2024.01.13
死に向かう人たちへ
年が明けてから、死を語る相談が増え続けています。
毎晩のように「死にたい」、「死にます」というメールが届いています。
子どもたちからだけではなく、大人たちからも。
死に向かう人たちへ、少し古い思い出を書きます。
すでに半世紀近く前のことです。
私は、ヨーロッパで放浪生活を送っていました。留学先のドイツから、夏場はデンマーク、スウェーデン。そして、お金を稼ぐために東欧、ハンガリーやチェコ、ルーマニアにも。冬場は、南欧、イタリアやスペインを回っていました。
パリにいたときです。私は、当時シャンソンが好きで、ボビノ座やカルチェラタン、つまりセーヌ川左岸のシャンソニエをずっと回っていました。そんなとき、一人の有名なシャンソンの歌い手と知り合いました。すでに当時世界的に有名だった女性です。すぐに飲み友達になりました。
数ヶ月後、私が日本に戻ることとなったとき、お別れのパーティーをあるシャンソニエで開いてくれました。当然つまみは、彼女のシャンソンです。最後にお別れの時に、私が「アデュー」(さよなら)と彼女に言うと、私は彼女に叱られました。「オサム、私は、アデューは大嫌い。ボン ボヤージュ(良き旅を)、これが私のお別れの挨拶よ」
私は、長い間、この彼女のことばがわかりませんでした。
実は、彼女は、15年近く前、日本にコンサートのために来日しました。私は、その時、当然会いに行きました。彼女と私と、お互いのあまりにも年取った姿に大笑いとなりました。そのあと彼女は、「ほら、オサム。お別れのことばは、ボン ボヤージュでしょう。人生は、旅。いろいろな出会いがある。苦しいときも、幸せなときも。でも、生きてさえいれば、また会える。人は、人生という旅を、命ある限り生き続けるのよ」
二人で、ボン ボヤージュで別れました。
そのすぐ後に、私は、彼女にアデューを言わなくてはならなくなりました。泣きました。
さよなら、こんなことばは捨てましょう。どうしても言わなくてはならないときが、宿命として来る日まで、人生という旅を続けましょう。幸せを探しながら。
それが人間の宿命です。
