夜回り先生 水谷 修
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Osamu Mizutani Official BLOG

ことばと文字

私は、すでに六十冊以上の本を書いてきました。数え切れないほどの文字を紙に刻み込んできました。

また、五千回以上の講演会や数え切れないほどの数の授業で、たくさんのことばを発してきました。

 

そんな私が、今君たちを見ていて、気になることがあります。それは、君たちが、だれかとじかに向かい合って、お互いを見つめながら話すことばと、相手の顔が見えない、手紙やメールなどの文字の違いをきちんと理解していないのではないかということです。また、ことばや文字の恐ろしさをきちんとわかっていないのではないかということです。君自身はどうですか。

 

 ことばは、独り言の場合を除けば、まずはだれかと向かい合って、そのだれかに対して、同じ時、同じ空間の中で発するものです。話し相手が目の前にいるわけですから、よほど感情的になっていない限り、当然その人の表情や体の動きを気にしながら、気を使いながら発します。相手も同じです。そうして互いに思っていることや感じていることを伝え合います。また、相手と確認し合いながら話し合うわけですから、その時発する一つひとつのことばに責任を負います。目の前で苦しんでいる人に「苦しめ」、「ざまあみろ」と言うことのできる人は、まずいないでしょう。ほとんどの人が、「どうしたの」、「だいじょうぷ」と優しく声をかけるでしょう。ことばには、優しさの入る余地があります。

 

 文字は、ことばとはまったく違います。目の前にいない相手に対して、その顔や表情を見ることもできず、一方的に発するものです。だからこそ少し前までは、私たちは文字を大切にしました。手紙にしても、メールにしても、よく知っている人に対してしか、出しませんでした。しかも、文字はずっと残るものですから、何度も見直し、相手を傷つけたり、相手に嫌な思いをさせないように気を使って書きました。

 

今、君たちはどうですか。多くの子どもたちが、メル友を持ち、会ったこともない相手に、自分のことや自分の想いを無造作に書き捨てています。インターネットの掲示板やブログでも、自分の一瞬の感情を無責任に書き込み、それに対してのもっと無責任な書き込みに一喜一憂しています。

また、その匿名性を利用して、「死ね」、「殺す」、あるいは「死にます」、「さようなら」こんな人を傷つける、時によっては人の命を奪う文字を安易に書き捨てる人もいます。哀しいことです。

 

みなさん、お願いです。ことばと文字を大切に使おう。特に、文字を。メールやネット、つまり文字で、君たちのこころや想いを伝えるのは、まだ君たちでは無理です。