水谷修の論文

Paper

学校にいじめは存在しない

著者:水谷 修

OSAMU MIZUTANI

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  1. 学校にいじめは存在しない

 

私は、学校におけるいじめについて、「学校において、意図的に、ある児童・生徒に対して、精神的苦痛を与えること」と定義しています。具体的には、無視や悪口、陰口などです。これらの行為には、倫理的・道徳的な問題は、存在しますが、ほとんどの場合、法的な問題は、存在しません。法律は、人を嫌うことを禁止していませんし、人の悪口を言うことも、よほどその人の名誉に関わるような嘘を言うことでなければ、禁じていません。この種のいじめは、確かにどんな学校にも存在します。しかし、これは、学校だけではなく、一般社会の中でも、普通に存在しています。しかし、この種のいじめは、私は、いじめという何か陰湿なことばで呼ぶより、不健全な人間関係と呼ぶべきものだと考えています。

これらの行為こそ、本来学校がその教育の中で予防し、対処しなくてはならないものです。倫理的・道徳的問題なのですから。実は、これを、学校で私たち教員が解決することは、そんなに難しいことではありません。両方の生徒からきちんと話を聞き、加害生徒に、相手に対してした行為が、いかに相手を傷つけたかを知らせ、そして、謝罪をさせます。被害生徒が、それを受け入れ和解してくれる場合は、それでことはすみます。もし、被害生徒が、謝罪を受け入れることができない場合は、クラス変更などで、所属する集団を替えてあげます。私は、教員時代、何度もこのようなケースを、担任として、生徒指導担当教員として、扱いました。

たとえば、こんなケースがあります。私が勤めていた定時制高校で、入学式が終わってまもなくでした。一年の担任から相談を受けました。クラスの女生徒が不登校になり、学校を辞めると言っているという相談でした。事情を、担任、本人、本人の親から聞きました。このクラスには、教育的なことばで言えば、元気の良い、一般社会のことばで言えば、乱暴な一人の男子生徒が在籍していました。教員に対しても、「先こう、早く授業終わせよ。今日はデートなんだ」、仲間に対しても、「おい、今日の掃除当番、お前にやらせてやる。頼んだぞ」、彼女に対しても、「おい、声がちいせんだよ。はっきり言えよ」問題の多い生徒でした。彼女は、もともと小中学校でのいじめから不登校になり、私の定時制高校に入学してきた生徒でした。私は、彼からも話を聞きました。彼にきちんと伝えました。「君の言葉遣いや態度が、他の生徒をおびえさせ、傷つけている。一人の女性とは、君のことが怖くて学校に来られなくなっている。学校は、どの生徒も、平和に楽しく過ごすことのできる場所でなくてはならないのに、君がそれを乱している」彼は、私に言いました。「先こう、俺は退学か」私は、答えました。「まさか。君が変わってくれれば良いんです。できますか」彼は、努力することを約束してくれました。でも、それからが問題でした。彼女が彼のいるクラスにはもう戻りたくないというのです。私は、職員会議に、彼か彼女のクラスを替えることを提案しました。職員会議はもめました。「彼が、変わるというのなら、もう問題の決着はついているはずだ。それでも、クラスを替えてくれというのは、彼女の甘え。そんな甘えにいちいち応じていたら、学校はめちゃくちゃになる」、「こんなことは、社会に出れば、当たり前にあること。それを我慢させ、強くすることが教育だろう」、「彼がそんな態度の生徒なら、彼を辞めさせれば良いだろう」・・・、いろいろな意見が出ました。私は、全教員にお願いしました。「みなさん、この学校に入学してくる生徒たちは、みんな家庭や今までの学校生活の中で、たくさんつらい想いをし、苦しんできた生徒たちです。そんな生徒たちをお預かりした。何とか四年間のこの学校での教育や生活の中で、社会復帰することができるように教育することが、私たちのつとめです。この生徒たちは、まだ一年生。この学校についてまったくわかっていません。まずは、チャンスを与えましょう。そして、いつかは、この二人が同じ教室で、友だちとして学ぶことができるように、二人を教育しましょう」何とか、職員会議での了承を取り、彼女を別なクラスに移しました。そして、四年生の時には、わざとこの二人を同じクラスに入れました。なかなかいい友だちになってくれました。

しかし、大津市での事件以後特に、日本中でいじめとして認識されているものは、私が、学校におけるいじめとしたものとは、まったく異なるものです。今、多くの日本人に、学校のいじめとは、どんなことですかと聞けば、「暴力をふるい相手に怪我をさせる」、「金品を脅して奪う」、「自分の欲しいものを万引きさせる」、「自死の練習を強要する」、「ネットに死ねと書き込む」・・・。このような内容の返事が返ってくるでしょう。でも、これは、いじめではありません。深刻な人権侵害であり、また、刑事・民事の事件、つまり犯罪です。学校が、その日々の教育によって、対応できるものではありません。学校という教育現場で発生して行為であっても、法務省や警察庁、つまり各地の人権擁護局や、警察にその対処をゆだねなくてはならない問題なのです。一般社会でこのようなことが起きれば、それはすぐに犯罪と見なされ、関係各機関が、すみやかに動き、対処します。しかし、学校の場合は、いじめとみなし、かたくなに関係機関の介入を拒み、そして自分たちの中で、教育現場の中で、対処、解決しようとする。こんなことが、許されるのでしょうか。

実は、これが、今まで学校におけるいじめの問題を、解決できず、学校からいじめを無くすことができなかった一番の理由だと、私は考えています。

文部科学省、教育委員会、学校などの教育機関は、すみやかにいじめの定義を見直し、本来学校が扱うべき、倫理的・道徳的問題であるいじめと、法を犯す行為として人権侵害や犯罪に当たるものをきちんと区別して、その閉鎖性を捨て、他機関との連携の中で、この問題に対処する必要があります。