2020.07.24
何かを見ず、何かを考えない
久しぶりに母校上智大学に行ってきました。
そして、学生が一人もいない教室で、ZOOMによるリモート授業をしてきました。
何か変な感覚で、正直に言えば、これが授業なのかと自問自答しました。
私は、上智大学の哲学科で、渡辺秀先生の元、「現象学」を学びました。「現象学」、ドイツの哲学者フッサールが始めた学問です。その時以来、すでに半世紀近く学び続けています。今回は、その「現象学」的考え方を書いてみます。
みなさん、何かを見るということは、他のものを見ないことを意味します。どうぞ、今すぐ、周りの何かを見てください。それが見えると同時に、その周りのものは、ぼけてしまい、見えなくなるはずです。
それと同じように、何かについて考えるということは、他のことを考えないことを意味します。今すぐ、何かを必死に考えてみてください。それを考えると同時に、他のことは頭の中から消えていくはずです。
私たち人間は、非常に不器用な存在です。何かにこだわれば、その他のことは失ってしまう。そして、あるものを見、あることを考え、そして、それと同時に、その周りのものを見失い、本来今そこにあるものを見失ってしまいます。
「現象学」には、「本質直感」ということばがあります。まずは、過去や今、体験していること、つまり見たり考えたりしていることを、いったん括弧に入れ(エポケー)
、こだわりを捨てて、その中に溶け込むということです。そして、そこから本質を捉えるということです。これは、仏教、特に禅宗の「止観」ともほぼ同じ概念です。
つまり、過去や今のこだわりを捨てて、そして「何かを見ず、何かを考えず」、今まさにみなさんの周りに存在する流れ、動きの中に身を投じ、そこから自身の中にわきあがるものに溶け込むということです。
本質、つまり本当のことは、あるものを見て捕らわれることや、あることを考え捕らわれることの中にはありません。今まさに起きている流れている、この流れの中に身を投じることのなかで、自然とわかるものなのです。
ぜひ、これをやってみてください。そこで、明日が見えてきます。自分という存在のあるべき明日が。
