2020.11.06
「本当の○○」(普遍的真理・本質)とは
私は、大学生の時から現在にいたるまで、ずっと「哲学」を学んできました。
なかでも、ドイツの哲学者フッサールがその代表的な哲学者として有名な「現象学」を学んできました。
みなさんは、「哲学」、「現象学」ということばを聞くと、とても難しい頭のかゆくなるものに感じるかもしれません。確かに、多くの哲学者の使うことばは難しいですし、その本は、眠れぬ夜に数ページを読んだだけで熟睡できるほど、理解しがたいものです。でも、本当は、とっても簡単な学問なのです。「哲学」が求めるのは、「本当の○○」、哲学の用語では「普遍的真理」、「本質」です。
でも、もう少し考えてみましょう。「本当の○○」なんてあるのでしょうか。
みなさん周りを見渡してごらんなさい。赤いものを10個見つけてごらんなさい。そしてよく見つめてごらんなさい。みんな赤いものなのに、でもそれぞれの赤は違う色のはずです。それでは、「本当の赤」とは何なのでしょうか。
多分こう答えることができるでしょう。「本当の赤」とは、それぞれの赤と呼ぶものの中に共通に含まれているものと。
それでは、部屋を真っ暗にして、赤いものを10個見つけてごらんなさい。見つかるわけがないですね。真っ暗ですから、部屋のすべてのものは黒いはずです。太陽の光がなければ、色は存在しません。赤いものとは、太陽の七色の光線の中で、赤い光線を主に反射するものなのです。こうなるとやっかいです。赤いものとは、もっとも赤い光線を嫌い反射するものということになってしまいます。それでは、赤いものとは、最も赤くないものということになってしまいませんか。
私は、実は、「本当の○○」なんて存在しないと考えています。
そういえば、フランスにデカルトという有名な哲学者がいました。彼は、真面目な人でした。彼は、「本当の○○」とは、あらゆる事を疑っても疑うことのできないものと考えました。そして、有名なことばを残しました。「我思う、ゆえに我あり」すなわち、すべてのこの世界の存在は疑うことができるが、今ものごとを考えている自分の存在は否定できないということです。
でも、この考え方にもやっかいな問題があります。みなさんは寝ているときに、夢を見ていない限り、何も考えていません。デカルト的にいえば、あなたは存在しない。でもあなたは存在しています。
こんな難しいことを今回書いたことには理由があります。
私のところには、「本当の友情」や「本当の愛」、「本当の○○」を求める人たちからの相談がたくさん来ます。そして、見つけることができず家並み苦しんでいます。
「本当の友情」や「本当の愛」、「本当の○○」は、探し求めるものではありません。今みなさんが体験している、意識している友情や愛が、君にとっての本当のものなのです。考えるより、今を生きよう。
