2020.01.20
水谷史観②
私は、十代後半から三年近くヨーロッパを放浪していました。学生、留年、退学、そして放浪。ロンドン、パリ、ウィーン、ミュンヘンと多くのヨーロッパの都市で生活をしていました。
そんなとき、一人の南米アルゼンチン出身のロドリゴという同い年の友人ができました。彼は、アルゼンチンの大学を中退し、そして路上でのエンターテイナーに。私が、パリで知り合ったときは、当時ヨーロッパでも有数のブーグリーンサーカスの花形のナイフ投げでした。
まだ、覚えています。「オサム、この板の前に立て、俺がナイフを投げる。動くなよ。根性があるなら。お前のからだをナイフで締めてやる」彼のナイフは、私の体の周りを、それこそ一ミリの差で、埋め尽くしました。私が、にやにや笑っていると、彼は、言いました。「オサム、お前はおもしろいやつだ。俺がこうやって試した中で最高のばかだ。でも、最高に勇気と信頼のこころを持っている奴だ」この日から、彼と私は、親友になりました。
彼とは、サーカスが終わると、パリの町を毎晩のように飲み歩きました。ある夜のことです。パリのセーヌ河畔、ポン・ヌフという有名な橋のたもとで、私が、パリの町の美しさを賞賛すると、彼は、怒りました。「オサム、なぜヨーロッパの町が、きちんとした都市計画の中でこんなに美しく作ることができたのか知っているのか。ヨーロッパの連中は、十六世紀から二十世紀の初めまで、三百数十年間、俺の母国アルゼンチンをはじめとしたアメリカ大陸の国々や、アフリカやアジアの国々を、自分たちの植民地として支配した。俺の先祖たちを奴隷のようにこきつかい、俺たちの国の金や銀、穀物を奪っていった。そして、栄え、こんな町を作った。どれだけ多くの人が、この美しい町を作るために、殺されたか、飢え死にしたか。俺は、ヨーロッパの美しい町に、俺の先祖たちの血と涙を感じる。大嫌いだ。オサム、だれかが、どこかの国が繁栄すると言うことは、だれかが、何かを奪われ、どこかの国が略奪されていることなんだよ」彼は、吐き捨てるように言いました。私は、彼にこころから謝りました。
彼は、今母国アルゼンチンで大きな牧場を経営しています。そして、その地の議員として、貧しい人たちの立場に立ち、立派な活動をしています。先日彼から、連絡がありました。「オサム、アルゼンチンにこないか。いっしょに農業をやらないか。お前の関わっている日本の若者たちすべてを連れてきていいぞ。いいか、オサム、俺の牧場はパリよりはるかに美しいぞ。働いている若者たちの笑顔と明日を夢見る輝く瞳が」
