夜回り先生 水谷 修
公式ブログ

Osamu Mizutani Official BLOG

人のために何かをしよう

私は、この秋日本中を走り回りました。北は、函館から、南は、沖縄、そして石垣、宮古と、毎日移動しながら、講演を続けました。そして、そこでは、多くの子どもたちとの出会いがありました。一人の昔関わった子が、私の講演会にきてくれました。そして、とてもうれしい手紙をくれました。

「中学の頃にお世話になったものです。水谷先生は沢山の子供と接していますから忘れていますよね。ただ、どうしても伝えたい事があり連絡しました。先生に電話で励まされたこと、メールで受け入れてくれたこと、それが無ければ私は夜の世界に今もいたと思います。今、大学4年になってはいません。ありがとう。今でもカウンセリングを受けながら大学に通って塾講師としてバイトをしています。どんな生徒でも可愛い。そして夢ができました。昨年、病気療法のため休学していたので再来年の4月に卒業予定です。

夢は指定大学院に2年間行き臨床心理士になる事です。なってみせます。教育学部にいる人間には臨床心理の知識がないと言われてもなってみせます。臨床心理士になって誰かを救うとかそんな大きな事は考えていません。病院で働き悩んでいる人の話を聞き、ただそばにいたい。1人じゃない、生きていていいと私と触れ合うことで思ってくれたら幸せです。これは、先生から。学びました。水谷先生、夢や希望を与えてくれありがとう。夜の街から抜け出させてくれて、自殺未遂して入院した私を受け入れてくれてありがとう。

本当にありがとう」

私のもとには、多くの今を悩み、苦しんでいる子どもたちからの相談がきます。「死にたい」、「いじめたやつを、殺してやる」、「今から死にます」、このような切羽詰まったメールも、毎日数限りなく届きます。私は、必ず、こう返事を書きます。「水谷です。人のために何かしてごらん。返ってくるありがとうのことばや、優しさが、君の明日を拓きます。君の生きる力になります。自分の今と、自分のことだけを考えることを止めて、人のために、だれかの笑顔のために生きてごらん。

みなさんは知っていますか。今、雨が降っていても、今、空が曇っていても、その向こうでは、いつも太陽が輝いていることを。止まない雨は、ありません。晴れない曇りもありません。今が、どんなにつらくても、生きてさえいれば、そして、人のために、だれかの笑顔のために、生きれば、必ず、幸せが返ってきます。

 

身心一如

みなさん、青春時代から私がはまっていることがあります。それは、歩くことです。講演会に行くときも、少し早めの電車やバスに乗り、目的地の一つ前の駅やバス停で降りて、そしてそこから歩いています。ただ、だらだら歩くのではなく、美しい花や色づいた葉を探したり、庭の手入れをしているおばあちゃんやおじいちゃんに、「精が出ますね」と声をかけながら。そして、何種類鳥の声を聞くことができるかと、耳を澄ましながら。

私は、哀しいことがあったとき、もうどうしていいかわからないほど苦しいとき、ホテルにいても家にいても、すぐに外に出ます。そして、ただひたすら、歩き続けます。何時間も。そしてからだをくたくたに疲れさせます。ただし、ただ歩き続けるのではなく、美しいものを探して、また出会った子どもたちや人たちに挨拶しながら。

みなさん方の多くは、なんでそんなことをするのかと不思議に思うでしょう。説明しましょう。私たちは、からだと、こころとあたま、三つの部分で作られています。でも、その三つは別々のものではなくて、本当は、いつもバランスよくお互いに協力しながら、私たちを支えていてくれます。からだを通してこころが何かを感じ、そしてそれをあたまで考えて、からだが行動にうつす。こんなふうにです。このバランスがきちんと取ることができなくなると、私たちのからだもこころも、病んでしまいます。子どもたち、今私たちの社会は、便利な社会ですが、実にいびつな社会です。からだは、あまり使わなくて、疲れさせなくていいのですが、こころやあたまは、いつもぴりぴりと疲れ続けなくてはならない社会になっています。からだは疲れていないのに、こころとあたまはくたくたに疲れてしまって、いらいらして夜眠れなくなってしまったり、こころを病んでしまう人たちがたくさんいます。子どもたちのなかにも。みなさんは、どうですか。

