2020.03.10
東日本大震災から九年の年月が過ぎます
2011年3月11日午後2時46分、我が国、東北地方を大震災が襲いました。地震、津波、そして原子力発電所の崩壊、多くの人たちが、愛する人や家族、財産、故郷を失いました。私も、たくさんの仲間たちや関わった子どもたちを亡くしました。
あの日から、明日はちょうど9年目です。
ここに、あの大震災直後に、ある新聞社の連載に書いた原稿をそのまま載せます。私にとって、これが、あの時亡くなった方々への心からの慰霊です。
子どもたち、今東北地方で、多くの人たちが苦しんでいます。多くの子どもたち、大人たちが亡くなりました。多くの人たちが家族を失い、哀しみに沈み、多くの人たちが、家を失い、避難所で何とか生き抜いています。そんな今も、私のもとには、「死にたい」、「リストカットしたい」、「つらい」、たくさんのメールが届きます。哀しいことです。多くの人が、子どもたちが、生きたいのに生きられなかったのに。多くの人たち、子どもたちが、家族や家を失いながらも、生き抜こうと、助け合っているのに。私は、すべてのメールに返事を返すことを止めました。自分のことしか考えていない子どもたちがたくさんいることが哀しかったから。いや、今この瞬間も苦しんでいる多くの人たちが、子どもたちがいるのに、自分の死を語る子どもたちが、憎かったから。
でも、そんな私のもとに、こんなメールが届きました。「先生、覚えていますか。気仙沼のリストカッターの○○です。今度の地震で家は住めなくなりました。でも、家族も私も無事です。今、避難所にいます。お母さんが無事でよかった。お父さんが無事でよかった。お兄ちゃんお姉ちゃん弟妹が無事でよかった。もちろん、とても嬉しいし、神様に感謝の気持ちでいっぱいです。でも、宮城県や岩手県では、本当にたくさんの人が亡くなっています。身内だけが助かってもよかったなんて言えません。未来を生きるはずだった、たくさんの命が、たった数分の地震で奪われてしまいました。今まで、リストカットを繰り返し、死にたい死にたいと、先生に連絡し続けた自分が恥ずかしいです。そんな過去の自分に腹が立ちます。考えてみれば、戦争や飢餓で、また今地震や津波で、苦しんでいる人もたくさんいるのに、なんで、どーでもいいことで、死ねとか消えろとかいう人たちが、いるんだろうと思います。また、かつての私のように、自分から死にたいとか消えたいととか、いえるのでしょう。今回の地震を通して、改めて医者になりたいと思いました。失われてはいけなかった命、助けられた命もたくさんあったはずです。今、私は、避難所で救護班にいます。なんといっても、何度もリストカットやODで病院に運ばれていて、みんなより医療にはくわしいですから。昨夜は、病気のおばあちゃんといっしょに横になり、おばあちゃんをずっとさすってあげました。おばあちゃん、泣きながらありがとう、ありがとうって言ってくれました。先生、いつも先生が言っている困ってる人の為に何かすることが、こんなにも大切だということがわかりましたありがとう」
子どもたち、私は、今もメールに返事を書き続けています。ありがとう、○○さん。
