夜回り先生 水谷 修
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Osamu Mizutani Official BLOG

子どもたちへ No.16

 このところ、私の元に、「なぜ私は生まれてしまったの」、「なぜ、死んではいけないの」など、「生」と「死」を語るメールがたくさん届きます。そのたびに哀しくなります。そして、そのメールには答えを書かず、保存します。

 

 それを繰り返していくと、今度はこういうメールが同じ人から来ます。「水谷先生の嘘つき。私は、何度も先生にメールを出したのに返事を返してくれない」私は、こう返事を返します。「水谷です。君が、生や死を語るメールを送ったからです。水谷は、生や死については語れません。ごめんね」

 

 子どもたち、「生」や「死」を語ることに、そして悩むことに何の意味があるのでしょうか。私たち人間は、ある意味で暴力的にこの世界に生まれさせられます。そして、時が来れば、すべての人間は、「死」によってこの世界を去らなくてはなりません。生まれてくるときに、親や環境を選ぶことはできませんし、死を逃れることもできません。

 

 アフガニスタンやパレスティナに生まれさせられ、そして生まれてすぐに暴力的に命を奪われる子どももたくさんいます。その一方で、優しいお金持ちの両親の所に多くの祝福の中で生まれてくる子どもたちもたくさんいます。私たちの国日本でも、同じです。親を知らずに捨てられて生まれてくる子どもたちもたくさんいますし、それどころか、最も守ってくれるべき親に、生まれてすぐに殺されてしまう子どもたちすらいます。

 

 子どもたち、「生」を恨んだり、あるいは「死」を呪ったり、望んだりしても何の意味があるのでしょうか。もう君たちは生まれてしまいました。そして、いつか確実に死にます。

 

 でもね、子どもたち、この「生」と「死」の間、すなわち君たちが今生きている人生は、君たちの力でどうにでも作ることのできるものです。幸せなものにも、哀しいものにも・・・。過去の「生」や未来の「死」を考え悩むことをやめて、今をきちんと生きませんか。必ず君たちに訪れる明日を豊かで幸せなものにするために。

 

 子どもたち、今回こんな暗い内容を書いてしまったことには、理由があります。多分君たちも知っているとおり、水谷は、病気持ちです。それがこのところどんどん悪化しています。君たちとは違い、「死」の足音がだいぶ間近に聞こえています。でも、怖くはありません。まだ、一分一秒でも明日があります。私は、その残された限られた時間を、君たちの笑顔のために使いたい。どんなに痛くてもつらくても、講演は止めません。メールの返事を返すことも。夜回りも。子どもたち、お願いです。生きよう。精一杯に今を生きよう。明日のために。