夜回り先生 水谷 修
公式ブログ

Osamu Mizutani Official BLOG

明日は、富山です

今週は、東京での仕事が重なり、東京往復を続けていました。五月に出版する新しい本のスタッフと構成も決定しました。

 

明日は、富山での講演です。雪と寒さとの戦いになりそうです。

でも、私の講演を待っている人たちがたくさんいます。温かくして、いってきます。

 

来週も、川崎市での講演、長野県伊那市での講演と、講演会が続きます。

子どもたちへ No.24

 子どもたち、私の元には、たくさんの教員を目指す若者たちから質問が来ます。

その多くは、どうしたら良い教員になれますかという問です。

 

 私は、必ずこう答えます。良い教員になりたかったら、子どもたちから学ぶことです。子どもたちの求めている教員となることが、良い教員になることです。

 

 またもう一つ、「ごめんね」を言えない教員になったら、教職を去ることです。どんな素晴らしい教員でも、たくさんの間違いは犯します。その時々にきちんと謝ることのできない教員は、子どもたちを傷つける教員です。そんな教員には成らないでくださいと。

 

 子どもたち、私は、「夜回り先生」に成る前は、、横浜市のなかなか有名な受験校で社会科の教員をしていました。その頃は、それなりに受験教育に取り組み、それなりに有名な教員でした。でも、一人の定時制高校に勤める友人との喧嘩で、私は、定時制高校に異動しました。

 

 彼は、私にこう言いました。「水谷、お前はいいさ。優秀な生徒相手に、それはいい授業ができるだろう。でも、俺は・・・。何のために高校に来ているのかわからない、学ぼうともしない生徒相手に何ができる」私は、叱りました。「それは、私たち、大人がそうしてしまったんだ。どんな子が、生まれたときに、親を泣かせよう悪さをしよう、誰かを虐めてやろう、人のものを取ってやれ、人を傷つけてやれ、人を殺してやれ、からだを売ってやれ、薬物を使ってやれと考えて生まれてくる?そんな子はいないだろう。どんな子も、一生懸命立とう、目を開けようとしながら、お父さん、お母さん、大人たち、幸せになりたい。幸せにしてねって、真っ白なこころで目を輝かせて生まれてくるんじゃないかい。だれが、そんな子どもたちを腐らせたんだい。私たち大人だろう。そんな子どもたちを生き返らすのが、私たち教員の仕事じゃないかい」彼は、言いました。「やってもいないお前に、言われたくないね」この一言で、私の人生は変わりました。私は、定時制高校に、次の春異動しました。

 

 定時制高校の子どもたちは、私の最高の先生であり、生徒でした。私にとって教員として、一番大切だったことは、子どもたちを笑顔にすることでした。また、直接関わる子どもたちが、必要とする求める教員となることでした。成功ばかりしていたわけではありません。生徒を傷つけてしまったこともたくさんあります。そのたびに、子どもたちに「ごめんね」を言い続けてきました。「ごめんね」の数だけ、こころがきれいになり、多くの仲間を手に入れました。

 

 「ごめんね」、私の最も好きなことばの一つです。

極寒の八ヶ岳に

今週、私の青春時代からの山の友人の訃報が届き、八ヶ岳に行ってきました。私が青春時代からずっと友人として、山を語り合い、登り会った仲間です。

 

到着したのは朝でしたが、すでに−5度、それからぐんぐん気温は下がり、ついには夜半に−20度に。極寒の中、友人を追悼してきました。

 

帰りは、雪との戦い、さすがに15㎝の積雪は、私の車と腕にも厳しいものでした。何とか、時間をかけ降りてきました。

 

このところ、訃報が続いています。年が年ですから、やむを得ないのですが、やはり哀しく寂しいものです。

 

これから一週間は、東京での仕事です。

ラジオに出ました

関西ラジオの番組に出ました。

 

ユーチューブで聞けます。

聞いてみてください。

 

私の若い頃の話と、今の子供たちへの想いが詰まっています。

 

関西ラジオ、水谷修で調べてみてください。

 

子どもたちへ No.23

 私は、いつも、町を歩いたり電車に乗っているときに、子どもたちのことを見つめています。そして、このごろ気になっていることがあります。

 

 それは、何か気力を失い、ぼおっとしている子どもたちが多くなっていることです。目は、何を見るでもなくうつろで、耳も何か美しい音を探そうというふうにそばだたず、肩からは力が抜け、何か疲れ果てて空ろな子どもたちの姿ばかりが目に入ります。哀しいことです。

 

 子どもたち、君はどうですか。昨日一日を思い出してください。いくつ美しいものを見つけましたか。いくつ美しい音を聞きましたか。からだを動かし何かを人のためにしましたか。

 

 子どもたち、お願いがあります。今すぐに自分の回りを見回してください。そして、何か興味を引くもの美しいものを十個探してみて、目の前に置いてみてください。それが済んだら、もう一つお願いです。耳を澄ましてください。そして、自分の回りのいろいろな音を、注意深く聞き分けてください。人の声、車の音、音楽、足音・・・。いくつの音を見つけましたか。さて、それでは最後にもう一つお願いです。君の周りにあるものを、一つまた一つと触ってみてください。暖かいもの、冷たいもの、固いもの、柔らかいもの・・・。

 

 子どもたち、人は、日々、一つの人生を生きています。目覚め、それは生、そして、一日を生き抜き、そして夜眠る。これは、ある意味での死です。これを繰り返しながら、人生を作っていきます。必ず誰にでも訪れる死に向かって。

 

 子どもたち、人が本当に生きるということは、動くことです。何かを、その時々に見抜き、そして聞き分け、触れあい、別れ、何かをすることです。ただ、何もせず、ぼおっと日々を過ごすことは、寝ていることと同じ、ある意味で死んでいることと同じではないですか。

 

 子どもたち、空気は私たち人間にとって生きるために必要不可欠なものです。でも、いつも回りに必ずあるのに、感じることはありません。この大切な空気をどうしたら感じることができますか。簡単です。手を動かせばいいんです。

 

 美しいものも、優しさも、明日へのさまざまなチャンスも、希望も、実は、君たちの回りに数え切れないほどあります。でも、今多くの子どもたちが、これを、自分から動いて探そうとしていません。哀しいです。

 

 見よう、多くのものを。たくさんの美しさが君の前に。聞こう、多くの音を。たくさんの素敵なこころ安らぐ音が君たちの元に。求めよう、優しさを。多くの明日への優しさが君の元に。子どもたち、生きるということは、求めるということ。求めるということは、自ら動くということです。動こう、明日へのために。