2019.12.30
こころで見る
みなさんは、きちんと何かを見たことがありますか。きれいな花でもいい、青空でも、遠くの山々でも、お母さんやお父さんの顔でもいいです。きちんと見たことがありますか。ほとんどの人は、「水谷先生、いつもちゃんと見てるよ」と答えると思います。それでは、試してみましょう。目を閉じてください。そして、君が見たきれいな花や、どこまでも澄んだ青空、白い雪を乗せた山をきちんと思いだしてください。どうですか、きちんとその美しいすがたが、まぶたに浮かび上がってきますか。お母さんやお父さんの顔はどうですか。たぶんほとんどの人は、「先生、何も見えてこないよ。こんなの無理だよ」と言うでしょう。でも、本当にそうでしょうか。私は、私を大切に育ててくれた祖父母の顔を、目さえ閉じれば、いつでも見ることができます。若いころ登った八ヶ岳の山々も、今年の美しかった桜も、いつでもまぶたに思い浮かべることができます。なぜかわかりますか。それは、いつも必死で想いを込め、ものを見ているからです。
私たちの目は、すばらしいものです。うつくしいものをそのままのすがたで、写真のように私たちのあたまのなかに保存してくれます。ビデオのように動画でも保存してくれます。また、すてきなことを、こころに保存してくれます。みなさんは、目をそのように使っていますか。使っていないとしたら、何てもったいない生き方をしているんでしょう。お願いです。うつくしいものを見たら、きちんとそれをあたまの中に刻み込もう。方法は簡単です。目をつぶってもそのすがたがまぶたに浮かぶまで、きちんと見るのです。すてきなことがあったら、それをきちんとこころの中に刻み込もう。方法は簡単です。そのすてきなことを何度も何度も思い浮かべればいいのです。私は、哀しいとき、つらいとき、いつも目を閉じます。そして、かつて見たうつくしいものや、かつて触れたすばらしいことを思いだします。
もう一つ、みなさんにして欲しいことがあります。目を閉じて、こころできちんとものを見て欲しいのです。私は、いつもそうしています。夜の街を我が物顔にさまよう若者たちを見れば、きっとみなさんは、その瞬間に、『嫌な連中』と目を背けるでしょう。でも、私は、彼らを見たら目を閉じます。そして、彼らがなぜそんなふうに生きているのかを考えます。親から捨てられたのか。学校で勉強について行けなくなり自暴自棄になっているのかと。そして、もう一度彼らを見つめます。そして、彼らの目の中に哀しみを見ます。目を閉じて、こころできちんとものを見よう。
