2021.03.19
死を教える
人は、この世に生まれ出た以上、だれでも必ず死にます。死は、私たち人間にとって、逃れることのできない宿命です。
しかし、今、この死について、きちんとした理解をしていない子どもたちが増えています。ゲームのように、死んでしまっても、リセットすれば、生き返ることができると考える子どもたちもいます。
また、生きとし生けるものの悲しい宿命である死というものを、別な世界への出口、逃げ場と考え、死を自ら求める子どもたちもいます。哀しいことに、いとも簡単に、自ら死を選んだり、また、人の命を奪う子どもたちもいます。
この背景には、今、多くの親たちが、子どもたちにきちんと死を伝えていないことがあると思います。確かに核家族化がこのように広がっている現在、祖父母とともに暮らす子どもたちは少なく、祖父母が亡くなっても、学校や塾を優先して、葬式には親だけが参加することも多いでしょう。また、一部の親は、死に関することを子どもに見せることが、残酷だと、子どもたちから隠そうとしています。これでいいのでしょうか。
自分を可愛がってくれた、祖父や祖母が亡くなり、からだがどんどん冷たくなっていく。その回りで、多くの人たちが、亡くなった人との思い出を語りながら哀しむ。火葬場で、見送り、そして、小さな真っ白なお骨を拾う。そして、納骨。この体験の中で、私たちは、死に対する恐れを学び、そして今生きていることのすばらしさを知るのではないでしょうか。
私は、子どものころ、事情があって、山形の寒村で祖母に育ててもらいました。私が、五歳の時、祖母の母が亡くなりました。その時のことを、私は今も憶えています。私は、祖母の手伝いをさせられました。遺体を、祖母と二人で、きれいに清め、そして、経帷子を着せ、手甲に脚絆、わらじ、三途の川の渡し銭、あの世への旅立ちの準備を手伝いました。火葬場では、お骨拾いを。
その日から、私は、死が恐ろしくなりました。毎晩のように、祖母の横に潜り込んで寝ていました。その当時は、私は、祖母を恨みました。なんで、こんなことを自分にさせたのかと。でも、今は、感謝しています。私は、あの経験で、死の恐ろしさを知りました。消えていくことの哀しさを知りました。そして、生きていることのすばらしさ、命の大切さを学びました。
私は、今、死は、親が子どもに必ず教えなくてはならないことだと考えています。可愛がっていたペットの死でもいい。親戚の人の死でもいい、必ずその死にきちんと向き合わせること。死の恐ろしさ、哀しさ、その理不尽さを、きちんと子どもたちに伝えること。これが、子どもたちのこころに、命の大切さを理解させることになり、自らの命だけではなく、他者の命、生きとし生けるものすべての命の尊さをこころに刻み込む大きな一因となると確信しています。
子どもたちに、きちんと死を伝えましょう。
