2020.01.27
有名になること
私は、先日、京都の大学での教え子たちと喫茶店に入りました。十数名の男女の大学生たちと2時間近く、わいわいと話をしました。そんな中、私が、学生たちに、将来どんな人生を送りたいのか聞いてみました。数人の学生が、即座に、「有名になりたい」と答えました。私が、「なぜ」と聞くと、一人がこう答えました。「だって先生のようにテレビに出て、有名になれば、お金もたくさん入るだろうし、何より、人から尊敬される。それに、自分という存在をみんなに知ってもらえる。先生のように本を書くのは、苦手だから、お笑い芸人かタレントになりたい」何人かがうなずいていました。
私は、淡々と彼らに話しました。自分のことを。私が、有名になったのは、私自身が望んだことではないこと。有名になれば、教員として最も大切な子どもたちと触れあう時間を失い、教員としての職も失うことになるし、できれば避けようとしていたこと。それでも、本を出したり、テレビに出たりしたのは、日本中であまりにも多くの子どもたちが、明日を見失い、悩み苦しんでいることに気付き、一人でも多くのそれらの子どもたちと直接関わるためには、マスコミの力で、私の存在を日本中に知らせるしか方法がなかったからで、子どもたちが、苦しんでいる、この時代が、私を有名にしたのだということ。実は、私が有名になるということは、私たちの社会にそれだけ問題があるということで、哀しいことなのだということ。後悔はしていないけれど、失ったものも多いことを話しました。彼らは、不思議そうな顔をしていました。
有名になりたいと思っている人たち、有名になることは、幸せなことなのでしょうか。私が弟のようにかわいがった一人の教員は、テレビで有名にされ、権力や地位を手に入れました。しかし、その権力や地位を守るために、教員としては最もしてはいけないこと、すなわち子どもたちを利用し、傷つけました。テレビに出ている彼の姿を見ると、哀れさしか感じません。
また、私は、マスコミで一時的にもてはやされ、有名になり、しかし、その一時を過ぎた後は、捨てられ、忘れ去られ、でも、有名だったときを忘れることができず、苦しんでいる人たちをたくさん知っています。
有名になるということは、私は、人生の目標としてはいけないことだと考えています。自分が選んだ道を、日々努力して生きていき、時代がそれを認めてくれれば、きっと、自然に有名になるでしょう。まずは自分が一生それに向かって進む目標を作りましょう。そして、まっすぐに努力して歩いて行きましょう。結果は、まずは考えず。
