夜回り先生 水谷 修
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Osamu Mizutani Official BLOG

夏祭り

今日は、私が住む葉山町の神社の夏祭りです。今、神輿が、事務所の前を賑やかに通過していきました。

 

その一方で、私の元には、またたくさんの生きづらさや市を語るメールが届いています。

 

8月末から9月初めは、一年で最も中高生のこどもたちが、自らいのちを絶つ時です。体制を整えて、一つひとつのメールに対応しています。何とか一つのいのちを失うことなく、乗り越えたいとみんなで努力しています。

 

来週からは、講演ラッシュ、大阪、神奈川、埼玉、大阪、出雲と全国を回ります。

相談が減っています

お盆で、家族共に生活する日が続くせいか、相談件数が減っています。その一方で、かつて関わったこどもたちからの幸せな報告が続いています。みんな過去の虐待やいじめによる傷と闘いながら、今を必死に生きぬいています。嬉しいことです。

 

私は、昨夜次の本を書き上げました。今を悩み苦しむ子どもたちや大人たちに、生きることの意味と素晴らしさを語る本です。出版は、多分来年の早い時期になります。

 

今週末は、福岡県福岡市での講演です。久しぶりに、福岡に入ります。どんな出会いがあるか楽しみです。

もうすぐ8月15日です

日本は、1945年8月15日に、連合国からのポツダム宣言を受託し、完全降伏しました。これにより、第2次世界大戦、太平洋戦争は終了しました。

日本の主だった都市、工業地帯は、アメリカ軍による空襲で焼け野原。焦土と化していました

 

私の叔父は、硫黄島で戦死しました。わずか17歳少年通信兵でした。遺骨も戻らず、お墓には、なくなったと想定される日にちと叔父の名前と階級が書かれた木札が入っているだけだと祖母に聞きました。私の大叔父一家は、東京大空襲の時、浅草で一家全員亡くなりました。

 

私は、1956年5月8日に横浜で生まれました。戦後十一年目です。でも、いまだ戦争の傷跡は深く残っていました。

 

 

特に、私の思い出の中には、駅頭に多くの白い病衣をまとった傷痍軍人の方々が座り、一部の人はアコーディオンやハモニカを演奏していた姿がくっきりと残っています。その方々に、「ご苦労様でした」と少額ですが、お金を渡す母や祖母の姿も記憶に残っています。

 

また、三歳の時に山形に行った後も、お盆で親戚の家を訪れると、必ず軍服姿の若い男性の写真が仏壇に飾ってあり、その位牌にお線香をあげたことを憶えています。

 

あれから長い月日が流れました。

 

現在の繁栄の中で、多くの人たちがあの悲惨な戦争のことを忘れつつあります。現在の平和や繁栄が80年前の数百万の人たちの死、そして数千万のその家族の人たちの涙と哀しみの上に築かれたものであることを忘れています。

 

そんな中、一部の政党や政治家が、再度この国に軍隊を作り、武力による威嚇で他国からこの国を守ろうと訴えています。中には、あの悲惨な広島や長崎での原爆投下の惨劇を忘れ、その威嚇の手段としてアメリカの核兵器を日本に配備しようという政治家や政党もあります。

 

私は、彼らに聞きたい。あなた方は、まず、今のこの国の平和、またアジア全体の、世界全体の平和のために、何か努力をしましたかと。

 

みなさん、忘れないでください。戦争となったとき、前線に送られ命を奪われるのは、これらの政治家たちではありません。私たちの大切な子供たちや孫たちです。

 

これから、少し、平和のために動きます。

忙しい日々です

講演が続き、忙しく動き回っています。

横浜での公演、東京江戸川区の講演には、たくさんの方々が来てくれました。懐かしい出会いもたくさんありました。

 

その一方で、厳しい相談が続いています。今の時期ですから、一番多いのは、家出した十代の子供たちからの相談です。関係機関や施設と連携して動いています。また、家に戻らない子供たちの親からの相談も続いています。中には、刑事事件となるような相談も多く、その処理に悪銭苦闘しています。

 

二週間後からは、一年で最も中高生の自死が多い一ヶ月が始まります。事務所の体制を整えて、一つの命も失うことのないよう頑張ります。

 

それにしても、少女たちを性の対象や金儲けの対象として扱う大人たちの多さに怒っています。時代が、狂っています。

明後日から講演再開です

体調も大分取り戻しました。

今日は、病院で、検査を受けましたが、まずは元に戻ったようです。

 

明後日日曜日から、講演を再開します。

 

相談は、いつも通り続いていますが、今年は、子供たちより長年過去の虐待に苦しんでいる人たちからの相談が続いています。

 

明後日は、久しぶりに横浜での講演です。どんな出会いがあるか楽しみです。