2020.05.28
人はなぜ生きなくてはならないのか
人は何のために生きるのでしょう。生きなくてはならないのでしょう。私の元には、「先生、自分の命は自分のもの、死んでもいいよね」、「自分の人生は自分のもの、どう生きようと勝手だよね」、こういう内容のメールがたくさん来ます。私は、その一つひとつに、ていねいに答えています。「水谷は哀しいです。でも、ひとつだけ教えておきます。君の命は君のものではありません。君の人生も君のものではありません。君に託された、預けられたものですよ。人のために何かしてごらん。きっとわかるよ」と。
私たちが今生きているということは、人類の誕生から、いや生命がこの地球上に誕生してから、一度も絶えることなく、命の糸が絶えることなくつながれてきたということです。みなさんのおじいさん、おばあさん、先祖の誰一人が命を落としても、みなさんは、今存在できません。
でも、歴史を思い起こしてください。みなさんの命の糸を守るためにどれだけ多くの人たちが、大人だけでなく子どもたちまでもが、命を捨ててまで守ってくれたかを。あの広島や長崎での原子爆弾の惨禍の中で、多くのお母さんたちが、自らの背を炎に焼かれながらも、せめてこの子の命はと、我が子を抱きしめその命を守り亡くなっていきました。苦しかったでしょう。無念だったでしょう。我が子と寄り添い遂げることなく命を落とすこと。
みなさんの命は、人類の歴史の中で、命の糸を守るために無念の死を遂げた数え切れないほど多くの人たちから、託された、預けられた命なのです。「この命の糸を絶やさないで。次の命に必ずつないで」と。
今から14年前、京都の二十一歳の女性からメールが来ました。彼女は小中学校時代のいじめから、六年間引きこもりをしていました。「死にたいです。こんなにつらいのになぜ生きなくてはならないのですか」私は、彼女に「人のために何かしてごらん。わかるよ」と返事を出しました。彼女は、お隣に住むおばあちゃんのゴミ捨ての手伝いをはじめました。そして、知り合いの老人ホームで働き始めました。しばらくして、とびっきりの嬉しいメールが届きました。「先生、生きててよかった。今日私の担当のおばあちゃんがうんちをおもらしした。私が、一人でシャワーできれいにしてあげていたら、おばあちゃん、わたしのこと拝みながら、ありがと、ありがと・・・。私も泣いちゃった。先生、私わかった・人は何のために生きるのか、生きなくてはならないのか。だれかを幸せにするためになんだよね」私は、彼女にこう返事を返しました。「その通り。君は、もう水谷の学校は卒業だよ」
彼女は、その後定時制高校に進学し、そして卒業。私の教えている京都の花園大学で社会福祉の勉強をし、今もその施設で働いています。すでに結婚して、二人のかわいい子供もいます。彼女からのメールには、必ずいつも次の一言が。「先生、生きてて良かった」
