2025.03.08
子どもたちへ—No.26
子どもたち、このところ少し気になっていることがあります。それは、町でも電車やバスの中でも、下を向いている子どもたちが多いことです。携帯をいじったり、ゲームをしたり、あるいはただ足下を眺めている子どもたちが多いことです。
私は、昼に街に出ると、また電車やバスの中でも、いつも顔を上げて周りを眺めています。美しい花を探したり、周りの看板をながめ、お土産にするその町の特産品を探したり、周りの人たちの様子を特に子どもたちの様子を眺めながら、もし心配そうな影があったら話しかけたりしています。
夜の街に出ると、当然夜回りのときですが、町を行き来する人たちの様子を、注意深く眺めます。そして、薬物の売人がいれば、それを眺め続けます。当然彼らは去ります。からだを売っている女性たちがいれば、名刺を渡して昼の世界に戻るよう話します。たむろしている子どもたちがいれば、私もしゃがみ込み話し合い、彼らを帰します。
私にとって、家や事務所から一歩外に出るということは、いろいろなものを見つめ、発見することです。目でいろいろなものに出会い、そして学び、そして関係を持つことです.
私の人生の中で、見ることを通して、数えきれないほど多くの出会いを作ってきましたし、多くのことを学んできました。私にとって、生きるということは見ること。より深く生きるということは、より多くのものを見ることでした。
子どもたち、君たちはどうですか。毎日どれだけたくさんのものをきちんと見つめていますか。美しい空、美しい花、さまざまな人の顔、おいしそうな料理・・・。君たちの回りには、いつもいろいろなものが君たちとの出会いを待っています。しかもその出会いは、何の気をつかうこともなく、ただ何かを眺めることで、見つめることですぐに始まるのです。そして、たくさんのことを君たちに教えてくれます。それだけではなく、君たちのこころに、安らぎや優しさの種を蒔いてくれます。
子どもたち、生きるということは、常に何かを意識する、すなわち見るということです。もし君たちが、外を回りを見ることを止めてしまうと、どういう事になるでしょう。それでも生きている以上、何かを見ようとします。そして、自分の過去や今を見てしまいます。特に哀しみや苦しみを。それが、君たちのこころを引き裂き、さらなる哀しみに落とし込みます。
子どもたち、自分を見ること、意識すること止めよう。外に出て、いっぱい美しいものや優しいものを探そう。それが、君たちのこころを拓いていきます。