私は、それを、からだやこころが病んでしまうことを避けるために、歩くと言うことを通して、日々、特につらくて苦しいとき、自分のからだを疲れ果てさせているのです。いいですよ。からだを疲れさせること。夜ぐっすり眠ることができます。いつもの食事の味も格別ですし、水道の水一杯が全く別のものに感じます。

みなさんも、今日からやってみませんか。駅では、エレベーターやエスカレーターを使わず、階段を昇る。できる限り長い距離を歩く。家では腹筋や腕立て伏せの運動を。ともかく、毎日からだをきちんと疲れさせませんか。特に今を苦しむ子どもたち。必ず結果はでます。こころの病は、からだから治そう。私は、そうしています。

雲の向こうは、いつも晴れ

私のもとに、うれしいメールが届きました。

「私は以前、水谷先生の講演を聞かせていただきました。2015年の2月頃のことだと思います。当時私は高校2年生でした。母に誘われ、正直半ば嫌々行った記憶があります。率直に、先生の講演を聞いていて、涙が出ました。私はその当時、リストカットをしていていました。自分には価値とか、生きてる意味なんてあるのか、そんなことばっかり考えていました。だから先生の講演の中で”リストカット”というワードが出てきた瞬間、ギクッとしました。そして、先生の話を聞いているうちに泣いてしまいました。先生の講演会の後、先生の本を持ってサインをしていただこうと、列に並んで、先生と面と向かったとき、先生が開口一番に、「君は切っているのか?」とおっしゃったときは本当に驚きました。母が隣にいたので、その場では笑って何となく肯定のような、否定のような反応をして、ごまかすことしかできませんでしたが、本当は「なんでわかったの!?」って聞きたかったです。その時に先生に「黒を着るな。」と言われたことを覚えています。「黒を着たら気持ちも暗くなってしまう。」と。先生がすごい先生だということはその時にわかっていたし、先生のおかげで意識は変わりました。でも、やっぱり最後に自分を変えれるのは自分しかいないのもわかっていました。今は隣県の大学に進んで、一人暮らしをしています。そして私が今の大学に入った理由は、先生の話を聞いて、私なんかよりももっともっとつらい境遇にいる子がたくさんいると知ったことで、その子たちの力になりたいと思ったことです。救ってあげるだなんて、偉そうなことは言えないけど、ただ寄り添って、”あなたは1人じゃないんだよ”って伝えたいと思いました。サークル活動で、児童相談所から委託された子どもたちと遊ぶボランティアをしています。中には、不登校の子、虐待を受けている子、補導された経験のある子、いろんな子がいます。母のおかげです。母は、言わないけど、きっと私がリストカットをしていたことを知っていて、先生の講演会へ連れ出してくれたんだと思います。母が、先生の講演は自分の転機だった、と言っていたのを一度聞きました。私自身も、今でも先生の言葉が支えです。黒い服装を避けてもいます」
悩んでいる人、君たちが、生きてさえいれば、明日は来ます。ただし、自分の力で作らなくてはなりません。まずは、明日から、明るい服で太陽の下を走ってみよう。たくさんの笑顔を、周りに配ってみよう。君自身の、新しい明日のために。

 

 

北陸から戻りました

昨日夜、北陸から戻りました。

今回は、金沢市で、古い仲間たちの店に行ってきました。

「源平寿司」、金沢市の近江町市場の中にあります。何十年来お付き合いをしている店です。北陸のおいしい海の幸が、私たちでも食べることができる適正な価格でいただくことができるお寿司屋さんです。ガスエビ、白エビ、万寿貝など今の季節の北陸の海の幸を堪能してきました。

「菊一」、金沢で最も古いおでん屋さんです。繁華街香林坊の交差点のすぐ側にあります。雨の中を並んで行ってきました。このお店とは、すでに40年以上のお付き合いです。亡くなった二代目のご主人とは、親友で、いつも楽しくお酒を酌み交わしました。今は、その奥さんと二人の娘さんが、伝統の味を守っています。かに面、ふかし、大根、つくね、土手焼き、懐かしい味を堪能してきました。

