2020.07.26
やまゆり園事件
神奈川県のやまゆり園で、たくさんの尊い命が失われた事件は、まさに四年前の今日でした。今日は、少し、私のことを書きます。
私は、今からおよそ40年前、二十代の時、五年間、横浜市立上菅田養護学校高等部(現在の上菅田個別支援学校)の教員として勤務しました。上菅田養護学校は、横浜市ではじめて、肢体不自由や重度重複障がいを持った子どもたちのために作られた学校です。
小学部、中学部、高等部の三部制で、200名以上の、軽度から重度まで幅広い子どもたちが学んでいました。
当時は、養護教育がまさにはじまった頃です。授業内容も、それぞれ手探りで、多くの若い教員が、それぞれの専門や特性を生かし、日々教育に取り組んでいました。
授業は、機能訓練から作業療法、将来に備えた職業教育、そして学科教育と多岐にわたっていました。
また、教員は、授業だけではなく、子どもたちの排泄補助、日常生活の自立指導まで、指導しなくてはなりません。子どもたちが、スクールバスで登校してくる朝9時から、下校する午後3時まで、息のつく暇もありませんでした。
私が、その中で学んだことがあります。教員の仕事は、ただ自分の知識を子どもたちに植え付けることではなく、その時に出会った子どもたちが必要としていることに答えることだと。このときの五年間の経験がなかったら、今の私は存在しません。
私は、高等部の教員でしたから、当然卒業していく子どもたちの進路を見つけなくてはいけません。軽度の障がいの子どもたちには、障がい者雇用枠による雇用がありましたが、それも数少なく、保護者や仲間の教員たちと、横浜の各地域に「作業所」を作っていきました。
その子どもたちが、年をとり、その親たちも70代、80代と高齢化し、子どもたちの日々の介護が難しくなった時、その子どもたちを預かり、守ってくれる施設が、「やまゆり園」でした。私の教え子の何人かもお世話になっていました。そして、この事件の被害者となってしまいました。
私は、上菅田養護学校であることを学びました。それが、私を、「夜回り先生」にした原点です。
100人の人間がいれば、100の個性があり、それぞれが一人ひとり違う生き方ができる。障がいもそんな個性の一つであり、お互いが助け合い、共生していく中で、お互いが学びあい、そして幸せを分かちあう。すべての人間には、幸せになる権利があり、また、すべての人間には、みんなを幸せにする義務がある。
あの事件の加害者である青年と、事件の前に出会うことができていれば・・・。それだけが無念です。
