本当に生きるということは、動くことです。何かを、その時々に見抜き、そして聞き分け、触れあい、別れ、何かをすることです。ただ、何もせず、ぼおっと日々を過ごすことは、寝ていることと同じ、ある意味で死んでいることと同じではないですか。

 

 子どもたち、空気は私たち人間にとって生きるために必要不可欠なものです。でも、いつも回りに必ずあるのに、感じることはありません。この大切な空気をどうしたら感じることができますか。簡単です。手を動かせばいいんです。

 

 美しいものも、優しさも、明日へのさまざまなチャンスも、希望も、実は、君たちの回りに数え切れないほどあります。でも、今多くの子どもたちが、これを、自分から動いて探そうとしていません。哀しいです。

 

 見よう、多くのものを。たくさんの美しさが君の前に。聞こう、多くの音を。たくさんの素敵なこころ安らぐ音が君たちの元に。求めよう、優しさを。多くの明日への優しさが君の元に。子どもたち、生きるということは、求めるということ。求めるということは、自ら動くということです。動こう、明日へのために。

講演が続いています

27日は、千葉県船橋市での講演でした。教育に関係している人たちの研修会での講演でした。

 

参加者は、すべて教育の現場に立つ方々でした。現在の教育界が抱える多くの問題や子供たちの問題の背景についてまた、今後の教育現場の在り方について、深く話すことができました。

 

今日は、東京都品川区での講演です。

 

多くの方が参加してくれるようです。

 

こころを込めて話してきます。

 

子どもたちへ No.22

 子どもたち、ことばというものは、恐ろしいものです。言霊(ことだま)と昔の人は言いましたが、命を持っています。ある一言が人を死に追いやったり、あるいはある一言が、人に喜びと生きる力を与えたりします。

 

 君たちは、このことばの恐ろしさに気付いていますか。私の元には、「死にたい」というメールが、日々刻々途切れることなく届いています。中には、「これから死にます」という内容のメールも数多くあります。私は、今まで、このように死を語る多くの子どもたちと、電話でそして直接話をしてきました。私は、この子どもたちに必ず聞きます。「本当に死にたいの」、「本当にこれから死ぬの」と。子どもたちは必ずこう答えます。「本当は死にたくない。生きたい。助けて欲しい」と。

 

 子どもたち、かつて奈良県で、3人の人が首を絞められ殺されました。あるホームページに、「殺して」と書いたせいで。また、一人のこころを病んだ女性が、携帯の自殺請負サイトに、「死なせて」と書いたせいで、ビニール袋を頭にかぶせられ殺されました。毎年のように日本で、「死にたい。死のう」と、ブログや掲示板に書いて、練炭火鉢で自殺しています。でも、本当に彼らは死にたかったのでしょうか。ことばは、そのことばを言った人に、その責任を取らせます。死を語ることは、死へと近づいていくことです。

 

 子どもたち、私は、君たちがインターネットや携帯電話、メールを使うようになって、どんどんことばを軽く使うようになったと、考えています。

 

 君たちは、誰かに面と向かって、「お前を嫌い」とか「お前なんて死ね」と言うことができますか。まずできないでしょう。でも、いろいろなインターネットのサイトや掲示板、メールではどうですか。日々数え切れないほど、多くの子どもたちが、このことばを使っています。そして、傷つけあい、死へと追いやられる子どもたちまでいます。哀しいです。ただ、頭に浮かんだ想いを、すぐにことばにして、感情的に相手にぶつけていく。そのことばが、どれだけ相手を傷つけるかも考えずに。哀しいです。君たちは、していませんか。

 

 子どもたち、私は、メールや電話では、事務的な事以外はほとんど話はしません。絶対に、自分の想いを語ったりはしません。直接会って話すときですら、こころを想いを伝えるために、ことばをできるだけ使いません。哀しい顔やうれしい顔で、こころや想いを伝えようとしています。

 

 子どもたち、ことばを減らしませんか。ことばを選びませんか。でも、美しいことば、楽しいことば、優しいことばは、どんどん使いましょう。君を、どんどん美しく、そして楽しく、優しくしてくれます。