夜回り先生 水谷 修
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Osamu Mizutani Official BLOG

幸せとは

みなさん、幸せとは何でしょう。みなさんにとっての幸せとは何ですか。有名になることですか。お金持ちになることですか。それとも、すばらしい家庭を持つことですか。

私は、7年前、一本の哀しい電話をもらいました。訃報でした。私は、二十代の後半に、五年間からだの不自由な子どもたちの高校に勤めました。その時、担任をした、一人の重い障がいを持った女子生徒の父親が亡くなった知らせでした。彼と私は趣味が一緒、バイクと車、とても話が合い、生徒の在学中も、卒業後も、よく自宅におじゃましてお酒を飲んだ仲でした。仕事はトレーラーの運転手、日本中にコンテナを運んでいました。家族は、奥さんと障がいを持つ一人娘、古いぼろぼろの市営住宅に住んでいましたが、家の中はいつもきれいで、笑顔が絶えない暖かい家庭でした。私は、すぐにお伺いしました。彼の枕元に座った私に、奥さんが、彼の最後の手紙を読んでくれました。「幸恵、今まで本当にありがとう。俺は、多分この入院で戻れないろう。自分のからだのことは自分が一番よくわかる。お金持ちの医者の家庭でお嬢さんとして育ったお前が、俺みたいな男と結婚したばかりに、親や親戚から縁を切られ、貧しい生活。つらかったろう。しかも、ひかりは重い障がいを持って生まれた。でも、お前は本当に良くやってくれた。俺とひかりを本当に愛してくれた。俺は、世界で一番幸せな男だった。ひかりとお前を残してあの世に行くこと、本当につらい。死にたくない。でも、これが俺の寿命、許してくれ。ひかりのこと頼んだよ。困ったときは、水谷先生に。ありがとう、幸恵」奥さんは、話してくれました。彼が一年前から、膵臓ガンと闘っていたこと。水谷には、絶対伝えるな。水谷の悲しむ顔は見たくないと言っていたこと。最後の入院前に、彼の最後のトレーラーでの仕事に家族みんなで行ったこと。コンテナを届けた帰りに家族三人で東北の温泉を回って帰ってきたこと。「先生これを見てください」奥さんは、一冊の通帳を見せてくれました。彼は、娘が生まれたその時から、毎月奥さんに黙って貯金をしていました。その通帳には、大変な金額が積み立てられていました。「あの人は、優しい人でした。お酒だって、好きなのに、先生がうちに来たときしか飲みませんでした。私たちと過ごすときが一番幸せと、何の遊びもしなかった人です」奥さんは、泣きました。「先生、あの人と最後のお酒を飲んでやってください。あの人は楽しみにしていました」私は、朝まで、彼にたくさんの楽しかった昔話を話しかけながら飲みました。私が、帰るとき、奥さんが言いました。「先生、私は幸せです。大丈夫です。だってあの人がたくさんの幸せな思い出を残してくれたから」

そして、私は、昨日、また一本の哀しい電話をもらいました。幸恵さんの訃報でした。幸恵さんの一人娘は、神奈川県で起きたある殺人事件で殺されました。そのあとも、彼女は、福祉施設で、お嬢さんの後輩たちの世話をしながら気丈に生きていました。しかし、ガンで亡くなりました。

彼女の私宛の遺書には、こう書いてありました。

「水谷先生、連絡しなくてすみません。娘が殺されたときには、私はすでにガンで、死を待つ身でした。先生の涙が見たくなくて、お話ししませんでした。でも、泣かないでください。必ず。私は、やっと夫とひかりのところに旅立つことができます。先生、私は、幸せでした。どこまでも幸せでした。哀しいこと、つらいことたくさんあったけれど、それより、夫や娘との、先生との楽しい思い出のほうがたくさんありました。最後に先生にお願いがあります。私たち親子のこと、生きている限り忘れないでください。私たち親子が、とても幸せな人生を生きたことを。先生、さようなら。空から三人で、先生をいつも見守らせていただきます」

私は、今も涙をこらえています。泣きそうになる自分を叱っています。何か、泣いてしまうことが、三人の幸せだった人生を汚してしまいそうに感じて。