2020.01.07
こころの汚れ
私が「夜回り」をはじめて、ついに三十年目を迎えました。あっという間の三十年でした。たくさんの子どもたちとの出会いがあった日々でした。
私は、今から、三十年前の四月、横浜の名門受験高校から夜間定時制高校に異動しました。それは、一人の親友とのけんかが原因でした。三十一年前の十二月、東京の夜間定時制高校の教員をやっている一人の友人から、学校に電話がありました。彼は、切羽詰まっていました。「水谷、俺は、こんな学校じゃ教員をやっていられない。教員を辞める」私に、彼は言いました。私は、「やけを起こすな。ともかく今夜会おう」彼と、その夜、寿司屋で会いました。
寿司屋で刺身の盛り合わせを見た彼は、私にこう言いました。「水谷、寿司だってネタを選ぶ。腐った魚で旨い寿司は、作れないだろう。教育だって同じだ。うちの学校の、腐った子どもにいい教育なんてできない。」私は、彼を叱りました。「腐った子どもなんていない。思いだせ。赤ちゃんがおぎゃーと産まれたとき、どの赤ちゃんが、将来、親を泣かしてやれ、悪いことをしてやれ、リストカットしてやれ、自死してやれと思って生まれてくる?そんな赤ちゃんは、いないだろう。どんな赤ちゃんも、父さん、母さん、幸せになりたいと、真っ白なこころで生まれてくるはずだ。そんな子どもたちを腐らせたのはだれだ。そんな腐らされた子どもたちを救うことが、俺たち教員の仕事だろう」彼は、私に言いました。「やっていないお前に言われたくない」私は、「わかった。四月から、俺が夜間定時制高校に行く。その代わり、お前は教員を辞めろ。生徒を腐ったなんて思っているお前に、教育なんてできない」私のこの一言が、私の人生を変えました。
私は、この三十年、五十万人を超える、今を悩み苦しむ子どもたちからの相談を受けてきました。そして、一万五千人近い、夜の世界で明日を見失い這い回る子どもたちと寄りそって生きてきました。
みなさん、日々を生き抜くなかで、自らこころを汚すこともあります。だれかに汚されることもあります。もしかしたら、生きると言うことは、こころを汚し汚されるということかもしれません。どうぞ、周りの大人たちを見てみてください。純真なこころの人なら、すべての大人に、こころの汚れを見ることができるでしょう。でも、汚れは落とすことができます。その汚れを、洗い流すのです。そこには、みなさんが生まれたときと同じ、真っ白い美しいこころが、いつも潜んでいます。
