夜回り先生 水谷 修
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Osamu Mizutani Official BLOG

子どもたちへ No.25

 私は、昨日久しぶりに夕方から夜まで、テレビを見ました。ニュースから始まり、お笑い番組と三時間もテレビを見続けました。そして、テレビが恐ろしくなりました。

 

 ニュースの中では、大きな交通事故によって小さな子どもが亡くなったことを報道していました。この子どもが亡くなった現場や血のついた車、道路の血のりまで、画面に映し出されました。

 

  また、うくらいなでの戦争で多くの人たち、子供たちが亡くなったことも報道されていました。ここでも爆破され無惨な姿となった建物や、子どもを亡くし泣き叫ぶ親の姿がただ淡々と映し出されました。

 

 私は、そんなニュースを、コーヒーを片手に眺めている自分に恐ろしさを感じました。

 

 お笑い番組では、何組かの芸人がそれぞれのネタを披露していました。パンツ一つでただ動き叫ぶ芸人、相方をただ馬鹿にし、ひっぱたき笑いをとる芸人、自分の顔を見にくくゆがませ、その顔で笑いをとる芸人・・・。

 

 そんな芸を見て、笑っている自分に腹が立ちました。そして、哀しくなりました。

 

 子どもたち、テレビは恐ろしいです。人の死や人の哀しみ、人の愚かさを、画面上でこれでもかというぐらい、私たちに向けて突きつけてきます。それを、私たちは画面に向かいただ見続ける。

 

 本来、その死の当事者や関係者であったら哀しみで耐えられないような映像やコメントを、何もこころを動かされることなく、ただ「こんな事があったんだ」と眺め、自分の大切な人や家族だったら、「そんな馬鹿なことはするなよ」と止めるだろう愚かなことを画面上でこれでもかというぐらい繰り広げる人たちを見て、笑い転げる。何かおかしくありませんか。これでいいのでしょうか。

 

 子どもたち、テレビに対して私たちは、常に第三者です。参加することはできませんから、いつもただ淡々と見続ける。でも、これが君たちのこころや生き方を変えてしまう可能性もあります。目の前でいじめを見ても、まるでテレビの画面上で見ているように、そのまま見過ごしたり、事件が目の前であっても、やはり自分とは関係ないと見逃したり・・・。君たちには、そんな経験はありませんか。

 

 子どもたち、生きるということは参加することです。第三者として傍観することではありません。他の人の哀しみには、共に泣き哀しみそして慰め、他の人の怒りには、時に共に怒り、時にそれを鎮め、自分の回りで日々刻々と起こることに、自ら直接加わること、それが生きるということです。子どもたち、テレビの恐ろしさ忘れないでください