2024.06.02
人はなぜ悩み苦しむのか
かつて、フランスの哲学者パスカルは、「人は考える葦である」と語りました。これは、名言です。人類が、この地球上でこのように栄えたのは、まさにこの「考える」能力を身につけたからです。
かつて、すべての動物が、日々その日の糧を狩猟、採集し、自然の驚異の中で、ただひたすらその日を生きていました。今も、ほとんどの動物は、そうして生きています。唯一人類は、この「考える」ことによって、食料を自ら農耕によって生産することを手に入れ、さらに道具を使用することで、その生産効率を上げ、その結果、生活の中に「ゆとり」を手に入れ、その「ゆとり」が、さらに「考える」能力を高め、学問や科学を人類にもたらしました。
また、生きとし生けるものの中で、唯一人間が作り出した農耕は、富を生み出しました。農耕で作られる穀物は備蓄できます。その備蓄をたくさん持っている人や集団に、それを持たない人や集団は、飲み込まれ、支配されていくこととなりました。こうして、持てる者と持たざる者、つまり貧富の差を生み出しました。富を手にして、富のないものを支配する。これが、古代国家を作りました。
かつて、古代においては、持たざる者は、奴隷として、自由を奪われ、まさに動物のように、ただその日を生きぬくために、働きました。これは、現在も続いています。かつてと比べれば、はるかに自由ですが、それでも、日々生きていくために、自分の時間を、労働というかたちで持てる者に売り、そこから得た収入で生きています。
さて、それでは、この人をしてこの地球の支配者とした「考える」能力は、人にとって幸せなものだったのでしょうか。多くの人は、何をつまらないことを言うのか。幸せに決まっていると答えるでしょう。でも、本当にそうでしょうか。そうだとしたら、この世界に生存する、人以外のすべての生きとし生けるものは不幸ということになります。
こう考えてみましょう。野に咲く花が、温室で最高の環境で育てられている花を羨むことがありますか。野良猫が、家猫を羨むことがありますか。人以外のすべての生きとし生けるものは、その与えられた環境や境遇をすべて受け入れ、その中で必死に生きぬいています。しかし、人は、「考える」能力を持ってしまったが故に、人を羨み、嫉み、自分を否定し、悩み苦しんでいます。この「考える」能力こそが、人に不幸をもたらした元凶といえるのではないでしょうか。
人はなぜ悩み苦しむのか。その答えは簡単です。「考える」からです。ただ、ひたすら今を生きる。これが、本来のあるべき姿なのに。
私は、「而今」ということばが大好きです。これは、禅宗のことばですが、ただ今をひっしにあるがままに生きる。ここに、悩みや苦しみが入り込む余地はありません。
