2019.12.16
こころの病はからだから
このところ私がはまっていることがあります。それは、歩くことです。講演会に行くときも、少し早めの電車やバスに乗り、目的地の一つ前の駅やバス停で降りて、そしてそこから歩いています。ただ、だらだら歩くのではなく、美しい花や色づいた葉を探したり、庭の手入れをしているおばあちゃんやおじいちゃんに、「精が出ますね」と声をかけながら。そして、何種類鳥の声を聞くことができるかと、耳を澄ましながら。
私は、哀しいことがあったとき、もうどうしていいかわからないほど苦しいとき、ホテルにいても家にいても、すぐに外に出ます。そして、ただひたすら、歩き続けます。何時間も。そしてからだをくたくたに疲れさせます。ただし、ただ歩き続けるのではなく、美しいものを探して、また出会った子どもたちや人たちに挨拶しながら。
みなさん方の多くは、なんでそんなことをするのかと不思議に思うでしょう。説明しましょう。私たちは、からだと、こころとあたま、三つの部分で作られています。でも、その三つは別々のものではなくて、本当は、いつもバランスよくお互いに協力しながら、私たちを支えていてくれます。からだを通してこころが何かを感じ、そしてそれをあたまで考えて、からだが行動にうつす。こんなふうにです。
このバランスがきちんと取ることができなくなると、私たちのからだもこころも、病んでしまいます。今私たちの社会は、便利な社会ですが、実にいびつな社会です。からだは、あまり使わなくて、疲れさせなくていいのですが、こころやあたまは、いつもぴりぴりと疲れ続けなくてはならない社会になっています。からだは疲れていないのに、こころとあたまはくたくたに疲れてしまって、いらいらして夜眠れなくなってしまったり、こころを病んでしまう人たちがたくさんいます。みなさんは、どうですか。
私は、こころが病んでしまうことを避けるために、歩くと言うことを通して、日々、特につらくて苦しいとき、自分のからだを疲れ果てさせているのです。
いいですよ。からだを疲れさせること。夜ぐっすり眠ることができます。いつもの食事の味も格別ですし、水道の水一杯が全く別のものに感じます。
みなさん、今日からやってみませんか。駅では、エレベーターやエスカレーターを使わず、階段を昇る。できる限り長い距離を歩く。家では腹筋や腕立て伏せの運動を。ともかく、毎日からだをきちんと疲れさせませんか。特に今を苦しむ人。必ず結果はでます。こころの病は、からだから治そう。私は、そうしています。