 

実は、先日、何人かのこの国の明日を担うだろう若手たちと、忘年会をしました。そのうちの一人が言ったことばが、忘れられません。それを書きます。

「水谷先生、日本は終わった。私は、もうこの国から出たい。日本は、私たちの先輩たちが、あの戦後の悲惨な状態の中から、頭脳を鍛え、技術を磨き、たくさんの汗を流し、そして世界でも有数の国にしてくれました。農産物でも、工業製品でも、日本製と言うだけで、世界の人たちは信用し、それを購入してくれた。そして、今の繁栄があります。しかし、今、政府は、観光やギャンブル、そしてオリンピックなどのイベントで、お金を得ようとしている。これは、二流国家、あるいは過去の遺物となった国家のやるべきことです。国民の数は減り続け、この国を支えた国民の七割を占めた中流家庭が崩壊しつつあります。そして、貧困の中に落とされていく子どもたち、国民が急激増えています。しかも、その対策は、中途半端です。その一方で、ごく一部の人たちが、限られた富を独占しつつある。こんな国に明日はありますか」

 

私も、同じように考えてはいますが、彼に言いました。

 

「だからこそ、私たちや君たちが、頑張って、この国を変えていかなくてはならないのです。あきらめることなく、動きましょう。すべての国民、特に子どもたちが、明日を夢見ることのできる国になるように」

 

この国が心配です。

親子関係

一人のお父さんから私に届いたメールをそのまま紹介します。

「今日、先生の講演を聞きました。先日私の子どもがリストカットをしている事、ドラッグをやったことを話してくれました。家庭内の問題や学校での出来事が、彼女を苦しませていました。私は、今まで、子どもが言うことを聞かないと、いつも子どもを強く叱り、ひっぱたき、どなっていました。最悪の父親です。見返りも当然来ました。突然が金髪、腕にはタトゥー。家出を繰り返し、その後行くところがなくなり、我が家に戻ってきても、またどなり、たたいてきました。そりゃぐれますよね。今日、先生の講演を聞いて心洗われました。自宅に帰る途中理容室に行き髪を丸めました。帰宅し、一番に娘の部屋へ行き土下座しました。ごめんね、お父さん間違ってた!ごめんね、ごめんね、と何度も、何度も言いました。初めは、今さらなによという顔をしてましたが、次第に目から一粒、また一粒と涙が落ちて来て、最後には号泣してしまいました。私も号泣しながら、娘から、娘を苦しめていたいろいろなことを聞きました。何でもっと早く気付いてあげれなかったんだろう、なんであの時、優しくしてあげれなかったんだろうと、後悔ばかりです。思い返せば、仕事ばかりで子どもの事はそっちのけの日々でした。悪いのは子供でなく、間違いなく私です。今から子どもと、久しぶりに、二人きりでご飯にいきます。なにか緊張します。久しぶりに子どもの顔をまじまじと見たら、やっぱりかわいい我が子、かわいいです。こいつのパパで良かったと、実感しました。今日は、人生の分岐点になりました。パパは、お酒飲むから、バスで行こうと、子どもがいってます。今日、子どもがお酌してくれるビールは、間違いなく世界一のお酒でしょうね。髪は金髪、腕にはタトゥーの、誰が見ても最悪と見られる娘は、私の誇りです。悩みを解消した心を持つ娘は、輝きに溢れてるような気がします。娘の事を誰がどう言おうと、私は娘の味方である事を誓います。今日は本当にありがとうございました」

私は今まで、数え切れないぐらい、親子の関係が崩壊してしまった子どもたちや親からの相談を受けてきました。また、そこに関わってきました。そんな中で、気付いたことがあります。ほとんどのケースで、親子ともに本当はお互いのことが大好きなのに、素直になれず、つっぱってしまっていることです。親が、「ごめんね」と一言言えば、子どもが、「助けて」と一言言いさえすれば、お互いのこころが通じ合うのに、その一言が言えない。みなさんはどうですか。