夜回り先生 水谷 修
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Osamu Mizutani Official BLOG

南無阿弥陀仏

私は、三歳の時父を失いました。母も貧しかったため、私は、小さい頃ずっと山形に住む祖母に預けられていました。

 

私の祖母は、優しい、そして信仰心の厚い人でした。私が小さいときから、いつもどこかに出かけるときは、私を連れて行ってくれました。その途中に、お寺があれば、どんな宗派のお寺でも、必ず立ち寄ります。そして、ご本堂の前で、手を合わせ「南無阿弥陀仏」とお祈りです。私も、当然「南無阿弥陀仏」そのあと、祖母は、私に必ず聞いてきます。「修、何を仏様にお祈りした」私が、「早く母さんと一緒に暮らすことができますようにとお祈りしたよ」と答えると、いつも叱られました。「修、仏様に、自分のことをお願いしてはいけない。人様の幸せをお祈りするんだよ」と。

 

私が、中学に入り、お念仏とお題目の違いを学び、祖母に言ったことがあります。「おばあちゃん、日蓮宗のお寺で、南無阿弥陀仏はまずいよ。日蓮宗は、お題目、南無妙法蓮華経だよ」おばあちゃんに叱られました。「修、そんな頭でっかちになるな。山には、上る道がいくつある。仏教の宗派は、それぞれその道だよ。行き着く先には、みんな同じ仏様がある。それに、仏様は、そんなことばにはこだわらない。仏様を尊敬してます。信じています。仏様のように立派になりたいと祈るこころが大切なんだよ」何か、納得したことを、覚えています。

 

私は、この祖母の信仰を受け継いでいます。お寺があれば、必ず本堂の前で仏様にご挨拶しています。さすがに、すべてのお寺で「南無阿弥陀仏」ではないですが。

 

また、祖母から教えられたことが、もう一つあります。ご飯を食べるときも、「修、いのちをいただくんだよ。南無阿弥陀仏」私が、夜、母のいない寂しさで泣いていると、いつも祖母は、私の側に来て、「修、ほら手を合わせて、南無阿弥陀仏と何度も唱えてごらん。こころの中でいいんだよ。こころが落ち着くよ」私が、学校でいじめられて、泣いて帰ってきても、「修、南無阿弥陀仏」私が怒って暴れているときも、「修、南無阿弥陀仏」何から何まで、「南無阿弥陀仏」でした。これは、私にとって、祖母からの最高の教えでした。

 

以来、私は、今にいたるまで、辛いことがあるたびに、こころに哀しみや怒りがわき上がるたびに「南無阿弥陀仏」と唱えています。不思議なことばです。このたった六文字の祈りのことばが、私の人生で、多くの怒りや哀しみを鎮めてくれました。いつもわたしのこころを暖めてくれました。

 

今、多くの子どもたちが、大人たちまで、この祈りを忘れてしまっています。みなさんも、ぜひ試してみて下さい。だれかに怒りを感じたときに、「南無阿弥陀仏」と祈ってみて下さい。怒ることができなくなってしまうはずです。哀しいときに、何度も「南無阿弥陀仏」と祈ってみて下さい。何かこころが晴れてきます。お願いです。いじめや不登校、こころの病で苦しむ子どもたちに、この六文字の祈りを伝えてあげて下さい。