夜回り先生 水谷 修
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Osamu Mizutani Official BLOG

生きることの意味

あの2011年3月11日の東日本大震災から、すでに九年の月日が過ぎました。数多くのいのちが失われました。私も、何人もの友人や関わっている子どもたちを失いました。今もなお、たくさんの人たちが苦しんでいられます。

私は、あの震災以後、できる限り東北へと向かいました。何ができるのかを考えることもなく、ただ今の自分にできることを精一杯しよう。その思いだけで。そして、多くの人たち、子どもたちと触れあってきました。

私が避難所で知り合った四十代の男性は、家族六人のうち五人を、両親と妻、そして二人の幼い子を津波によって奪われました。夜彼と話したとき、彼は私に言いました。「水谷先生、私は生きていて良かったのですか。生きている資格があるのですか」彼は、家族を助けることのできなかった自分を責め続けていました。私には、「生きていてくれて、本当に本当にありがとうございます」そう言って、彼の手を堅く握りしめることしかできませんでした。二人で泣きました。

私は、その避難所を発つとき、見送りに出てきてくれた彼に言いました。「あなたが生きている限り、あなたの中に、ご家族が、優しかった奥さん、かわいかったお二人の子どもたちが生きています。また、必ずお会いしましょう。その時は、いっぱい子どもたちや奥さん、ご家族のこと聞かせてください」私には、こう彼に話すことが、いいことなのか、そんなことを話す資格が私にあるのか、わかりません。でも、どうしても伝えたかった。

今彼は、家族とともに生きたあの町で、復興の中心に立ち、子どもたちのための施設を運営しています。

その彼から、昨日電話が来ました。「水谷先生、あれから九年の月日が流れました。でも、私には、その感覚はありません。まだ、私の時計は、あの時に止まってしまったままです。でも、だからこそ、両親や妻、子どもたちが、私の中でいつも側にいてくれます。いまは、施設に来てくれる子どもたちもたくさんいてくれます。今、学校が休みなので、急遽子ども食堂を始めました。たくさんの子どもたちが、昼と夕方、温かい食事をうれしそうに食べていってくれます。その時は、少しだけ幸せを感じます。まだ、私の中では、生きていて良かったのかその答えは出ていません。先生、こちらにもいらしてください。お会いしたいです」

みなさん、人間にとって一番哀しいことは、忘れ去られることです。これは、生きているときでも、死んでからでもです。みなさん、『生きる』には、二通りの生きるがあります。自分にとっての『生きる』と他者にとっての『生きる』です。自分にとっての『生きる』とは、生命体として生きていることを意味します。これを読んでいるみなさんは、当然この意味で生きています。他者にとっての『生きる』とは、他者からその存在を認められることからはじまります。引きこもってしまい、他者との関係をすべて立っている人は、この意味で生きていることにはなりません。また逆に、亡くなった親友でも、みなさんが彼との思い出を思いだせば、みなさんの中に生きていることになります。

みなさん、お願いがあります。あの震災で亡くなった多くの人たちのことを、今でも苦しんでいる人たちのことを、絶対に忘れないでください。ときどきでもいい、思いだしてください。そして、何かできることを探してください。みなさんのこころのなかに、この震災を生かし続けること、それが、苦しんでいる人たちへの一番のちからとなります。