夜回り先生 水谷 修
公式ブログ

Osamu Mizutani Official BLOG

寺門の方々へ

気づいてますか、子どもたちのこころの叫び。

今、日本の子どもたちが苦しんでいます。いじめ、不登校、ひきこもり、リストカットなどの自傷行為、自殺、非行、援助交際、薬物乱用・・・。私のもとに日本中の数え切れないほどの子どもたちから、日々相談のメールが届きます。その数は、すでに51万件を超えました。そして、哀しいことに、私がメールでの相談を始めてから約三年で、確認できただけで400名の尊い命が失われました

まずは、周りの子どもたちを見回してください。目を輝かせ、足取りも軽く、明日に目を向けて生きている子どもたちで、あふれていますか。

今、日本の十代の子どもたちの二割から三割が、明日を見失い、そのいらいらから大切な仲間をいじめたり、夜の町に出たり、暗い自分の部屋で自分を傷つけたり、不登校やひきこもりになってしまったりしています。昨年秋には、日本各地で大切な子どもたちの命が、いじめによって失われました。

 

しかし、日本の多くの親や教師、大人たちはこの事実に気づいていません。その理由は簡単です。子どもたちを昼の世界でしか見ていないからです。もし、大人たちが私のように夜の町を「夜回り」すれば、私のように夜メールや電話での相談をはじめれば、あるいはせめて、インターネットの自殺系やメンタル系の掲示板やブログを見れば、すぐわかるはずです。多くの子どもたちが、暗い夜の世界で、眠らず、眠れず今を苦しんでいます。

 

今、自分の周りの子どもたちの心の状態を見ることは簡単です。その子どもが毎日夜をどう過ごしているのか見ればいいんです。もし、毎日部屋で寝ていれば安心でしょう。でも、週末部屋にいなかったり、毎晩涙ぐみながら眠れずに過ごしていたら・・・。周りの子どもたちを見回してください。目を輝かせ、足取りも軽く、明日に目を向けて生きている子どもたちで、あふれていますか。

 

今、私には、日本の多くの子供たちが、家庭や学校で追い詰められているように見えます。今子供たちの周りに、家庭でも学校でも厳しい言葉が、飛び交っています。

皆さんにお聞きします。皆さんの家庭は、この一年、暖かい優しい思いやりのあることばと、厳しい追い詰めるようなひどいことばと、どちらが多かったですか。

 

学校の先生方にもお聞きしたいです。皆さんの学校は、児童・生徒に対して、優しい明日を語ることばと、きつい今を叱ることばとどちらが多かったですか。私は、すべての講演で、この質問をしますが、ほぼ九割の家庭や中学・高校では、後者厳しいことばという返事がかえってきます。私は、そのたびに悲しい思いをします。本来家庭や学校は、子どもたちにとって、最も優しく憩える場所でなくてはならないものです。その大切な場所が、ストレスのたまる生きにくい場所になっています。

 

今、日本の多くの子どもたちが、心の安まる居場所を失っています。そして、いらいらからいじめをしたり、夜の町にさまよい出たり、不登校や引きこもりになったり、自らを傷つけ死へと向かっています。

 

私は、数年前から、仏教の各宗派の方々に、お寺の本堂を不登校や非行、さまざまな問題を抱えた子どもたちのために解放してほしいと要請してきました。私は、「良寛さんのいる寺作りプラン」と名付け、この数年さまざまな宗派の若手や幹部僧侶に訴え続けてきました。

 

日本の長い歴史の中で、各地域の仏教の僧侶の方々は、読み書きを教える先生であり、また大人たちの悩みを聞き、いろいろな問題の仲裁をはかる地域の大切な大人であり、子どもたちにとっては、生き方や人のあり方をきちんと指導してくれる怖い、そして優しい大切な先生でした。お寺は、子どもたちにとっては、最高の遊び場でもあったし、人生や知識を学ぶ場でもありました。

 

また、僧侶の方々は、様々な悩みを抱える人たちのカウンセラー精神科医の代わりもしてきました。この日本の歴史の中で、数え切れない人たちが大人も子どもも、お寺と僧侶によって救われてきました。

 

このことに対しての感謝の念は、今はまだ日本人の心の中にきちんと息づいています。山門につばを吐く人はまずいませんし、僧侶に暴力や雑言を吐くひともまず見つけることはむずかしいでしょう。これは、長い歴史の中で多くの先達の僧侶の方々が、ご自分のお寺のある地域で、檀家だけでなく地域のすべての人々に対して、様々な功徳をこころの救いを与え続けてきたからです。

 

今、お寺はどうでしょうか。何か多くのお寺がただ死者を弔い、ご先祖様を祭り供養するだけの場所になってしまっている用に感じるのは、私一人でしょうか。お寺で遊ぶ子どもたちの姿は消え、お寺のご本堂で、僧侶の方々とお茶を飲みながら、様々な悩みの相談をする老若男女の人たちの姿もほとんど見ることはありません。

 

私は、仏の教えは、死者を弔い祭るためだけのものなのでしょうか。本当は、この世に生きるすべての人々にその苦しみである煩悩から離れ、慈悲の心で、明日を作り生きることを伝えるべきものなのではないでしょうか。この仏の教えを、多くの僧侶たちが数え切れないほどの人々に伝え続けてきたからこそ、今私たちは生かされているのではないでしょうか。

 

二十世紀は、物質文明最優先の時代でした。多くの人々が国々が、富や地位を求め、人にとって最も大切なこころの問題を粗末にし続けてきました。その結果、今多くの人たちが、特に最も繊細で敏感な子どもたちが、こころを病み、明日を見失い、苦しみ、そして死へと向かっています。

 

また、何か子どもたちや大人たちを洗脳し、利用する、他の信仰や宗教に対して、罵詈雑言を投げつけ、そして仏の教えとは遠く離れた、憎しみや戦いで信仰心をあおる悪しきカルトなどの問題のある集団に救いを求めています。だからこそ、彼岸を語る仏の教えではなく、此岸を語る、人の生き方を伝える本物の仏の教えが、和や慈悲のこころを私たちに灯し、人々が他者を尊重し、優しくいたわり合い助け合い生きることを教えてくれる仏の教えが必要なのではないでしょうか。

 

私は、子どもたちに、そして、悩み苦しむ大人たちにも、家庭・学校以外に第三のこころの居場所を作りたいと考えていました。お寺は、日本各地に学校より数多くあります。お寺の存在しない地域を探すことは難しいでしょう。日本の歴史の中で、お寺は、悩める人々のこころの拠り所でした。今こそ、悩める子どもたちの癒しの場になってほしいという思いでした。今、日本各地で少しずつ山門が子どもたちのために開き始めています。

 

みなさん、思い出してください。ご本堂でご本尊を前に、手を合わせたときに訪れる心の安らぎを。ご本堂やご本尊には、その前にいるだけで、私たちの心に平安と安らぎを与えてくれます。私は、この真実の信仰が持つ力を、心を病み苦しむ子どもたちにそして大人たちに知らせたいと思っています。

 

寺門の僧侶の方々にお願いです。ぜひ、寺門をすべての子どもたちのために、悩めるすべての人たちのために開いてくれませんか。お説教もなんのことばも必要はありません。ただ、悩める子どもたち大人たちと、ご本尊に向かい、静かに時を過ごしていただけませんか。それだけで、多くの子どもたちが、多くの大人たちが救われます。