夜回り先生 水谷 修
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Osamu Mizutani Official BLOG

平等と公正

みなさん、「平等」と「公正」ということばを知っていますか。この二つのことばの意味がわかりますか。今、私たちの国でそして周りで、この「公正」と「平等」ということばの本当の意味を見失しなっている人たちがたくさんいて、そして大変な問題が起きていると、私は感じています。それでは、この二つのことばの意味と違いを考えてみましょう。

みなさんとプロゴルファーの石川遼くんがゴルフをするとします。ハンディキャップなしに戦うこと、これが「平等」です。それまでのゴルフの経験やスコアの実績を考えて、ハンディをつけて戦うこと、これが「公正」です。たとえば、消費税、すべての消費財に一律に10%の税金をかけ、貧しい人からも富んだ人からも同じく税金を徴収する、これが「平等」です。かつて我が国にあった物品税のように、貴金属や外国の車など、生活にゆとりのある富んだ人が買うだろう高価な消費財から、高額の税を徴収し、食料や日々国民すべてが必要とする消費財には課税しない、これが「公正」です。子どもたちが、学校で給食を、みんなが同じ量をもらい食べること、これが「平等」です。そうではなく、からだの大きさや体調によって、それぞれの量を変えて配り食べること、これが「公正」です。みなさん、「平等」と「公正」の意味が見えてきましたか。

みなさんが、石川遼くんと、「平等」にゴルフで戦っても、絶対に勝つことはできません。競技にもならないでしょう。みなさん、貧しい人や富んでいる人から「平等」に税金を徴収することは、貧しい人にとって大きな負担になります。こどもたちが給食を、みんなで同じ量を「平等」に食べれば、足りない人も出るでしょうし、残す人も出るでしょう。「平等」、とても美しいことばですが、現実の社会では、大きな問題と弊害を持つことばです。私は、「平等」に、機械的な冷たさを感じます。優しさや思いやりを感じることができません。私たちの社会で、たぶん最も「公正」を大切にしているのは、裁判です。罪を犯した人を、裁判官や裁判員が裁きますが、その加害者の生育歴や環境、情状などを、多くの証人から聞き、そして「公正」に裁いています。

私は、この国や私たちの社会が、「公正」なものになってほしいといつも考えています。また、そのために日々働くことが、政府や行政の一番大切な仕事だと考えています。でも、今は・・・。哀しいことです。

みなさん、ぜひこの「公正」ということばの中にある優しさや思いやり、暖かさに気づいてください。そして、常にこの「公正」を国や地方自治体に求めていきましょう。