2021.04.23
こころで見る
みなさんは、きちんと何かを見たことがありますか。
きれいな花でもいい、青空でも、遠くの山々でも、お母さんやお父さんの顔でもいいです。きちんと見たことがありますか。
ほとんどの人は、「水谷先生、いつもちゃんと見てるよ」と答えると思います。それでは、試してみましょう。目を閉じてください。そして、あなたが見たきれいな花や、どこまでも澄んだ青空、白い雪を乗せた山をきちんと思いだしてください。どうですか、きちんとその美しいすがたが、まぶたに浮かび上がってきますか。お母さんやお父さんの顔はどうですか。
たぶんほとんどの人は、「先生、何も見えてこないよ。こんなの無理だよ」と言うでしょう。でも、本当にそうでしょうか。私は、私を大切に育ててくれた祖父母の顔を、目さえ閉じれば、いつでも見ることができます。若いころ登った八ヶ岳の山々も、今年の美しかった桜も、いつでもまぶたに思い浮かべることができます。なぜかわかりますか。それは、いつも必死で想いを込め、ものを見ているからです。
私たちの目は、すばらしいものです。うつくしいものをそのままのすがたで、写真のように私たちのあたまのなかに保存してくれます。ビデオのように動画でも保存してくれます。
また、すてきなことを、こころに保存してくれます。君たちは、目をそのように使っていますか。
使っていないとしたら、何てもったいない生き方をしているんでしょう。子どもたち、お願いです。うつくしいものを見たら、きちんとそれを、あたまの中に刻み込もう。
方法は簡単です。目をつぶってもそのすがたがまぶたに浮かぶまで、きちんと見るのです。すてきなことがあったら、それをきちんと君たちのこころの中に刻み込もう。方法は簡単です。そのすてきなことを何度も何度も思い浮かべればいいのです。私は、哀しいとき、つらいとき、いつも目を閉じます。そして、かつて見たうつくしいものや、かつて触れたすばらしいことを思いだします。
もう一つ、みなさんにして欲しいことがあります。
目を閉じて、こころできちんとものを見て欲しいのです。私は、いつもそうしています。
夜の街を我が物顔にさまよう若者たちを見れば、きっと君たちは、その瞬間に、『嫌な連中』と目を背けるでしょう。でも、私は、彼らを見たら目を閉じます。そして、彼らがなぜそんなふうに生きているのかを考えます。親から捨てられたのか。学校で勉強について行けなくなり自暴自棄になっているのかと。そして、もう一度彼らを見つめます。そして、彼らの目の中に哀しみを見ます。
みなさん、目を閉じてこころできちんとものを見よう。
