夜回り先生 水谷 修
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Osamu Mizutani Official BLOG

土田世紀君の8回目の命日に

漫画家土田世紀君が亡くなって、今日で8年の月日が流れました。

私の本「夜回り先生」を漫画として描いてくれた天才漫画家です。

今日は、彼が亡くなって一ヶ月後に、彼の追悼のために書いた文をここに載せます。

 

私は、子どものころから、漫画が嫌いでした。多分、私を厳しく躾けた、明治生まれの祖母が、「漫画なんて読むと、ものを考えなくなる。あんなものは、まじめな人間が読むものではない」と、私に教え続けたせいでしょう。ですから、高校の教員時代も、生徒たちに、「漫画は、できるだけ読むな。むしろ、きちかとした文学作品に触れなさい」と教えていました。今だからこそ、書けますが、漫画を電車で読んでいる人や、学校で漫画を夢中になって読んでいる仲間の教員を、いつも冷たい目線で見ていました。

そんな私のもとに、私の「夜回り先生」を漫画化したいという話が来ました。8年前のことです。私は、即座に断りました。私の大切な作品を、単なる娯楽のための漫画にすることで、汚したくなかったからです。ただ、その話を持ってきたのが、小学館の江上さんという旧知の友人だったため、あまりきつい断り方はしませんでした。江上さんから、ともかく、会って話をしたい。それを描く予定の漫画家も同席してと、懇願されました。江上さんの熱意に負けて、私たちは、京都の駅前のホテルの喫茶室で、会いました。これが、土田世紀君と私の初めての出会いでした。彼は、洗いざらしのシャツにジーパン、なんと足下は下駄です。ホテルには、本当は下駄では入ることができないのに。対する私は、いつものようにダブルのスーツに、白いシャツ、そしてネクタイです。あまりにもアンバランスな二人でした。

私は、二人に、私の漫画に対する考えをきちんと伝えました。私の本を漫画化することは、私の亡くした子どもたちの精一杯生きた人生を冒涜することになると考えていることも。そんな私に、江上さんは、こう言いました。「水谷先生、先生の漫画に対する考えはわかりました。でも、それは、先生の誤解だと思います。たしかに、文章には文章の素晴らしさ、それでしか表すことのできない深さがあるでしょう。でも、それは、漫画も一緒です。漫画家も、自分の描く絵を、思いを込めて紡いでいく中で、一つの芸術、その表現として、作品を仕上げていきます。水谷先生、漫画には、漫画にしかできない、素晴らしさがあります。奥の深さがあります」土田君は、その横で、ただ黙って私たちの話を聞いていました。長い時間が、過ぎていきました。最後に私は、言いました。「わかりました。江上さん、土田君。まずは、一作描いてみてください。それを、見せていただいて、それからどうするかを決めましょう」土田君は、ただ一言、「おっす」でした。

初めての出会いから、半年後でした。江上さんから、土田君の描いた原稿が届きました。私は、それを読みました。圧倒されました。漫画の中で、私が亡くした子が、活き活きと生き返っていました。私が、その子と過ごしたあの日々も。うれしくて、でも哀しくて、泣きました。すぐに私は、江上さんと土田君に電話をしました。そして、こころから謝りました。漫画について、軽薄な娯楽用の作り物だと馬鹿にしていた自分の無知さを謝りました。私は、土田君の漫画に打ち負かされたことを素直に伝えました。彼の漫画は、私の文章を超えて、子どもたちの喜びや哀しみを、それを読む人のこころに強烈に刻み込んでいました。それ以来、「夜回り先生」を土田君は、描き続けてくれました。

私は、ツッチーと親友になりました。少なくとも、私にとって、土田君、ツッチーは、こころとこころが通じ合う数少ない大切な仲間でした。原稿の打合せは、月に一度、いつも京都,山科の、私の知り合いの料理屋でした。長い長い打合せを、江上さんと三人でします。当然、お酒は抜きでお茶を飲みながら。その打合せが終われば、待っていた飲み会です。季節季節のおいしい料理をさかなに、飲みました。最初の乾杯のビールを、一気においしそうに飲み干す、ツッチーの幸せそうな顔。今も忘れることができません。

昨年彼は、私のために、たくさん働いてくれました。東日本大震災で、哀しみに沈んでいる子どもたちに、少しでも笑顔を。福島県郡山と、宮城県石巻で、何時間もの間、子どもたちの似顔絵を描いてくれました。多くの子どもたちが、おじいちゃんやおばあちゃんが、ツッチーに描いてもらった自分の顔を見て、満面の笑顔を返してくれました。「ありがとう」のことばに、少し照れながら、でもうれしそうに笑顔を返していたツッチーの姿が今も浮かびます。

そんなツッチーが、亡くなりました。私は、ツッチーが亡くなったという連絡を受け、すぐに江上さんと、ツッチーの元に向かいました。新幹線の中では、江上さんと二人、話すことばもなく、ただ、ツッチーとの日々を思いだしていました。私は、棺に眠るツッチーに、何度も何度も言いました。「ツッチーのばかやろう」私が、生まれて初めて人に向かって言ったことばでした。悔しくて、哀しくて、つらくて、寂しくて、ただ泣くことしかできませんでした。

この本は、「夜回り先生」シリーズの最後の一冊となります。また、ツッチーの最後の作品となってしまいました。私は、ツッチー以外のだれにも、「夜回り先生」を描いてもらいたいとは思いません。ツッチーが、私のもとに、みなさんのもとに残してくれた、十一冊の「夜回り先生」。私にとっては、大切な宝物です。ツッチーの棺には、愛用のペンを入れてもらいました。「ツッチー、もうすぐ、僕も君のところに行くよ。そしたら、また、私の本を描いてくれよ」そう話しかけながら。

 

ツッチーのばかやろう

何で死んだ。

何で俺より先に逝くんだ

 

悔しいよ

哀しいよ

つらいよ

寂しいよ

 

でも

 

ツッチー、ありがとう

本当にありがとう

君の作品で、たくさんの子どもたちが明日を見つけました。

これからも、たくさんの子どもたちが明日を見つけます。

 

ツッチー、さよなら

 

さよなら

 

2012年 5月   夜回り先生、水谷 修

 

追伸

 

土田君の描いた「夜回り先生」の漫画11冊は、コミック本としての発売は終了しましたが、今も、ネットで読むことができます。

ぜひ一度、彼の魂の叫びである「夜回り先生」を読んでみてください。