2026.04.21
まずは人であれ
2011年3月11日の東日本大震災の時です。
東北は、私の故郷、まして、宮城県は、私の妻の故郷です。震災後、私の仲間や教え子たちと、その支援に向かうことになりました。
当時私は、テレビに出演していました。テレビ局から、ぜひスタッフを同行させてほしいと依頼がありました。
私は、それを受け入れ、被災地に向かいました。
松島から石巻、海岸線から続く津波の傷跡。語ることばもない状況でした。
そのような中、何とか海岸近くまでたどり着きました。そこでは、行方不明の家族を探す人たち、遺体捜索をする警察や消防団の人たち。
そこにカメラを向けたテレビ局のスタッフを私は止めました。
私は、スタッフたちにただ一言。
「撮れますか」
彼らはわかってくれました。機材を置き、捜索に参加しました。
東京に戻ってからは、大変な騒ぎです。何しろほとんど撮影していないのですから。
でも、そんな騒ぎの中、私と共に行ってくれたスタッフたちは、私に言ってくれました。
「先生、これで良かったです。あの時カメラを回していたら、私は、人として失格でした。私は、カメラマンである前に、一人の人間ですから」
今、この大切なこころを多くのマスコミの人たちが忘れています。
京都の哀しい事件。その事件をただ視聴率のために駆け回るリポーター、テレビのスタッフや新聞、雑誌の記者。また、ネットで確証のない情報を無責任に垂れ流す人たち。
だれか、自らあの子を探してくれる人がいたのでしょうか。
実は、今日、私のクラウドファンディングの開始から達成、それからの講演の日々をドキュメントとして撮りたいという話がありました。
私は、即座に断りました。
大切なのは、一人ひとりの子どもたちの元へ向かうこと。そこには、カメラも記者もいりません。
私がしたいこと、しなければならないことは、子どもたちのこころに語ること。それだけです。
人に問われるのは、ことばではなく、その人がどう生き何をしたかです。
